今日は癒しの海に飛び込みました。

 

良かった。ニコニコ

今日は電車の吊革(吊手)の話です。

 

私の地元を走る山陽電鉄の車両で、

一時期三角形の吊手を装着していた車両が

ありました。

 

それは、昭和48年11月に製造された

3056F、3058Fのそれぞれ4両編成で、

それまでの新車及び在来車両には丸形の輪

の吊手が装着されていました。

 

従来の丸い輪の吊手は輪の上に

プラスチック製の鞘が付いていて、

これが皮の部分を締める役割をしていたの

ですが、近鉄はこの鞘が付いていなかった

のでした。

(現在は付いていますが)

 

三角形の吊手は、手で握る部分の上部が

三角形になっていて、その上部は鞘と

一体型になっており、鞘の部分に広告を

入れられるようになっていました。

 

当時は路線バスでもその形の吊手を

よく装着していたと思います。

 

私はその頃まだ小学校2年生の子供で、

それまで丸い輪の吊手ばかり見て来たのが、

三角形の新しいタイプの吊手を装着していた

3056F、3058Fについて凄く斬新に感じた

のでした。

 

その後増備された

3060F、3062F、3064F、3066F、3068Fには

全て三角形の吊手が装着されていて、

それらの編成に組み込むために製造当初は

非冷房車だった 3505、3506、3507、3508 を

冷房改造した際にも吊手を丸い輪のものから

三角形のものに全て交換していたのでした。

 

なので私にとって3056F、3058Fが製造された

昭和48年11月から3068F4連が製造された

昭和56年頃まで、吊手は三角形のものが

最新型である、と認識していたのでした。

 

最も、山陽電鉄線に乗り入れて来ていた

阪急電鉄も阪神電鉄も吊革は全て丸い輪の

タイプのもののみであり、三角形の吊手を

装着していたのは山陽電鉄の当時の新しい

車両のみだったのでした。

 

しかし、昭和57年6月に増備された3070F4連

からは再び元の丸い輪のタイプの吊手を

装着していたのでした。

 

ただし鞘の部分がそれまでの山陽電鉄の

車両に装着されていた小型のものではなく、

阪急、阪神をはじめとする他の鉄道事業者が

一般的に装着していた長方形の鞘に

なっていたのでした。

 

私はその時に、三角形の吊手をずっと

最新式と思っていたのに、また元の丸い輪の

形に戻して登場した3070F4連を見て、

凄く複雑な想いになりました。

 

結局、その次の年に増備された3072F4連、

及び3100+3101も3070F同様の吊革を

装着して登場し、以後の新車も三角形の

吊手を装着して登場した車両はなくなって

しまったのでした。

 

因みに山陽電鉄以外で当時三角形の吊手を

装着していたのは国鉄の一部の車両と

私鉄では西武鉄道の新車くらいで、

その他の鉄道事業者ではほとんど見る事が

無かったと思います。

 

山陽電鉄でもその後、三角形の吊手を装着

していた車両についても、全て丸い輪のタイプ

のものに交換されてしまい、

今はもう三角形の吊手を見ることは出来なく

なってしまいました。

 

国鉄や西武鉄道でも現在は三角形の吊手を

装着している車両は無いと思われます。

 

私の個人的な好みとしては結構三角形の吊手は

見た目も実際の握り心地も好きだったのですが、

何故か上記の通り結局元の丸い輪の吊手に

戻ってしまって、今はもう見ることが出来なく

なってしまいました。

 

因みに山陽電鉄で装着していた三角形の吊手の

鞘の部分には ”長田のういろや” の広告が

長い間入っていたのを憶えています。

 

オレンジ色の地に白い手書きの字体で書かれて

いたのが印象に残っています。

 

少し前にこのブログに書いた、島根県の一畑電鉄の

80型+180型、90型+190型、60型についても、

確か三角形の吊手が付いていたと思われます。

 

