前回のブログの内容に関連する話になりますが、

夫婦っていう関係性の奥深さ、難しさ、難解さを

感じている私です。

 

私は60年生きて来て一度も夫婦関係と言う

ものを持った事が無いのですが、

であるから尚更不可解に想ってしまうのです。

 

下記のリブログのケースにしてもそうだし、

私が過去にドラマーとして所属していたバンドの

ギターリストの友人の方の話を聞いた際にも

感じてしまった事です。

 

その話と言うのは、ギターリストの友人の方が

個人で100円ショップを開設し、

開設当初は順調に売上を伸ばして利益も出して

いたのですが、大型店の進出等で徐々に客足が

減って挙句の果てには閉店に追い込まれて

しまったとの事。

 

売上が順調な時は、笑いが止まらへん、と

ギターリストの方に話したりしていたそうですが、

お店が閉店に追い込まれると、奥さんから離婚

されてしまって、それ以来ずっとお一人に

なってしまったとの事。

 

この話を聞いた時に私は、

”夫婦って、お互いが苦しい時に助け合って行くもの

ではないのか?お店が閉店したから離婚って、

それはあんまりではないのか?”

と感じて、ギターリストの方にもそのように

コメントしたのを記憶しています。

 

ただその話を聞いたのが今から15年以上昔で、

今の私は少し違った気持ちもあって、

”生活の保証がなくなってしまったのであれば、

離婚も仕方がないのかな?結局夫婦って、

そんなものなのかなあ・・・、まあ人それぞれ

ではあるのでしょうけど”

とも思うようになっているのでした。

 

いずれにしも元々他人同士が同じ屋根の下で生活を

共にすると言う事は、大変な事ではあると思います。

 

私は元来一人でいる事があまり苦にならない性格なので、

余計にそう思う節はあるのですけどね。

 

だからずっと独身でもあり、その事を特に何とも

想っていないのです。

 

そう言えば少し話は変わりますが、

先日中村雅俊さんの奥様の五十嵐淳子さんが

急逝されましたが、五十嵐淳子さんについて、

昔私の母と兄とが会話していた内容を思い出しました。

 

兄は中村雅俊さんが昔から好きだったのですが、

ある時何かのきっかけで母と兄の会話で母が、

”あんた五十嵐淳子さんみたいな人が好きなん?”

と問うと兄は、

”ああ好きやで、でもそれは中村雅俊さんの嫁さん

やから好きなだけや”

と答えていたのを今でも憶えています。

 

こう言う事って私も想う所ありで、

下記のリブログに書いている通り、

私に失礼なコメントをして来たメンバーは、

15年以上に渡って一緒にバンド活動も共に

して来たドラマーの旦那さんの奥さんだから、

私も好意的に16年(ブランクの期間はあり)

にも渡って一緒に音を出して来たのでした。

 

しかし、旦那さん以外のメンバーに洗脳された

事をきっかけに私を批判して来た事は、

怒りの気持ちと同時に残念と言う他は無い、

と言う気持ちもあるのです。

 

しかも私のドラミングを批判したメンバー

がメインで活動していたバンドのメンバーは、

その旦那さんにまで失礼な事をしている事が分かって、

私にしてみれば

”あんた奥さんでありながら、旦那さんがレコーディング

の時にメンバーから恫喝されて無理やりドラムを叩かされる

事態になって、旦那さんの味方してあげなかった訳??

あんたは旦那さんよりバンドのレコーディングの方が

大事だった訳ね??”

との想いがあって、余計に腹が立ってしまった、

と言うのが本当に正直な気持ちと言って良いでしょう。

 

でまあそんなのが夫婦と言う事であれば、

私は結婚なんてしなくて良かったなあ、

としみじみ思います。

 

以下リブログです。

 

前回のブログに書いている私が未だに不愉快な

想いをしている事柄について。

 

きっかけと言うか私のドラミングを批判する根拠となった

内容を下記にリブログしておきます。

 

であれば ”心底気持ち悪い” んです。

 

2017年に11月に逝去した私に不快なコメントをして

来たメンバーの旦那さんが私にコメントした事をきっかけに

私を批判して来た、と言うのであれば私だってある意味納得

する部分はあるのです。

 

だって夫婦なんだから。

 

旦那さんを尊敬している奥さんが旦那さんが言う事に

洗脳されるのであれば、私は笑ってコメントをそのまま

受けてあげます。

 

しかも同じバンドのメンバーとして長年一緒に活動も

して来たご夫婦であれば尚更です。

 

それはそれで微笑ましいと思えるし、

本当にご夫婦の仲が良いんだなあ、

と私は快く感じることすら出来ます。

 

しかし下記に書いている内容は、

もともと私のドラミングに批判的なコメントをしたのは

そのメンバーの旦那さんではなく、

私に不快なコメントをしたメンバーがメインとして活動

しているバンドの別のメンバーである訳です。

 

であれば本当に気持ち悪いとしか言いようがありません。

 

旦那さんでもない、バンドのメンバーであると言うだけの

人物がコメントした内容に洗脳されて私を批判して来たので

あれば、

”あんたら一体どんな関係な訳??”

