いやぁ~~、遂に昨日新元号 「令和」 が発表されましたね。
その余波は2日目の今日も、全国を賑わしていたようで、このお祭り騒ぎは、正式に現天皇陛下から時期天皇陛下へのバトンタッチまで、続きそうな勢いですね。(笑)
この官房長官による生元号発表のシーン。 30年ぶりに目にしました。 平成の時の小渕さんもそうでしたが、今回も凄く緊張しているような表情で、菅官房長官さんは、前日字の書かれていないこの額縁を手に持ち、こうして皆さんの前に掲げる練習もしていたんだそうです。
責任のある仕事でもありますからね。 只掲げるといった事柄とは、気持ちも違うんでしょうね。
昨日の新聞を見て驚きました。
NHKさんところは、総合テレビで朝の15分ドラマ終了後に、ずっと
発表になる時までテレビ放送で、そのドキュメントを伝えていたんですね。(笑) 他局でも、こぞって放送はありましたが、ほぼ朝のワイドショーが終わってからの本格的な生放送でした。
私も他局のテレビを見ていたんで、NHKさんが8時15分から12時前まで生放送していたなんて、知りませんでした・・・・。新聞もとってないんでね。((^┰^))ゞ テヘヘ
番組ではドキュメント的に、時間を追ってのその時のその場の雰囲気を伝えてました。 一般記者の方々がいた部屋以外では、一部電波が遮断されて、発表前に外に元号が漏れないように、携帯もスマホも・・・
あらゆるSNSが使えなくなっていたと聞きました。 なんか隔離状態で、トイレに付き添いまでいたとか
そこまで厳重にやるってのも、なんか凄いですけどね。
発表を待つ側としては、確かに先に答えを聞きたいとは思わない。
そんなマスコミと官邸との関係で、歴史を辿ってみるとね・・・・・実は、面白い話しがあるんですよ。( ˆmˆ )
大正時代・・・・・、この 「大正」 という元号を、大阪朝日新聞の
入社1年目の記者に、すっぱ抜かれた事があったんです。
秘密裏にしていたものがなぜバレたのか・・・・、それにはこの人物が、
天皇の顧問機関にいる人物から聞き出してしまったと言った事から、発表前に世の中にバレてしまったという話しでした。(笑)
その時の記者さんは、勿論その後新聞社のトップになったという事でした。(* ̄m ̄)プッ また昭和の時代にも、実は面白い事がありました。
東京日日新聞という新聞社で、「光文」 という新元号が先に出てしまい。 後にそれが 誤報 であったといった事がわかった。 これが元で平成の時には、毎日新聞が先に情報を得ていたんですが、昭和の時の誤報問題が頭を過ぎり、この時彼等は号外を出さなかった。
なんとその毎日新聞が情報を先に入手したのは、発表のわずか35分前だったという。 悲しくも悔しいお話しです。(苦笑)
そこまでこぞって、先手を打ちたい!