いずれも西武鉄道の中古車両でしたので、

西武鉄道時代のものをそのまま装着して一畑電鉄で

使っていたものと思われます。

 

そんな些細な事ですが、それも私が当時の一畑電鉄を

凄く好きだった要因でもあると思います。

 

要するに私は、やはりかなり重度の鉄道マニアで

あったと言う事なのでしょうね。ニコニコ

 

そして、

世の中の諸行無常を感じずにはいられません。真顔

1982年にバンド編成の中で初めてドラムセットを

叩いてから今までずっとドラマーの私ですが、

使用している今のスティックは、1990年頃から

使い始めたものです。

 

材質はオーク(樫)で、メーカーはTAMA、

少し細目のモデルですが重た目のスティック

です。

 

一時期メイプルの材質のスティックを使っていて、

非常に手触りが良くオークよりも軽いので、

かなり叩きやすかったのですが、

その当時所属していたバンドのギターリストの

音量が矢鱈と大きく、その音に匹敵する

ドラミングを実施すると、メイプルのスティックは

頻繁に折れてしまったのでした。

 

当時毎週使っていたリハーサルスタジオは、

私のバンドのリハーサル終了後は、

折れたスティックが数本必ず床に転がって

いたのでした。

 

当時の私はまだ20代で浅墓な若造でしたので、

スタジオのスタッフの方の労苦など全く考えずに、

折れたスティックをそのままにしてスタジオを

出ていましたが、毎週そのスタジオを使っていて、

またそのスタジオは楽器屋さんの経営だったので、

その楽器屋さんで楽器などをよく購入していた

事もあり、一度も苦情を言われた事は無かった

のでしたが、今の私であれば折れたスティックは

自分で持ち帰ります。真顔

 

そんな我儘な使い方をしていたにも関わらず、

そのスタジオのスタッフの方の私に対する

印象は頗る良いのです。

 

理由は、阪神淡路大震災の1週間くらい前に、

知人の結婚二次会を神戸オリエンタルホテルの

一室で実施した際、その二次会の為に

組まれたバンドで私がドラマーとして演奏し、

その時にその楽器屋さんで機材一式をレンタル

させてもらったのですが、その二次会の後、

暫く機材の予約が入っていなかったので、

車に積みっぱなしにしていた所、地震に遭遇し、

その機材だけが全て無事だったそうで、

あの時私が機材をレンタルしてくれたお蔭で、

機材が無事であったと言う事が、私がスタジオに

折れたスティックを放置していた事よりも

スタッフの方達に強く印象に残っていたようで、

私は良い印象で見られているのでした。ニコニコ

 

それでメイプルのスティックがあまりにも頻繁に

折れてしまい、経済的にも芳しくないので、

オークのスティックに変えたのでした。

 

価格もメイプルより安価でしたし。

 

オークのスティックにしてからは折れる頻度が

かなり低くはなりましたが、相変わらずその当時の

ギターリストが大音量で演奏していた為、

やはり時々スティックを折っていたのでした。

 

なので当時(1992年~1993年頃)の私は、

楽器屋さんにスティックを1ダースでいつも注文して

いたのでした。

 

そのスティックを今でも使い続けており、

流石に残りの本数も少なくなって来てはいるものの、

ここ20年以上スティックを折るほどのパワフルな

ドラミングもしていない事から、当時1ダースで

購入したスティックがなかなか全部無くならない

のです。

 

ストックしているスティックが全て無くなったら、

材質やモデルを変えてみたいと思っています。

 

もう少し軽い材質のものに変えて、

私が叩くドラムの音自体がもう少し小さくなる

ようにしたいですね。

 

今のオークのスティックは、軽く叩いてもスティック

の重力が大きい為に結構な音量が出てしまうの

です。

 

しかし個人練習でルーディメントをやる際は、

敢えて既存の重いオークのスティックを使って、

手首の筋肉を鍛えたいと思います。

 

