ここ最近このブログで続いている私の過去の

毎年春の恒例行事となっていた、

一畑電鉄乗車の思い出、第5回目について

書いてみたいと思います。

 

前回1992年3月の4回目の訪問に続いて、

翌年1993年3月に5回目の訪問となりました。

 

この時も私一人での訪問でした。

 

この年は1月に一畑電鉄がダイヤ改正を

実施した為、車両の運用がそれまでの

ダイヤとは異なっていて、当時はまだ

インターネットなど全く存在しない世の中

でしたので、鉄道雑誌の情報が唯一の

頼りで、その記事を読んでダイヤ改正の

大方の内容を把握するくらいしか出来ない

まま、訪問となりました。

 

その時のダイヤ改正の目的は主に日中の

列車の減便であり、ラッシュ時の運行時刻は

改正前とあまり変わっていないように

思えました。

 

因みに日中は改正前は50分間隔で運転されて

いたものが70分間隔となり、かなり不便になって

しまったのでした。

 

とりあえずラッシュ時の時刻があまり変わって

いないとの情報をもとに、例年通り金曜日の夜、

大阪から夜行急行だいせんに乗車して、

前の年と同じく翌朝に松江で下車、

そこからタクシーで松江温泉駅へと向かいました。

 

ダイヤ改正前に、平田市駅でデハニ50型が

増結されていた松江温泉発電鉄出雲市行の

各駅停車と、ダイヤ改正後もほぼ同じ時刻に

松江温泉を発車する電鉄出雲市行の

各駅停車に乗車する事を目的に訪問しました。

 

松江温泉駅に到着すると、そこに停車していた

のはデハ70型+クハ170型 自動扉車の

2両編成でした。

 

それを見た瞬間に私は、

”ああ、今日はデハニ50型には乗れないなあ”

と分かってしまったのでした。

 

理由は、70型とデハニ50型はブレーキ装置の

形式、機構が異なっているため、混結して

運転する事が出来ない為です。

 

要はその日私が乗車をしようとしていた

ダイヤ改正前にはデハニ50型を平田市駅で

増結していた列車とほぼ同じ時刻に

松江温泉を発車する列車の運用が、

手動扉のデハ20型+クハ100型から、

ダイヤ改正によってデハ70型+クハ170型に

変わってしまっていたのでした。

 

因みにその当時の一畑電鉄は大きく分けて

3つのグループの車両で構成されていました。

 

まずは手動加速制御器と直通空気ブレーキ

(SME、SCE)を装備していた、

デハ20型、クハ100型、デハニ50型、

以上手動扉車で、それに加えて昭和53年に

大社線用ワンマンカーに改造され、自動扉化

されたデハ1型のグループで、

これらの車両はグループ内で相互に混結して

使用が可能でした。

 

2つ目のグループは手動加速制御器と

自動空気ブレーキ(AMA、ACA)を装備していた

デハ70型+クハ170型 の2編成で、

こちらはこの2編成同士でしか混結使用は

出来ませんでした。

扉は自動扉装備です。

 

最後は自動加速制御器と自動空気ブレーキ

(AMA、ACA)を装備していた

デハ80型+クハ180型、デハ90型+クハ190型、

及び両運転台のデハ60型のグループです。

こちらもグループ内の車両同士で混結使用が

可能でした。

こちらも全て自動扉装備車です。

 

しかし、この3つのグループのグループ間での

混結使用は、制御器、ブレーキ装置の相違が

ある為、出来なかったのでした。

 

なので当時の一畑電鉄は日中は3列車で

運用しており、各グループから1編成ずつ

稼働させていた形になりますが、検査の都合

などで、70型は全車入庫していて、

20型のグループが2組と、80型のグループが1組

の3運用で日中運行されていたり、

20型が検査の際には代わりにデハニ50型が

クハ100型と連結して基本編成として運用に

入っていたり、結構バラエティに富んだ車両運用

がなされていて、鉄道マニア向けの状態で

運行されていました。ニコニコ

 

さて、デハニ50型乗車への未練を感じたまま、

松江温泉駅からデハ70型のクロスシートに

座って、大社線と分岐する川跡駅まで乗車し、

車窓を眺めていた私でしたが、車庫のある

平田市駅に到着して、私はセンセーショナルな

ものを見たのでした。

 

そこにはその日乗車する事が出来なかった

2両のデハニ50型のうちの1両であるデハニ52

が留置されていたのですが、

何と車体がピカピカに全塗装されているでは

ありませんか!!!

