去る2024年は私一家にとって魔の暦である

事をその年の3月5日のブログに書いたのですが、

(下記にリブログしておきます)

今年に入っても私の一家は魔の暦絶賛継続中!!

なのです。

 

と言うのは、

昨年2025年1年を振り返ると、

1月から私がドラマーとして所属するバンド

スリーレブン であまり良くない事があり、

私の入院中の母が5月4日の一時帰宅で昼食を

自宅で食べた後に誤嚥性肺炎を発症し、

その後急激に身体全体が弱って食べられなくなり、

夏頃には主治医から

”長く持って今年一杯でしょう”

とコメントされてずっと母の身を案じての生活を

続ける事となり、今年に入ってからはこのブログで

書いている通り、1月14日に母が逝去しました。

 

それで良くない事は終わってくれるか・・・、

と思いきや、本日私自身の身に災厄が降りかかって

来てしまいました。

 

母の葬儀を終えた日の夜、風呂へ入ろうとして

自身の下腹部に目をやると、左側の足の付け根に

近い部分に何やら膨らみがあるのを見つけて、

手で押さえてみると痛みは全く無く、

風呂からあがって体を寝かせるとその膨らみは

へっこんでしまいました。

 

次の日以降は膨らみがあったりなかったりで、

ただ左足付近にしこりと言うか違和感のような

少し不快な感触を感じていました。

 

それで昨日もその膨らみが出来ていて、

気になったのでWEBで色々と調べてみると

鼠径ヘルニア(脱腸)の症状そのものであり、

放置していても治らず、最悪の場合は腸閉塞に

なって緊急手術をしなくてはならず、

早期治療をすれば日帰り手術で治癒するとの

内容が書かれていたので、

本日病院で診察してもらいました。

 

その結果、予想通り鼠径ヘルニア(脱腸)との

診断結果となり、来る3月27日に手術を受ける

事になりました。

 

しかし本日私を診察してくれた医師からは、

日帰り手術はごく稀な例で基本は入院しての

手術になりますと言われて愕然として

しまいました。

 

1月に母が亡くなって、現在私は一人暮らしの

状態なので、WEBで日帰手術で可能と

書かれていたので少し気軽な気持ちで受診を

したのですが、入院が必要との事で、

手術後の経過が順調であれば2泊3日の

入院で済みますが、もし経過が悪い場合は

家を数日空けなくてはならなくなるので、

それがとても嫌なのです。

 

それと私は今まで60年間生きて来て、

全身麻酔を経験した事が無いので、

それも嫌だしお腹を切られるのも嫌で、

要は嫌な事だらけの状態になってしまった

のでした。

 

この傾向はリブログにも書いている通り、

1996年の魔の暦の後によく似ているのです。

 

1996年は潤年であるので、全く同じ暦に合致

する年は少なく、しかしその分その前後の年にまで

魔の暦が影響していると思われる節があるのです。

 

1996年の前の年である1995年は

阪神淡路大震災に遭遇し大変な想いをしましたが、

2024年の前の年である2023年は

母が透析を受け始めて暫く入院生活をしたり、

その前には利尿剤の服用による体調不良で

救急搬送された事があったり12月10日の夜には

自宅で転倒して骨折し、以来亡くなるまで

入院生活を強いられる事になりました。

 

1997年は本来魔の暦ではないのですが父が亡くなり、

2025年も本来魔の暦ではないのですが上記の通り

あまり良い事が起こらなかった年でした。

 

1998年は私が勤務先で大嫌いだったリーダーが4月から

私の上司となり最悪な日々を過ごす事になりましたが、

今年2026年は前述の通り母の逝去と私自身が

手術を受けなくてはならない事態となりました。

 

従いまして1995年から1999年までは私にとって

悪い事が多かった5年間となり、

この5年間と暦が全く同じになる

2023年から2027年までは私いとって悪い事が

起こってしまうのだと思わざるを得ないのです。

 

1998年はその時点で私が最も嫌な事が仕事上で

起きてしまった訳ですが、

今年2026年はプライベート面で私が最も嫌な事が

既に母の逝去と言う形で起こった矢先に

私自身が受けたくもない手術を受けなくては

ならない事態となり、今凄く憂鬱な気持ちです。

 

ただ2000年は色んな意味で私にとって天国と思える

ような1年を過ごす事が出来たので、

もしかしたら再来年2028年は私にとって天国と

思える年になるかも知れません。

 

しかし昨年60歳になった私なので、

2028年まで生きているかどうかは分かりません。

 

もし生きていれば2000年のような日々を過ごす事が

出来たら嬉しいのですけどね。

 

そんな訳で私にって ”魔の暦” とその前後の数年間

には科学的な根拠は全くありませんが、

何か共通点があるように思えてならないのです。

 

以下、”魔の暦” について書いた内容をリブログします。

 

 

 

梶井基次郎さんの小説のタイトルです。

 

私は昔から梶井基次郎さんの小説が好きで、

今回母が逝去した事でこの話をまた読んで

みたくなりました。

 

梶井基次郎さんを知ったきっかけは、

高校の現代国語の授業で 檸檬 が

教科書に掲載されていて、それを習った

事でした。

 

その時は 暗い内容の話やなあ くらいの

感覚で授業を受けていたのですが、

その後その暗い世界に興味をもったのと、

私の高校の同級生が文庫本の

梶井基次郎全集 を私に貸してくれて、

檸檬 以外の作品にも触れて、

興味を持ったのでした。

 

城のある町にて

は、梶井基次郎さんの小説の中では

少し異色と捉えられるような内容だと

私は感じています。

 

