8月14日に放送された「ファミリーヒストリー」に登場した俳優・草刈正雄さん。
その内容はこちらです。
結局、残念なことに、
朝鮮戦争で亡くなったと聞かされていたお父様は、2013年に亡くなっていましたが、
顔も知ら無かったお父様の御写真を、彼が見る事のできたその瞬間は、
見る人、全てが涙した事でしょう。
そこで私は、
これから彼の長年のファンとして、自分なりの感じた事を綴って行こうと思います。
まず簡単に彼の出演作のご紹介をさせて下さい。
(他記事を引用しています。)
私は、前述の通りに中学時代からのファンでした。
きっかけは、1976年1月開始のNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」で、
初めて草刈さんを拝見したのですが、
その甘いルックスで途端に夢中になってしまったのでした。
草刈さんは、1970年からモデルとして芸能界に入った訳ですが、
既に1974年には、映画で俳優デビューしていたものの、
(実は74年に、主役または準じる役柄ばかり5本も出演済み。)
この大河ドラマで一躍、全国に向けてブレークしたと言って良いでしょう。
けれど、個人的には、
✨「風と…」の豪華な顔ぶれ。✨
だってね、ストーリーそのものも面白かったし、の通り、美形揃いの出演者との評判も高かったそうでしたからね。
以後、彼は、テレビドラマに立て続けに出演します。
大河の放送が続く中、76年秋開始のホームドラマ・「ほんとうに」では、役柄がガラリと変わり、
日本橋の老舗煎餅店の次男坊役を好演。
以降も、刑事ドラマ、ホームドラマ、民放の時代劇…
と、超多忙な日々と共に人気俳優の名を欲しいままにします。
そうそう。
歌手の岩崎宏美さん、
タレントの(故)松本ちえこさん、
女子プロレスラーのマキ上田さん(ビューティーペアのひとり。)、
そんな、
数多の芸能人の方々も、こぞって草刈さんのファンを公言していましたし、
何と、先の吉永小百合さんからも、
「風と…」の少し後、
草刈さんは民放単発ドラマの共演相手に、小百合さんからご指名されたのですよ
(1977年 松本清張原作ドラマより。)
(この歌も好きでした。パイオニアのラジカセのCMソングでした。)
聞いてみて。💞💞💞
(注 冒頭に大きな雑音あり)
自分は2枚目では無くて、3枚目半です…
とか、
照れ屋です…
などとよく雑誌のインタビューでも語っていた草刈さん。
同時に、「父親はアメリカ人で、朝鮮戦争で戦死した」とも答えていた草刈さん。
振り返れば、
彼は存在するだけで華が有り、
当時は確かにまばゆいばかりの光の中にいたと思う。
なのに、どこか影もあったように感じます…。
やはり、
勝手な推測ですみませんが、
常にお父様にまつわる想いを抱えていたのでしょうか?
そして、
父親は生きているのかも?
実は、そうも思われていたのでしょうか?
実際、
これほどまで草刈さんが多忙を極め活躍していたその時、
お父様は確実に存命でいらした…。
それならば、
日本にいる息子さんの活躍を、見て、知って頂きたかったなあ…
と、
そんな止めどない想いが溢れ、
しまいには胸がよじれそうになります。
因みに、
「ラブシャワー」と言うタイトルのLPレコードの中で、彼が歌う曲の一つに、
ひとりの男性が父親と酒を酌み交わす内容の歌詞が有ります。
一部抜粋ですが、それはこんな感じです。
朝から失敗ばかりしていた、ツイてない日
親父の顔が見たくて、フリーウェイ飛ばして(親父の経営する店に)来たんだ。
今夜はお客も顔馴染み
親父もついに飲み始める…
バーボンシティー
男同士
バーボンシティー
乾杯と、言ってみようか? 朝まで…
drink drank drunk…
バーボンシティドリンクス…
(続きます)
画像はお借りしています。
初めての方へ。(私のこと。)↓
沖縄ミュージシャンとの出来事。
恋ヶ窪ゆずる・投稿歴
雑誌/『婦人公論』読者手記・傑作選入選
入選作品は、当ブログ掲載の「うずく、沖縄」と同じ内容です。
(直木賞作家・小池真理子さんより講評を頂きました。)
雑誌/『猫の手帳』読者手記・掲載
また、とある同人誌にて、作家の故・北杜夫氏、佐藤愛子氏と共に自身の作品が掲載されました。