 

前の年に見たデハニ52は前回のブログにも

書いている通り、修繕個所にだけ塗料が上塗り

されていて車体外部は塗装がムラムラの状態で、

しかも車体の裾には錆びまで浮いていて、

この車両は近々廃車になるのではないのだろうか

との不安を抱いていたところが、

カーキ色に窓下に白帯の塗装のまま

全塗装が施されていて、見違えるほど綺麗に

なっていたのでした。

 

おそらく平成4年12月の全般検査(車検)施工時に

全塗装が施されたものと思われます。

 

一畑電鉄では昭和40年代に、

手動扉車はカーキ色に窓下白帯、

自動扉車はクリーム色に窓下青帯、

と言う形で車両に塗装を施していましたが、

昭和50年代になると何故か手動扉の

デハ20型+クハ100型も自動扉車を示す

クリーム色に窓下青帯に塗装が変更されて

いたのでした。

 

なので元々手動扉を示すカーキ色に窓下

白帯の塗装はデハニ52、デハニ53の2両

のみとなっていたのでした。

 

そう言う事情もあって、デハニ50型は2両

ともに、修繕個所にだけ塗料を上塗りして

カーキ色に窓下白帯のまま使用を続けて

おり、もし全塗装されるのであれば

デハ20型同様にクリーム色に窓下青帯に

なるか、カーキ色に窓下白帯のまま廃車に

なるかのどちらかだろうなあ、と思っていた

ところ、カーキ色に窓下白帯のまま、

綺麗に全塗装されていた事に私はかなり

驚いたのでした。

 

しかしそれを見て私は心底嬉しくなりました。

 

検査を受けてその際に綺麗に全塗装をされる

と言う事は当分の間はデハニ52は使用され、

廃車になる可能性が低くなったと言う事で、

その日デハニ50型に乗車する事は出来ません

でしたが、その事が嬉しくてたまりません

でした。

 

全塗装されたデハニ52を見て意気揚々と

川跡駅で大社線に乗り換えて出雲大社駅へと

向い、前年同様に出雲大社参道沿いにある

いとう と言うそば屋さんで出雲そばを

食べてから出雲大社へ参拝しました。

 

そんな訳で、1993年の一畑電鉄5回目の

訪問は、私にとって嬉しい結果になった

のでした。ニコニコ

 

そして一畑電鉄への訪問のファイナルと

なった、次の1994年の訪問では、

全塗装されて綺麗な姿に生まれ変わった

デハニ52に乗車する事が出来たのですが、

その話はまた別の機会に書いてみたいと

思います。

 

 

 

 

 

前回に引き続き、私の毎年春の恒例行事

となっていた、島根県の一畑電鉄訪問4回目

の思い出について書いてみたいと思います。

 

初回、3回目の訪問同様、この年も私一人

での訪問となりました。

 

前年の1991年は当時私がドラマーとして

所属していたバンドのライブ活動や

レコーディングが2月3月に建て込んだ為、

その年は訪問できずに1992年3月に、

1年空けてようやく訪問出来たのでした。

 

この時も金曜の夜に大阪から夜行急行の

だいせんに乗車して、翌朝出雲市に到着する

予定で出発したのですが、3月14日の土曜日が

JRのダイヤ改正当日で、出雲市駅に到着する

夜行急行だいせんの時刻が、ダイヤ改正前

よりも30分以上遅くなってしまっていたのでした。

 

金曜日の夜はダイヤ改正前で、大阪駅の

出発時刻は改正前の時刻でしたので、

当時は有人改札だった改札口を入る際に、

駅員さんに、

”今から夜行急行のだいせんに乗車しますが、

明日の出雲市駅の到着時刻は改正前の

時刻なのでしょうか?それとも改正後の時刻

でしょうか?”