と私は思わざるを得ないのです。

 

身体に悪寒が走るくらい気持ち悪いです。

 

そんな気持ち悪い関係の奴らとは二度と関わり合いに

なりたくないし、同じ神戸の空気を吸っているのかと

想うだけでも私は不快です。

 

今後私がバンド活動をする上で、

たまたま同じライブ会場でそのメンバー達と顔を

合わせるような事があれば、最悪だと思っています。

 

まあまず今の状況ではそれは無いに等しいとは思い

ますが、いつどこでそうなるかは分かりませんからね。

 

同じ神戸市内で活動しているメンバーではあるし。

 

まあそんな訳で、私に不快なコメントをして来た

メンバーの根拠については私の憶測は大きく外れては

いないと思います。

 

以下リブログです。

 

今年の3月11日の内容をリブログしますが、

(その中にも2020年5月28日の内容のリブログ有)

この件は思い出すたびに納得が行かないし、

腹が立って仕方が無いし

”気持ち悪い”

のでまたも書いてやります。

 

私のドラミングに対して失礼なコメントをして来た

メンバーがもともとメインで活動していたバンドの

ギターリスト(2022年11月に急逝)からも

私のドラミングについて高評価を戴いていたし、

私のドラミングを批判して来たメンバー自身も、

そのギターリストが私のドラミングを高評価している、

と私に言って来た事もあるのです。

 

また私に 失礼なコメントをして来たメンバーの

旦那さん(私に失礼なコメントをして来たメンバーが

メインとしていたバンドのドラマーでもあった)

が2017年11月に逝去されましたが、

2018年11月に実施したその方の追悼ライブに

私が出演した際にも、私に失礼なコメントをして来た

メンバーがメインとして活動していたバンドの

ギターリストが、直接私に私のドラミングを高評価

するコメントまでしてもらっているのです。

 

特にその日の私のドラムソロについては起承転結が

熟考された良いソロであったとまで言ってもらって

いるのです。

 

にも関わらず、何故私のドラミングについて、

しかも私と同じバンドで16年も一緒に活動して来た

メンバーから急に批判的なコメントをされなくては

ならなかったのか、本当に

 

”気持ち悪い”

 

んですねえ。

 

 

そうとしか言いようがありません。

 

以下リブログです。

 

リブログもしておきますが、過去にこのブログで何度か

書いて来た、私にとって”魔の暦”にあたる年があると言う

話で、やはりそれは28年周期でやって来ている事に最近

気付いてしまいました。

 

10000年カレンダーと言うサイトで、西暦何年と何年が

同じ暦になるかと言う事を確認出来るのですが、

それが28年周期なのです。

 

私にとって特に閏年になる”魔の暦”になる年は、

1968年、1996年、2024年なのですが、

この3年については、前後の年にまで悪い事が

色々と起こっている事に気が付いてしまいました。

 

それについては下記のリブログに特に1996年前後と

2024年前後の対比について書いているのですが、

よくよく考えてみると、1968年の前後も私にとって

地獄の想いをした年なのでした。

 

1968年は私がまだ3歳で物心ついたばかりの頃なので、

あまり悪い年だった印象は無いのですが、問題は

1970年

です。

 

この年は私が幼稚園の年少組に4月から入園する事に

なった年なのでしたが、当時の私にとって幼稚園へ

毎日通うようになった事は地獄の始まりだったの

でした。

 

私の家は両親とも割と放任主義で、子供に対して

そんなに厳しくもなく愛情豊かに接してくれていて、

私は家で両親と一緒に過ごせる事に凄く満足して

幸福な気持ちを持っていたのでした。

 

それが1970年の4月のある朝、母に訳がわからないまま

スモッグを着せられて幼稚園へ連れて行かれ、

その日から毎日そこへ通わなければならない事を

入園当日に初めて知った私は、それまでの幸福な生活と

全く違った生活を強いられる事になり、正に地獄の

想いだったのでした。

 