今から思えばあの当時私がドラマーとして

所属していたバンドのギターリストの音量は、

本当にデカかったなあと思います。

 

その音量で弾かないと、自分が納得出来る

ギターの音にならないから、

と言うのがギターリストの言い分でした。

 

普通、バンドで演奏する場合、

ドラムの音量に合わせて他の楽器の

音量が決まって行くと思われるのですが、

あのバンドはギターリストの音量にドラマーの

私が合わせてパワフルに叩かなくては

ならなかったので、今から思うと結構大変

でしたねえ。

 

でも私自身も大音量の中でドラムを叩くのは、

どちらかと言えば好きだったので、

あまり苦にはならなかったですね。

 

と言う訳で、今のオークのスティックが全部

使えなくなったら、メインで使うスティックの材質と

モデルを30年ぶりに変えてみたいと思います。ニコニコ

 

 

去る1月9日のブログに、私がドラマーとして

バンドの加入を希望したいが為に

OURSOUNDSに登録したら私が加入を

希望する前に、私のプロフィールを見て

バンド加入のお誘いを戴いた、

との話を書きましたが、

その中で私の触手が動いてあるバンドに

一応参加させて戴く事になりました。

 

当初は1月29日にリハーサルをする予定が、

急にボーカリストが脱退したとの事で、

その日はキャンセルになっていたのですが、

新たなボーカリストが見つかったとの事で、

来る2月26日に初めてのリハーサルを

神戸のとあるスタジオで実施する運びと

なりました。

 

現在私の個人的な事情で夜のリハーサルが

難しく、場所も神戸のいずれかで、

との条件を満たす事を前提に考えていたのが、

見事にそれを満たしてくれて、

しかもリハーサルのやり方が適当なセッション

ではなく、練習曲をちゃんと決めた上での

リハーサルと言う事で、正に私が望んだ通りの

形で出来そうで、今非常に喜んでいます。ニコニコ

 

練習候補曲も日本のロック、ポップスなので、

馴染みやすくかつ歌がしっかりとしている

楽曲ばかりなので、本当に私にとって

願ったり叶ったりの条件なのです。ニコニコ

 

ここ数年、プロの完成された楽曲を新たに

コピーする事を意識してドラムの個人練習を

実施する事が無かったので、

久しぶりに新鮮な気分で個人練習に

取り組んでいます。

 

候補曲は敢えて今は具体的には書きませんが、

私が10代や20代の頃によく耳にしていた

楽曲が多く、中学時代以来久しぶりに聴く曲も

あり、その頃の私はまだドラマーではなかったので

主にボーカルを聴いていましたが、

その楽曲をドラマーとして改めて40年ぶりくらいに

聴いて

” へえ、この曲はドラムはこんなフレーズで演奏されて

いたのだなあ・・・ ”

と改めて認識出来て、凄く新鮮な感じです。

 

2月26日のスタジオリハ―サルでは

候補曲が7曲ですが、それまでに全曲個人練習を

しっかりやって、即座にピタッと他のメンバーと

合わせられるようにしておきたいと思います。

 

私にとって、2019年1月4日以来の久しぶりの

バンド編成でのスタジオリハーサルなので、

ワクワクしています。ニコニコ

 

どんなメンバーなのかも楽しみです。

 

自分のドラミングを磨く事が出来て、

尚且つ楽しくやれるメンバーだったら良い

んですけどね。

 

2月26日が楽しみです。ニコニコ

 

 

ここ最近このブログで書いて来た

私の過去の毎年春の恒例行事となっていた、

島根県の一畑電鉄への訪問も、

1994年春にて最終回となったのでした。

 

前年の訪問では1月に一畑電鉄がダイヤ改正を

実施していた為、それまでのダイヤでは

松江温泉発電鉄出雲市行の各駅停車に

平田市駅でデハニ50型を増結していた列車が

車両の運用変更により、

平田市での増結がなくなった事で、

デハニ50型の運用時刻が分からなくなって

しまっていたのでした。

 