と質問すると駅員さんは、

”改正前の時刻に到着します”

と答えてくれたので、私は安心して計画通り

出雲市まで乗車する事にしました。

 

しかし、だいせんに乗車して、車掌さんの

アナウンスをよく聴いてみると、

”この列車は〇〇駅で、〇十分停車します”

との放送がありました。

 

要は、14日はダイヤ改正当日の為、

13日の夜に大阪駅を出発する時刻は改正前の

時刻、出雲市駅に到着する時刻は改正後の

時刻と言う事になっていたのでした。

 

なので、改札の駅員さんは私に嘘を吐いた事に

なってしまうのですが、

”まあ仕方ないか”

と思って、寝台車の中で明日の計画について

検討しました。

 

改正後の時刻に出雲市駅に到着したのでは、

前回の1990年3月に乗車した 各駅停車 

松江温泉行 はおろか、1988年2月の初回訪問時

に乗車した 急行 松江温泉行 にすら

間に合わないのでした。

 

仕方が無いので、手前の松江駅で途中下車

(切符は出雲市駅まで買っていました)して、

そこからタクシーに乗車して、

松江温泉駅へ向かいました。

 

要は、平田市駅でデハニ50型が増結される

松江温泉発電鉄出雲市行 の各駅停車に、

始発駅の松江温泉から乗車して、

デハニ50型に乗車出来るように予定を

変更したのでした。

 

松江温泉駅に到着すると、

手動扉のデハ20型+クハ100型2両編成の

電鉄出雲市行 各駅停車がホームに

停車していて、私はデハ20型のクロシスートに

座って、平田市駅まで乗車しました。

 

平田市駅に到着するとデハ20型から降車して、

そこで増結されるデハニ50型に乗り換えました。

 

私が乗車していた列車が平田市駅に到着

した時は、増結用のデハニ52はまだ平田市の

車庫にいて、出庫準備の最中でした。

 

車庫内で一畑電鉄の職員の方が緑色の旗を

振って、デハニ52の運転士さんに出庫の指令を

出すと、フワ――――ンと大きな音で

タイフォンを鳴動させて、デハニ52は一旦

出雲市方面の本線へと出て行きました。

 

暫くすると本線上からデハニ52がやって来て、

平田市駅のホームに停車中の

各駅停車 電鉄出雲市行 の先頭車

デハ20型に連結されました。

 

連結が完了するとすぐにホームの一番前で

乗車を待っていた会社員と思われる男性が、

ガラガラと音を立ててデハニ52の手動扉を

手で開けて車内へと入り、私もそれに続き

ました。

 

1988年、1990年ともに私はデハニ53に乗車した

ので、デハニ52は初めての乗車でした。

 

車内はデハニ53同様木製ニス塗りですが、

やはりニスがかなり以前に塗られたようで、

あまり艶が無く、ニスも縮んでしまっていて、

美しいニス塗りと言う訳ではありませんでした。

 

しかしデハニ53よりニスの色が濃いので、

より重厚な雰囲気で、窓枠もデハニ53は

全てアルミサッシに交換されていましたが、

デハニ52は木枠のままなので、より古風な

雰囲気でした。

 

扉は新しく作り変えられていたようで、

そこだけニスの色が明るく、艶がある状態

でした。

 

おそらく平田市の車両工場内の木工職場の

職人さんが手作りで作られたものだと思われます。

 

新しい扉と言っても木製であり、デハニ52が

製造当初から装着していた木製扉と全く同じ

仕様のものが新しく作り直されていました。

 

このような場合、大手私鉄や国鉄(JR)のような

大規模な鉄道事業者では旧型車両の扉が

老朽化して新しいものに取り換えられる際に、

ステンレス製や鋼製のメーカー製品に取り換える

ケースがほとんどですが、一畑電鉄ではわざわざ

木製の扉を手作りで作り直しているところが、

実に味わいがあって良いなあと思いました。

 

しかしその頃のデハニ52は、デハニ53も含めて

車体外部の塗装がかなり傷んでおり、

修繕個所だけ塗装をしなおしている状態で、

車体の色がムラムラで、上記の作り変えられた

木製扉だけが綺麗に塗装され、その周辺の車体の

塗装ははっきり言って汚い状態でした。

 

更にデハニ52は車体の裾の部分に錆びまで浮いて

いて、もしかしたら近いうちにデハニ52、53ともに

廃車になってしまうのではないか、と言う不安な

気持が芽生えてしまいました。

 

その列車と平田市駅で行き違いをする、

1990年3月に私が平田市から松江温泉まで乗車した

急行 松江温泉行 がデハニ52の増結作業中に

平田市駅に到着しましたが、その日は

デハ20型+クハ100型 の2両編成の列車が

運用に就いており、増結車が無い状態でした。

 

その列車を見て、増結作業中の一畑電鉄の

職員の方達の

”今日の急行は2両連結か・・・・”