この記者魂に立ち向かう為の官邸内での動き。 ある意味スリルある
場面でもあります。(笑) 一部TVコメンテーターなどからは、何故・・・・
そこまでして隠す必要があるのか? 最終案が出揃ったところで、国民にも投票してもらえばいいではないか・・・・なんていう意見もありましたが、やっぱりこれは日本国が 大化 という元号を発表した時から始まる。 長い歴史と元号という言葉に込めた意味とか、くじ引きで決めてしまうようなそんな簡単なものではないといった事もあるだろし、
何より国の政の1つでもあるわけだから、責任というものもあるわけだし、そうわいかないんでしょうね。
イギリスのEU問題のように、あの時誰が投票したしなかったで、後々揉めるような事になってもいけないしね。(笑)
午前9時30分~10時10分頃まで、有職者との意見聴取が始まり。
10時20分頃~衆参両院の正副議長から意見聴取、全閣僚会議にて協議・・・臨時閣議で新元号が決まる。
(発表までの実際の時間のズレはあった。)
そしてこの後11時30分頃・・・・、今回は皆が今か今かと待っている中で、10分ほど遅れて11時40分頃に、やっと菅官房長官より発表となり、その後安倍総理による記者会見が始まったという流れでした。
私も平成の時には、思いもつかなかったけど、今回は記念に残しておこうと、新聞を買いに行ったりこうしてテレビの画面を、撮影して記録したりして、・・・・・。 世の人々も、平成の時にはこうした情報伝達が、
まだテレビやラジオ・マスコミなど号外に頼るしかなかったけど、今や
SNSの発達で・・・・あっという間にリアルタイムに知ることができるようになった。 今回も、ネットでの生中継などを、手元のスマホやPCなどで見ながら、街ゆく人や仕事をしていたりと、世の中も大きく変化してきたわけだ。 なんとそんなご時世、Twitterなどを調査・分析する会社によると、11時40分の発表後・・・・・・
関連する呟きが、夕方までの6時間の間で、 134万698件 もあったとわかっている。 「令和」発表後の42分からのわずか1分間には、
12万件を超えていたというから、その人々の関心とSNSの広まる速さというものには、注目しておきたいものだ。
(4月2日付 読売新聞より)
発表時間になると、まだかまだかと人が集まり続けて、信号が青でも渡る人が少なくなっていった。 東京ではこうだけど、私が住んでいる大分市では、平日の月曜日ということだからか・・・・
町中にはお昼時の買い物に出ているお年寄りが目立ち。
若い人とかは、あまり見かけなかった。 人もまばらで、アーケード街の一角には、去年の終わり頃からか、一部街頭テレビ的なものが付けられている場所があって、いつもは何を流しているのか気に止めた事もないが、この日は街ゆく人が集まり始めて、目の上の方にある高い位置のテレビを、食い入るように見ている人達もいたが、さすがに東京や大阪などの大都会ほどではなかった。
本当に、いつも通りの静かな大分市中心部だった。(´▽`*)アハハ
テレビを見ていると、平成の発表時もこんなにマスコミいたっけ?・・・・
的な感じで、凄い注目度の高さにもびっくり! 30年前は、あんまりこうしたニュース画像も流れてなかったような気がする。
街中での人々の姿とかも・・・・・覚えてないなぁ~~。
平成の発表時、私何してたんだろうか? ( ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄; アリャ?
でもね、今回はしっかりと覚えてるよ。 絶対忘れないわ(笑)
だってね・・・・・・・
私テレビに出てたから・・・・・・(≧∇≦)ブヒャヒャヒャ
実は号外もらおうと、急いで街へ出かけたの・・・・・。 でも市中心部の建物前にいても、テレビクルーとアナウンサーさんが、何か話しをしてたり取材という感じではなくて、街ゆく人達も皆普通にしてたのよ。
それで、建物の下で携帯電話のニュースやTwitter画面で、状況を知ろうと見ていても、何も出てこなくて・・・・・。 そしたら、暫くしていつも見てる地元局アナさんが声かけてきて、下向いてたから驚いたんだけど、 「発表を見てるんですか?」 「出てきましたか?」 って聞かれて、 「やっぱりここまで来るとドキドキわくわくしますよね」 って、自分も注目している事を伝えると、上から携帯を見ている画面を撮らせてもらってもいいですか・・・・って言われて、いいですよってね。(笑)
実際は、アナウンサーさんのスマホ画面が早くて、それを見せてもらっての第一声が、 「なんて読むんですかね?」 (笑)