しかし1993年のある日、鉄道雑誌にダイヤ改正後の

デハニ50型の運用時刻が掲載されており、その

記事を読んで、次回の訪問はこの列車を狙って

乗りに行こう!!と決めていたのでした。

 

その頃は一般企業も学校も土曜日が休みになって、

増結車は月曜から金曜の列車にほぼ限定されて

しまっていた為、1994年3月の一畑電鉄訪問は、

月曜日にわざわざ有給休暇を取得しての訪問と

なったのでした。

 

当時は現在のように有給休暇を簡単にとることが

出来ず、上司を納得させる理由をあれこれと考えて、

かなり気を遣いながら取得した事を憶えています。

 

ダイヤ改正後にデハニ50型を増結している列車は、

私がその前年まで乗車していた列車よりも遅い

時刻に松江温泉を発車する電鉄出雲市行の

各駅停車でした。

 

松江温泉に到着した時点で既にデハニ50型を

デハ20型+クハ100型に増結している状態で、

おそらく平田市の車庫を出庫する時点で、

既に3両編成の状態で運用されていたものと

思われます。

 

従いまして1994年は日曜日の夜に夜行急行だいせん

に乗車して、月曜日の朝に松江に到着する行程で

訪問しました。

 

上記の通り、その前年よりも遅い列車にデハニ50型

が運用されている事が分かっていたので、その年は

JR松江駅から松江温泉駅までタクシーに乗車せず、

徒歩で向かいました。

 

3月でしたので雪は降っておらず、早朝の春の

明るい日差しを感じながら松江の街を歩いて、

旅の気分を味わいました。

 

松江温泉駅に私が到着した時は、まだお目当ての

列車は到着していなかったので、当時の古い駅舎内

の待合室のベンチに座って列車の到着を待ちました。

 

すると程なく目的の電鉄出雲市行各駅停車に

運用されているデハニ52+デハ20型+クハ100型

の3両編成の列車が到着しました。

 

前回のブログに書いた通り、デハニ52は平成4年12月

の全般検査施工の際に車体がカーキ色に窓下白帯に

綺麗に全塗装されていて、1年を経てもまだ綺麗な

状態でした。

 

車内へ入ると残念ながらニスの塗り直しはなされて

いなかったので、木製の壁面や肘掛、窓の桟、框

などは艶の無い状態のままでした。

 

しかし松江温泉から電鉄出雲市まで全線をデハニ52

に乗車出来る事は私にとってこの上ない悦びでした。

 

その頃の私はカセットテープのヘッドフォンステレオを

常に携帯していたので、その日はデハニ52の車内で

走行音を録音しました。

 

因みにその時のカセットテープは現在も私の自宅に

あります。ニコニコ

 

当時はデハニ52だけではなく、クリーム色に窓下青帯の

デハ80型+クハ180型、デハ90型+クハ190型などの

自動扉の車両にも順次全塗装を施しての塗り替えが

進められていて、屋根も灰色の塗料がベンチレーター

も含めて全体的に塗装され、綺麗な状態の車両が

増えていたのでした。

 

デハニ52に意気揚々と乗車して、平田市に到着すると

車庫内には私が予想した通り、デハニ53がピカピカに

カーキ色に窓下白帯に全塗装された状態で留置されて

いるのを見て、嬉しくなりました。

 

おそらく平成6年1月の全般検査施工時にデハニ52と

同様に全塗装が施されたものと思われます。

 

前年にデハニ52が全塗装されたのを見た時に、

おそらくデハニ53も同じように全塗装されるだろうなあ、

と予想していたら見事にそれが当たりました。

 

しかもデハニ53は全塗装のみならず、その際に前照灯

が従来の白熱灯からシールドビーム2灯式に改造

されていました。

 