との会話が印象に残っています。

 

私も正直なところ、増結車が無いまま2両編成で

運用についていてるその急行列車を見て、

複雑な想いがしました。

 

その頃になると土曜日が休日の企業が島根県内でも

増加して、土曜日の朝ラッシュ時の乗客数が

減少していたのだろうと思います。

 

だから私が乗車を目的としている列車は、

従来通り平田市駅でデハニ50型が増結されたので、

良かったなと思いました。

 

目的のデハニ52で電鉄出雲市駅まで乗車して、

折り返しの松江温泉行 各駅停車に乗車して

大社線と接続している川跡駅まで向かいましたが、

増結のデハニ52は残念ながら折り返し列車では

回送扱いとなり、平田市駅で切り離されてしまう

ので、扉は施錠されてお客さんは乗車出来ない為、

私はデハ20型に乗車しました。

 

川跡駅で大社線に乗り換えて、

デハ3 1両編成で運用されている出雲大社行

各駅停車に乗車して出雲大社駅へ向かいました。

 

上記の通り、JRのダイヤ改正の為に夜行急行

だいせんの出雲市駅の到着時刻が遅くなり、

急遽予定変更して松江温泉から一畑電鉄に乗車

した為、例年モーニングセットを食べた喫茶湖北

へ入ることが出来ず、その年は出雲大社駅を

下車して、出雲大社までの参道沿いにある

いとう と言うそば屋さんに入って、朝から出雲そば

を食べました。

 

私は昔からそばが大好きなので、

朝食としてそばを食べるのも全然苦ではなく、

美味しく戴きました。

 

それから例年通り、出雲大社を参拝して、

また一畑電鉄で松江温泉まで行き、

その年はJR松江から特急やくもに乗車して、

帰路につきました。

 

という訳で4回目の訪問はデハニ50型のうちの

デハニ52に初乗車出来たので、

私は満足でした。ニコニコ

 

5回目の訪問はその次の年の1993年3月

でしたが、その話はまた別の機会に書いて

みたいと思います。ニコニコ

という訳で、前回のブログに引き続き、

過去に私の毎年の恒例行事となっていた、

島根県の一畑電鉄訪問3回目の思い出に

ついて書いてみたいと思います。

 

前回の1989年2月の訪問は、鉄道趣味友達の

F君と2人での訪問でしたが、1990年3月の

一畑電鉄訪問は、1988年2月の初回訪問と同じ、

私一人での訪問となりました。

 

行程は金曜日の夜に大阪から夜行の急行だいせん

に乗車して、土曜日の朝出雲市に到着するのは前回、

前々回と同じでしたが、3回目の訪問は私一人での

訪問であったので、初回と同じく平田市駅で増結される

デハニ50型への乗車を狙って訪問しました。

 

しかし初回訪問時の急行 松江温泉行で

平田市へ向かった場合、平田市での滞在時間が

短く、万が一切符売り場が混雑していて切符を

買うのに手間取ったりしていると、お目当ての

デハニ50型を連結した電鉄出雲市行きの

普通列車が発車してしまう危険があるので、

前の年にF君と乗車した、急行 松江温泉行

よりも1本早い 各駅停車 松江温泉行に

乗車して平田市へ向かいました。

 

すると、2駅目の大津町で電鉄出雲市行きの

列車と行き違いをした(一畑電鉄は全線単線

の為)のですが、その列車は私が乗車している

列車の次に電鉄出雲市を発車する 急行

松江温泉行となる列車なのでした。

 

それで大津町駅に到着して、行き違いの列車を

みると、な、なんと、その列車にデハニ53が

連結されているではありませんか!!!

 

通常ではその電鉄出雲市発 松江温泉行きの

朝の急行列車は70型の4両編成が主に運用に

入るか、80型、もしくは90型に、デハ60型1両を

増結した3両編成が運用に就くのですが、

その日は何と主に各駅停車に使用される

手動扉のデハ20型+クハ100型にデハニ53を

増結した3両編成が運用に就いていたのでした。

 

とりあえず私は乗車している列車で平田市まで

行き、平田市駅で下車してそこで電鉄出雲市行

の各駅停車に増結されるデハニ52に乗車するか、

私が乗車した列車の次にやって来る松江温泉行

の急行列車に乗車するか随分考えましたが、

1988年の初回訪問時に増結されるデハニ50型に

乗車したので、折角急行列車としてデハニ53が運用

されているのであれば、松江温泉までデハニ53に

乗車する事に、予定を変更したのでした。

 