字幕の 「平安時代・・・」 は、令和というイメージを聞かれたから、正直に最初に思った事を述べたのだよ。( ˆmˆ )
言葉の響きがちょっと古典的だったんでね。 それで、平安時代とかの元号に近いと思って、まっ実際万葉集から取り上げられたというし、
読まれた歌が、都から太宰府へ赴任していた役人など、その中心人物として大伴旅人がまだ珍しい中国から入ってきた梅の花を見ながら、
遊びの1つとして歌詠みをした。 その時の集められたものが、手本となって今回の新元号案へと結びついた。
それが奈良時代 天平2年 (730年) に詠まれた文章がもとになっているそうですが、私のインスピレーションもいい感じと思いません?(笑) 昨日のブログでは、梅ではなかったが桜の写真アップしてたし
今日発表になった「令和」意外の候補だった文字は、・・・・・
万保 (ばんほう) 万和 (ばんな) 広至 (こうし)
久化 (きゅうか) 英弘 (えいこう) でした。
この中で、「英弘」だけが素直にPCでも変換ができました。 後は1つずつの文字変換。 (´ε`;)
この内「万保」 「万和」 「久化」 は中国古典から・・・・・
「令和」を含めた「広至」 「英弘」 が日本の古典からで、
「広至」は「詩経」という中国詩集と、日本書記の中から・・・・・。
「英弘」は、日本書記からだそうです。 昔私の故郷高知には、家電製品のチェーン店をやっていた エイコーチェーン というのがありました。 感じでかくと同じ「英弘」だった。 ちなみにうちの2人の弟の名前の時は、2人とも元号入りしている。 ま~一文字だけだけどね。(笑)
新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香りの如きかおりをただよわせている。 (万葉集 講談社文庫より)
もう既にご承知のように、「和」という時は過去の元号にて、昭和の時代まで19回もありました。 「令」 が使われたのは、今回初めて
有名な方々の意見を聞いていると、「令」という字のもつ言葉の意味合いは、神様のお言葉という意味合いもあるという。
原文で言えば、「令月」 とは 「万事をなすのによい月」 という事らしいが、今の月に当てはめると、丁度梅が咲き始める 「2月」 頃なんだそうです。 「令」は私もアナウンサーさんに口にしたんだけど、
パッと浮かぶのが「命令」や「法令」などの命令的字の意味合いが浮かぶが、それが神様のお告げといった意味がある事に繋がるみたい。
それだけだとクールな感じがするけれど、調和や平和などといった温和な意味合いを持つ「和」が入ることで、素敵な言葉に収まった。
残念ながら、号外を貰いに行ったはずなのに、私まだ街中にいたのにも関わらず。 配られる前に帰ってきてしまって、午後の3時のニュースで気がついて後の祭りとなった。 (ヽ´ω`)トホホ・・
まっ、テレビに映ったんだから、まっいいか・・・・・(笑)
随分前に書いたことがあるけど、梅の花が日本に持ち込まれたのは、
遣唐使から始まりました。 先進的な中国からのこの花を、人々は珍しい植物として尊んだ。 寒さの中で咲く梅の花は、花の中の花として貴族たち愛されて、実は桜の花よりも多くの歌を、万葉集に残しているのです。 梅の花は 118首 桜の花はたった 43首 だけ・・・・・。
でも、遣唐使が廃止となると、中国との文化交流も途絶えてしまい。
人々は桜を詠むようになります。 これも以前紹介した戦国武将である細川忠興の父親 幽斎 の関わった 古今和歌集 では、桜と恋の歌が多く見られるようになり、梅は少なくなってしまった。
幽斎も・・・・素敵な梅の花の歌を詠んでいる。 写真の梅の花は、2月に行った大阪梅田での天満宮内に咲いていた花。
令和という元号が発表になると、平成の時もありましが・・・・・・
全国に同姓同名の人物や会社などないか・・・・土地はないかと、マスコミがこぞって探して報道を始めました。 発表のあった当日の午後には、既に各地に飛んでいたんだから、どこの局でも争奪戦だったんでしょうね。(笑) 横浜には、商店街の会長を務めている令和と書いて、
「のりかず」 と読む方がいらしゃいました。 年齢も様々で、この方は
70代でしたが、他にも40代や小学生まで・・・・・・
でも残念ながら、どの方も 「れいわ」 の発音ではなくて、「令」の字が別の読み方になっていました。 面白いのは偶然にも、あの芸人である カズレザー こと本名 金子和令 (かずのり) さんに注目が集まった事。(笑) 字が反対になってしまってるが、偶然にもてな感じで・・・・本人もびっくり仰天。