しかしそのシールドビームは新調したものではなく、

1990年の春以降に踏切で接触事故を起こし、

松江温泉/電鉄出雲市方の前面を損傷して

それ以後修理される事なく平田市の車庫内で

休車になっていたデハ21から移植されたもので

ある事を、デハ21の休車体を見て気付いたの

でした。

 

結局デハ21は1994年に正式に廃車されてしまった

のでした。

 

それと同時にクハ103も廃車になりました。

 

従って1990年の春以降は、デハ23+クハ101で

編成を組んで活躍していました。

 

その日は電鉄出雲市から同じ列車で折り返して

川跡まで行き、そこで大社線に乗り換えて例年通り

出雲大社へ参拝し、参道沿いのいとうと言うそば屋

さんで出雲そばを食べました。

 

そしてそれが私の一畑電鉄訪問の最終回になり

ました。

 

結局1989年以外は、私一人での訪問に終わりました。

 

1994年の夏頃に、デハニ52がお座敷電車に改造

されて、観光用の列車として運用される事が

鉄道雑誌の記事に掲載されていました。

 

それを読んで、

”もうデハニ52に通常の状態で乗ることは出来なく

なってしまうんやなあ・・・・”

と思いました。

 

デハニ53についてはその後も暫くは通常の列車

として運用されていたようですが、デハニ52には

もう普通に乗れないのだ、と思うと残念な気持ちで

一杯になってしまいました。

 

現在もデハニ52は出雲大社駅構内に静態保存

されているし、デハニ53は平田市(現在雲州平田)

の車庫内で”体験運転用”の車両として解体も

されず、綺麗な状態で現存しています。

 

私が一畑電鉄に訪問しなくなってから、29年もの

月日を経て、まだ両車とも健在であるのは嬉しい

事です。

 

しかし、デハニ53も一時期お座敷電車に改造されて

いた事からその時に網棚と吊革が撤去されて、

52、53ともその後の保存に向けてお座敷を撤去し、

元のロングシートに復元されたのは良いのですが、

52は吊革は無いまま、53は網棚が無いままで、

53は一応吊革が復活しているものの、それは元々

装着していたものではなく、後から新調されたもので

違和感は否めず、折角復元するのであれば、

両車ともにもともと装着されていた網棚と吊革に

戻して欲しいと言うのが私の本音です。

 

おそらくお座敷列車に改造した際に、廃棄されて

しまったのでしょう。

 

網棚や吊革くらい、車庫内に保管するスペースくらい

はあったろうに、と思わざるを得ません。

 

因みにデハニ52については網棚の撤去は実施されず、

現在は吊革のみが無い状態です。

 

それとこのブログで過去にも書いているかも

知れませんが、私は鉄道車両と言うものは、

人々の日々の日常に溶け込んでいるものであり、

その地域の人々の暮らしに役立っている姿こそ

が本来の姿である、とずっと思っています。

 

なのでデハニ52、53ともに現在も大事に保存

されているのは有難いのですが、デハニ53の

体験運転にしても、それは本来の鉄道車両の

姿ではない、と言うのが私の持論です。

 

そう言う意味では、デハニ52、53が真に現役の

時代に普通のお客として乗車を体験する事が

出来た私は、幸福者なのかも知れません。ニコ

 

結局1995年から一畑電鉄は、南海電鉄と京王電鉄

の中古車に置き換わってしまい、また上記の通り

デハニ52、53とも一時はお座敷電車に改造されて

しまい、私にとってわざわざ神戸から島根県まで

乗りに行く価値を感じない状態になってしまって、

1994年3月を最後に、一畑電鉄への訪問は

終了となってしまいました。

 

おそらくこれからも、余程の事情が無い限り、

私が一畑電鉄へ乗車する事は、もう二度とない

と思います。

 

あの手動扉のまま、吊り掛けモーターの盛大な

音をさせて85km/hで疾走していた一畑電鉄の

思い出は、私が死ぬ時まで忘れないでいたい

と思います。