ここ最近このブログで続いている私の過去の
毎年春の恒例行事となっていた、
一畑電鉄乗車の思い出、第5回目について
書いてみたいと思います。
前回1992年3月の4回目の訪問に続いて、
翌年1993年3月に5回目の訪問となりました。
この時も私一人での訪問でした。
この年は1月に一畑電鉄がダイヤ改正を
実施した為、車両の運用がそれまでの
ダイヤとは異なっていて、当時はまだ
インターネットなど全く存在しない世の中
でしたので、鉄道雑誌の情報が唯一の
頼りで、その記事を読んでダイヤ改正の
大方の内容を把握するくらいしか出来ない
まま、訪問となりました。
その時のダイヤ改正の目的は主に日中の
列車の減便であり、ラッシュ時の運行時刻は
改正前とあまり変わっていないように
思えました。
因みに日中は改正前は50分間隔で運転されて
いたものが70分間隔となり、かなり不便になって
しまったのでした。
とりあえずラッシュ時の時刻があまり変わって
いないとの情報をもとに、例年通り金曜日の夜、
大阪から夜行急行だいせんに乗車して、
前の年と同じく翌朝に松江で下車、
そこからタクシーで松江温泉駅へと向かいました。
ダイヤ改正前に、平田市駅でデハニ50型が
増結されていた松江温泉発電鉄出雲市行の
各駅停車と、ダイヤ改正後もほぼ同じ時刻に
松江温泉を発車する電鉄出雲市行の
各駅停車に乗車する事を目的に訪問しました。
松江温泉駅に到着すると、そこに停車していた
のはデハ70型+クハ170型 自動扉車の
2両編成でした。
それを見た瞬間に私は、
”ああ、今日はデハニ50型には乗れないなあ”
と分かってしまったのでした。
理由は、70型とデハニ50型はブレーキ装置の
形式、機構が異なっているため、混結して
運転する事が出来ない為です。
要はその日私が乗車をしようとしていた
ダイヤ改正前にはデハニ50型を平田市駅で
増結していた列車とほぼ同じ時刻に
松江温泉を発車する列車の運用が、
手動扉のデハ20型+クハ100型から、
ダイヤ改正によってデハ70型+クハ170型に
変わってしまっていたのでした。
因みにその当時の一畑電鉄は大きく分けて
3つのグループの車両で構成されていました。
まずは手動加速制御器と直通空気ブレーキ
(SME、SCE)を装備していた、
デハ20型、クハ100型、デハニ50型、
以上手動扉車で、それに加えて昭和53年に
大社線用ワンマンカーに改造され、自動扉化
されたデハ1型のグループで、
これらの車両はグループ内で相互に混結して
使用が可能でした。
2つ目のグループは手動加速制御器と
自動空気ブレーキ(AMA、ACA)を装備していた
デハ70型+クハ170型 の2編成で、
こちらはこの2編成同士でしか混結使用は
出来ませんでした。
扉は自動扉装備です。
最後は自動加速制御器と自動空気ブレーキ
(AMA、ACA)を装備していた
デハ80型+クハ180型、デハ90型+クハ190型、
及び両運転台のデハ60型のグループです。
こちらもグループ内の車両同士で混結使用が
可能でした。
こちらも全て自動扉装備車です。
しかし、この3つのグループのグループ間での
混結使用は、制御器、ブレーキ装置の相違が
ある為、出来なかったのでした。
なので当時の一畑電鉄は日中は3列車で
運用しており、各グループから1編成ずつ
稼働させていた形になりますが、検査の都合
などで、70型は全車入庫していて、
20型のグループが2組と、80型のグループが1組
の3運用で日中運行されていたり、
20型が検査の際には代わりにデハニ50型が
クハ100型と連結して基本編成として運用に
入っていたり、結構バラエティに富んだ車両運用
がなされていて、鉄道マニア向けの状態で
運行されていました。![]()
さて、デハニ50型乗車への未練を感じたまま、
松江温泉駅からデハ70型のクロスシートに
座って、大社線と分岐する川跡駅まで乗車し、
車窓を眺めていた私でしたが、車庫のある
平田市駅に到着して、私はセンセーショナルな
ものを見たのでした。
そこにはその日乗車する事が出来なかった
2両のデハニ50型のうちの1両であるデハニ52
が留置されていたのですが、
何と車体がピカピカに全塗装されているでは
ありませんか!!!
前の年に見たデハニ52は前回のブログにも
書いている通り、修繕個所にだけ塗料が上塗り
されていて車体外部は塗装がムラムラの状態で、
しかも車体の裾には錆びまで浮いていて、
この車両は近々廃車になるのではないのだろうか
との不安を抱いていたところが、
カーキ色に窓下に白帯の塗装のまま
全塗装が施されていて、見違えるほど綺麗に
なっていたのでした。
おそらく平成4年12月の全般検査(車検)施工時に
全塗装が施されたものと思われます。
一畑電鉄では昭和40年代に、
手動扉車はカーキ色に窓下白帯、
自動扉車はクリーム色に窓下青帯、
と言う形で車両に塗装を施していましたが、
昭和50年代になると何故か手動扉の
デハ20型+クハ100型も自動扉車を示す
クリーム色に窓下青帯に塗装が変更されて
いたのでした。
なので元々手動扉を示すカーキ色に窓下
白帯の塗装はデハニ52、デハニ53の2両
のみとなっていたのでした。
そう言う事情もあって、デハニ50型は2両
ともに、修繕個所にだけ塗料を上塗りして
カーキ色に窓下白帯のまま使用を続けて
おり、もし全塗装されるのであれば
デハ20型同様にクリーム色に窓下青帯に
なるか、カーキ色に窓下白帯のまま廃車に
なるかのどちらかだろうなあ、と思っていた
ところ、カーキ色に窓下白帯のまま、
綺麗に全塗装されていた事に私はかなり
驚いたのでした。
しかしそれを見て私は心底嬉しくなりました。
検査を受けてその際に綺麗に全塗装をされる
と言う事は当分の間はデハニ52は使用され、
廃車になる可能性が低くなったと言う事で、
その日デハニ50型に乗車する事は出来ません
でしたが、その事が嬉しくてたまりません
でした。
全塗装されたデハニ52を見て意気揚々と
川跡駅で大社線に乗り換えて出雲大社駅へと
向い、前年同様に出雲大社参道沿いにある
いとう と言うそば屋さんで出雲そばを
食べてから出雲大社へ参拝しました。
そんな訳で、1993年の一畑電鉄5回目の
訪問は、私にとって嬉しい結果になった
のでした。![]()
そして一畑電鉄への訪問のファイナルと
なった、次の1994年の訪問では、
全塗装されて綺麗な姿に生まれ変わった
デハニ52に乗車する事が出来たのですが、
その話はまた別の機会に書いてみたいと
思います。