入園式当日は父兄と子供に分かれて部屋へ集められて、

父兄は幼稚園生活の説明や注意等を各担当の先生方

から聞いていたのですが、私は母に会いたくてたまらなく

なってしまって、子供たちが集められた部屋から脱走し、

父兄が集まって説明を聴いている部屋の前に立って、

大声で泣き叫び始めたのでした。

 

その日はまだ幼かった私ではありましたが、

母に対してあまり良くない事をしてしまった

と言う事だけは自覚していたので、母に

連れられて自宅まで帰る道で凄く気まずい

想いをした事も今でもはっきりと憶えて

います。

 

4月なのにその日は確か雪が降っていました。

 

それから数か月間は、幼稚園に行きはするものの、

私を送って来た母をクラスの部屋の入口に立って、

いつまでも見つめて居たり、勝手に部屋を抜け出して、

職員室へ入り込んで先生方を相手に遊んでもらったり、

隣の教室の前にボーっと突っ立って、みんながお遊戯

したりしているのを眺めたりしていたら、隣の教室の

先生が”こっちへいらっしゃい”と言ってくれたので、

自分の組とは違う教室へ入り込んでそこでお遊戯を

したりと、担任の先生泣かせな事ばかりをしていた

変わった子供だったのでした。

 

それは上記の通り、幼稚園へ通うまでは集団生活

と言う事を全く経験した事が無く、両親の元で割と

好き勝手に暮らして来たので幼稚園の中で自分が

どのように過ごして良いのか勝手が分からなかった

のでした。

 

翌年に年長組になった時は要領が分かったので、

同じ組の人達と仲良く楽しく遊んで担任の先生からも

私の評判が良く、私自身幼稚園生活を楽しく感じる

事が出来たのでした。

 

と言う事で、私にとって1970年は地獄の想いを

味わった年と言う事になり、それが

1998年、そして今年2026年と同じ暦にあたる

のです。

 

1998年は下記のリブログに書いている通り私にとって

仕事面で最低な年でしたし、今年2026年は年始早々に

母が逝去し3月には私自身が鼠径ヘルニアの手術を

受けると言う憂き目に遭う事になっているので、

やはり28年周期で私にとって嫌な想いをする年が

巡って来ていると思えて仕方が無いのです。

 

上記の通り1971年は私にとって良い年でしたので、

来年がそうなってくれると良いのですが、

リブログに書いている通り1999年はロクな事が無く、

2000年は天国のような年と言う事で、

来年が1999年と同じ巡りになってしまうのであれば、

もう1年嫌な年を過ごさなくてはならない事に

なるのかなあと感じて今とても憂鬱です。

 

ここに書いた事は何の科学的根拠もない話ですが、

いささか的を外しているとも思えないので、

複雑な想いです。

 

まああくまでも”私にって”の事なので、

他の方には当てはまらないとは思います。

 

 

 

下記のリブログに書いている通り、

先月下旬にoursoundsにドラマー

としてバンド加入希望の登録をしたのですが、

本日までどなたからもお誘いのメッセージが

無く、私自身も加入してみたいと思えるような

バンドが現時点で存在しないので退会しました。

 

お誘いメッセージが無い理由として、

1.私の年齢が60歳である事

2.加入するバンドの条件として

・3ピースの編成は不可で、ギターx2、ベース

もしくは

ギター、キーボード、ベース

が最低限存在するバンドである事

・演奏する楽曲が125BPM以下のゆったりとした

リズムでリズムのグルーブを表現できる事

と記述した事

ではないか?と思っています。

 

世の中の色んな所で人生100年時代などと

言っていますが、現実問題として60歳から

新しい事を始めると言うのは本人にその

意志があっても世間一般的な概念として

60歳の人間と新しい事を始めようと思う人が

そんなにいないのではないかと感じます。

 

それならそれで私自身がこれからどうするか

を考えるしかない訳ですが、

少なくとも私は100歳まで今の世の中で

生きたいとは思えません。

 

年齢を重ねる度に世の中の様々な矛盾や

理不尽、不条理を知るこの状況に於いて、

まだ悟りを開く境地にはなれませんし、

今のところ悟りを開こうとも思いません。

 

そんな訳で、なかなか私自身が想うように

事態が進まないので、

oursoundsは一旦退会しました。

 

入れて貰えるかどうかは別にして、

私自身が

”このバンドでドラムを叩いてみたい!!”

と思えるようなバンドが登録されていたら、

また会員登録をしてそのバンドに

アクセスを試みたいと思います。