平田市駅に 急行 の表示板を正面に誇らしげに

掲出したデハニ53他3両編成の急行 松江温泉行

が到着すると、私は迷わずデハニ53の手動扉を

自分の手でガラガラと音を立てて開けて、

木製ニス塗りの車内へ入り、

ワインレッド色のシートに座りました。

 

発車のベルが鳴り、デハニ53で運用されている

急行 松江温泉行 が発車しました。

 

平田市駅を出ると、重々しい吊り掛けモーターの

音をさせてグングン加速して、かなり長い間

運転士さんはノッチオン(モーターへの通電)を

続けて、最高速度の85Km/hで、カタン コトンコトン

とレールの継ぎ目を車輪が踏んだ時に発する

心地よいリズムを刻みながら軽快に走行して

いました。

 

私は一畑電鉄の中でも最も乗車したい車両である

手動扉のデハニ53が急行列車として高速で走行

するのを体感して、大興奮していました。

 

終点の松江温泉まで急行列車らしい走りを続けて

くれて、その日の私は大満足でした。ニコニコ

 

まさかデハニ50型が急行列車に運用されるなんて、

想像もしていなかったので、本当にその日の

一畑電鉄訪問は私にとってセンセーショナルな

内容だったのでした。

 

松江温泉駅に到着してからは例年通り、湖北と言う

喫茶店でモーニングセットを食べて、また松江温泉駅

から、それまで乗車して来た編成で出雲大社へと

向かいましたが、増結のデハニ53は松江温泉駅に

到着後に切り離されてしまうので、私はデハ20型の

クロスシートに座って川跡駅までの乗車を楽しみ

ました。

 

前回のブログに書いた通り、その当時の一畑電鉄は、

デハニ50型以外の車両も全て魅力溢れる車両ばかり

でしたので、デハ20型の乗車も私にとって楽しい

時間なのでした。

 

川跡駅で大社線に乗り換えとなり、

大社線用に運用されているデハ6 1両編成の列車に

乗車して出雲大社前駅へと向かいました。

 

大社線は支線ではありますが、駅間距離が長い事も

あって、昭和2年製造の1両編成の車両でも、

60km/h以上の速度で軽快に走行するのです。

 

そんな訳で、私にとっての当時の毎年春の恒例行事

となっていた、3回目の一畑電鉄訪問は、

デハニ50型で運用されていた急行列車に乗車する

事が出来て、大満足大興奮にて終了したのでした。ニコニコ

 

その次の第4回目の訪問は次の年の1991年春に

なると思いきや、その年は私がドラマーとして所属

していたバンドのライブ活動が忙しく、

その為に訪問することが出来ず、結局1992年3月

になってしまったのでした。

 

その内容についてはまた別の機会に書かせて戴き

たいと思います。

前々回のブログで、私が一時毎年島根県の

一畑電鉄に乗りに行っていた話を書きましたが、

各年度の思い出について書いてみます。

 

前々回のブログに書いている通り、

初回が1988年2月下旬でした。

 

あの時はまだ私は学生で、その年の3月21日

から就職予定先の企業の研修に行く事に

なっていたので、学生最後の自由な日々を

謳歌していた時でした。

 

2回目の訪問は1989年2月。

この時は私が小学校1年の時から鉄道趣味で

友達になったF君と同行しました。

私は社会人1年生になっていました。

 

金曜の夜に夜行の急行だいせんに大阪から

F君と乗車し、土曜日の朝出雲市に到着する

行程でした。

 

この時は前の年の行程と異なり、平田市で

増結されるデハニ50型を狙って行ったのではなく、

その時その時に到着した車両に乗車すると言う

形で楽しみました。

 

当時はまだ土曜日に出勤する企業が多く、

最初に電鉄出雲市から乗車した各駅停車

松江温泉行のデハ80型+クハ180型2両編成の

列車は、松江温泉駅到着の際には車内は

通勤客で満員になっていました。

 

松江温泉駅で下車後、前の年に私が一人で入って

モーニングセットを食べた湖北と言う喫茶店に

F君と2人で入って一緒に朝食を取りました。

 

余談になりますが、その喫茶店は前年に入った

のが初めてではなく、1985年の1月頃に当時

付き合っていた彼女と入ったのが初だったの

でした。

 