愛知県には、明治の頃よりとある地域で、元号名を土地に名付けるといった事が受け継がれていて、多分今回もといったお返事でした。
また急遽会社名を変えてしまった会社も・・・・
全然結びつかないのに、偶然にも今回注目された「令」が入っていて、なんか似ていて・・・・って、まったく違う字の「怜子」なのに、親近感覚えますてな方もいらしゃった。 まっ、これから暫くは、こうしたあやかりが横行するんだろうなと思う。(* ̄m ̄)プッ
初めにご紹介した令和と書いて「のりかず」さんという方によれば、やはり名付け親は神社の宮司さんで、祝詞の中にその字が入っているからといったことからだったそうだ。 やはり神様のお言葉だったんだね。
巷で迷っている方がいるようですが、キャッシュカードや免許証といったものは、今記載されている平成のままでも使えます。
免許で言えば早くて5月から・・・・新しい元号併記となる。 実は私も
今年の誕生日9月9日からの書き換えなので、さっそく令和が付くこととなる。\(^^@)/
硬貨などは、発行まで約3ヵ月半ほどかかるとかで、それで言えば7月中旬頃・・・・・。 今はまだ硬貨の価値は低いけど、平成の硬貨も集めといてもいいんではないかい。(笑) そうゆうの集めるの好きな人もいるでしょ。また 2019年4月生まれの赤ちゃんだと、特別決まりはないので、平成と令和の両方を、併記する可能性もあるんだって、
発表と同時に日本と国交がある国に向けて、新しい元号が横文字の
「REIWA」 として通知された。 このアルファベットでの頭文字 R を使うことも、今回が初めてとなるらしいが、こうして見てみると、漢字2文字でも、横文字アルファベットでも、なんだかカッコ良く思えないかい。
最初に目にして聞いた時には、一瞬 「」 だったけど、その後すぐにこの言葉を口にする度に、文字の持つ音 言霊 の響きが、なんだかとても心地よくて、日本の自然と調和を意識したような言葉と聞けば、・・・・・・・・
むしろ好きにならずにいられない・・・・とも思った次第。 (^_^ゞ
これまでの元号の持つ意味合いは、政治的なものが多かっただけに、
今回の意味合いで選ばれたということは、大いに喜ぶべき事かもしれない。
誰もが平和で安定した戦争のない世の中を願った平成は、戦争こそ
日本では起こらなかったけど、世界中を見れば決して平和とも幸せともいえない事柄が多かった。 日本では、平成と共に自然災害が多く発生して、今も苦しんでいる人達が沢山いらしゃる。
昔なら、災害や災いが多く続くと、その頃の天皇たちは・・・・。
験担ぎのようにして、すぐさま新しい元号を発表したものだ。 今回は
何かと以前書いたブログ記事の引用が多くなるが、土佐には幻の元号が存在している。 その謎の元号と言われた 「天晴」 というものは 「てんせい」 と読み、土佐の東部・中部他 徳島県の三好でも見つかっていて、探せばもしかしてもっと出るかもしれないものだ。 以前そんな幻の元号の事を知って、学んでいるという地元高知県の学生の話題を目にしたこともあったが、一緒に記されている干支が・・・・・
1867年 慶応3年 の頃を指すとされていて、これが幕末動乱の世の中で、人々の間に広まっていた元号だったとわかっている。
明治改元は 1868年 9月8日・・・・・・
その一年前には、既に土佐においては新元号として、広まっていたという事になる。 幕末から明治維新への間の日本国では、様々な事柄があったことは知ってらしゃると思うが、「天晴」と書くだけに・・・・
その元号に込めた祈りは強い。 他にも日本では、1884年 明治17年に蜂起した秩父困民党が使ったとされている 「自由自治」 なる元号もあるそうだよ。 日本国中探してみると、いろいろと出てくるかもね。 こうゆうものは、文書や金石文の中に、正史にはその名を残さない年号・・・ 私年号 と言うらしい。
古代に名を残す 「白鳳」 もそう。 まっ、中には貴重にも、たった
2ヵ月で終わってしまったという・・・・・「暦仁」 というのもある。
令和の持つ意味合いの元号に生まれ変わったからといって、災害がこれからも起こらないわけではない。
ますます緊張を高めるような情勢が、世の中には多く蔓延っている。
新しい時期天皇が即位するまであと 28日
世の中が平和で、人々が笑顔で楽しく暮らせる毎日。 誰しもが夢と
希望を持てる未来。 そんな今は夢のような事柄が、少しでも実現されていける世の中に、これからもなっていて欲しいと思います。