なので前の年にそこへ一人で入った時は、

懐かしいなあ、前に来た時は彼女とここへ

入ったなあ、と思いながらモーニングセットを

食べていました。

 

その喫茶店からは松江温泉駅のホームが

見えて、我々が食事をしている時に、

70型4両編成の急行 松江温泉行きの列車が

到着したのが見えましたが、その列車からも

沢山の通勤客が降車したのを憶えています。

 

朝食を食べ終えてまたF君と松江温泉駅から

一畑電鉄に乗車し、車庫のある平田市駅で降りて、

2人で車庫の周辺道路から車庫内を眺めました。

 

そこにはその日乗車する事が出来なかった

デハニ50型が2両とも休んでいて、今日は残念

ながらデハニ50型には乗れないみたいやなあ、

とF君と会話していました。

 

デハニ50型は朝の増結用の他に、

デハ20型が検査入場している時にピンチヒッター

としてクハ100型と連結して、基本編成として

運用される事もあったので、

その日は二人でそれを少し期待して訪問したの

でしたが、残念ながらデハ20型が検査に入って

いなかった為、デハニ50型は本来の増結運用

のみに入っていて、それが終わると平田市の

車庫にその日は入ってしまっていたのでした。

 

しかし当時の一畑電鉄は、

私にとってもF君にとっても全ての車両が

魅力あふれる車両ばかりでしたので、

一畑電鉄に乗れればそれだけで十分楽しかった

のでした。

 

その当時は一畑電鉄開業時に自社発注で

用意されたデハ3、デハ6 の2両が、

大社線専用車のワンマンカーに改造されていて、

毎日どちらかが1両編成で川跡⇔出雲大社前間

を機織り運転していました。

 

製造当初は手動扉でしたが、

昭和53年のワンマン化改造の際に、

自動扉に改造されています。

 

デハ1型、デハニ50型を2扉クロスシートに

改造したデハ20型は3両在籍していて、

クハ101~クハ103とほぼ固定編成を組んで、

主に各駅停車に使われていましたが、

上記の通りデハ20型が検査入場などの際には、

デハニ50型とクハ100型が2両編成を組んで、

使われる事もありました。

 

クハ100型は西武鉄道から購入した中古車両で

3扉ロングシート車でしたが、

デハ20型とともに手動扉の車両でした。

 

そして西武鉄道から中古車両を購入し、

2扉クロスシートに改造した70型は

デハ71、72、クハ171、172 の4両が在籍し、

デハ+クハで固定編成を組んで、朝ラッシュ時

にはこれを2組連結して4両編成で急行列車

として使われていました。

この車両は自動扉装備でした。

 

更にやはり西武鉄道から中古車両を

購入して整備したデハ80+クハ180 が

3編成、デハ91+クハ191 の1編成に、

単行、及び増結用として両運転台に改造

されたデハ61、62の2両が在籍していました。

デハ70型が検査入場の際には、

これらの形式で3両編成を組んで朝ラッシュ

の急行列車にも使われていました。

このグループも自動扉装備車です。

 

そしてデハニ52、53の2両のみ外部塗色が

カーキ色に窓下に白帯で、

それ以外の車両は全車両クリーム色に

窓下に青色の帯でした。

 

足回り(台車、モーター、制御器、ブレーキ装置

など)は全車両戦前製の部品が使われており、

吊り掛け駆動車のみでしたので、

どの車両に乗車しても吊り掛けモーターの

重々しいサウンドを楽しむことが出来たし、

レールも溶接されていなかったので、

カタンカタンコトン と言う心地よいリズムを

聴くことが出来たのでした。

 

帰りはJR出雲市駅から特急やくも にF君と

乗車し、岡山から新幹線で姫路まで乗車、

姫路から自宅最寄駅まで山陽電鉄に乗車し

帰宅しました。

 

F君とは自宅がお互いに近かったので、

最寄り駅も当然の事ながら同じでした。

今はF君が結婚して引っ越しているので

違う場所に住んでいますが。

 

と言う事で、一畑電鉄2回目の訪問は、

鉄道趣味友達のF君と2人で楽しく過ごした

のでした。ニコニコ

 

長くなるので1990年の3回目の訪問については、

また別の機会に書いてみたいと思います。

今日は癒しの一時を過ごす事が出来ました。

 

良かった。ニコニコ