かいつまんで言うと、

この小説の主人公が、

可愛い盛りで亡くした妹の事を落ち着いて

考えたいとの若者めいた感慨から、

姉の住む三重県松阪市に赴いて

そこで暮らした時の事を私小説的に

書かれた作品と私は解釈しています。

 

その小説の下りの中に

 

”「たくさんの虫が、一匹の死にかけている虫の

周囲に集まって、悲しんだり泣いたりしている」

と友人に書いたような、彼女の死の前後の苦しい

経験が、ようやく薄いベールのあちらに感ぜられる

ようになったのも、この土地へ来てからであった”

 

との一節があるのですが、

転地こそしていないものの、今の私の心境と

よく似ているので印象深いのです。

 

私自身、ついこの前までは母の死の哀しみが

なかなか癒えない状態で、

母が亡くなった病院の一つ前の病院へ

借りっぱなしだった母の寝間着一式を

返しに行ったのですが、

その時も病院へ入って馴染みの看護師さんの

顔を見ると哀しみが湧いて来てしまって、

その寝間着を母が一度も着る事なく返却に

至った事を言葉少なに伝えて、すぐに退出

してしまいました。

 

その日は病院へ行くまでは割と私の気分が

元気だったのですが、病院へ入ると生前の

母の面会へ通った日の事などが思い出されて、

どうしても哀しみが溢れて来てしまったのでした。

 

母が透析を受けるにあたって、左腕にシャント

と言う透析の針を刺すための部位を手術によって

作ってもらっていたのですが、そのシャントの

血管が詰まって来て透析が出来なくなる

との事から、当初は日帰りで入院していた病院から

手術を受ける為だけに母が最期にいた病院へ

行くことになったのですが、手術をしてくれた医師が、

腕にシャントがある為に指先の血行が悪くなって

いるので、今回の手術を機にシャントを閉鎖して、

代わりに肩からカテーテルを入れて、

そこから透析が出来るようにしてくれたので、

日帰りで元の病院へ戻らなくなったのでした。

 

その時に手術前の病院の看護師さんが、

またうちの病院へ戻られる時に寝間着を

着替えなくてはならないのでお渡ししておきます

と言って私に新しい寝間着一式を

貸してくれて、

いつでもうちの病院へ戻って来て下さい、

と好意的なコメントも貰っていたので、

尚更その病院さんへ寝間着を返却しに

行った時に哀しい感情が溢れて来て

しまったのでした。

 

しかし最近になって私もようやく少しだけ

哀しい感情が癒えつつある事に気付いて、

城のある町にて を自分と照らし合わせて

読みたくなったのでした。

 

後は日にち薬で解消するしかないと思いますが、

哀しみを乗り越えて行かなくてはならないと

思います。

 

それが、遺された者の使命です。

本日1月31日、

Always神戸での

スリーレブンのライブ、

満員のお客様に応援を戴いて、

楽しく盛り上がって無事終了しました。ニコニコ

 

寒い中ご来場戴いたお客様、

Always神戸のスタッフの皆様、

対バンの C’z の皆様、

スリーレブンのメンバーの皆さん、

有難うございました。

 

今回私の個人的な話として、

このブログにも書いた通り 1月14日 に

母が逝去して初めてのライブとなり、

亡き母への追悼ライブとなりましたが、

スリーレブンのライブとしては初めてお客様から

アンコールを戴いて、予定より1曲多く演奏出来、

終始盛り上がった中でライブが出来て幸福でした。

 

過去のライブでも”根回し”アンコールはありましたが、

今回のアンコールは我々バンドとしては全く根回しを

しないで、アンコール用の楽曲も用意していなかった

事から、1曲目に演奏した楽曲を再度演奏しました。

 

私の主観ですが、根回しアンコールと今回のような

純粋なアンコールは全く別物と思っているので、

本当に嬉しかったです。

 

純粋のアンコールと言う事は、

聴いて戴いていたお客様が

”もっとスリーレブンの演奏を聴きたい!!”

との気持ちを持って戴いたからこそだと

私は思います。

 

また、ライブ終了後に私にとって全く面識のない、

初対面の複数のお客様から

”ドラム上手いですねえ、感動しました”

との感想を戴いて、ドラマー冥利に尽きる

一日となりました。

 

おそらく14日に逝去した母が千の風になって

ライブを観に来て応援してくれたのだと思います。

 

もしかしたら29年前に逝去した父も、

今回母が父の元へ行った事から

母と一緒に千の風になってライブを観に

来てくれたのだろうと思います。

 

父と母に改めて感謝ですニコニコ

 

これからも出来る時に出来る事をモットーに、

謙虚な気持ちを忘れずに

ドラマーとしての精進を続けて、

次回はもっと良いライブにしたいと思います。

 

スリーレブンはやっぱり素晴らしいバンドです。

メンバーのみんなにも改めて感謝ですニコニコ

 

亡き母への追悼ライブが素晴らしい内容に

終わって、本当に良かったと思います。

 

有難うございました。

前回のブログで母が逝去した事を書いたのですが、

今年の元旦に生前の母が入院中の病院へ

私が12月31日に8時間かけて炊き上げた黒豆を

持参しました。

 

うちは圧力鍋と言う気の利いたものはないので、

普通の鍋で8時間かけて炊きました。

 

2023年の正月前まで毎年母が炊いてくれていた

のですが、2023年12月10日からずっと入院生活に

なってしまったので、昨年の正月分から私が

黒豆を炊くようになりました。

 

母は昨年の夏頃からまともに食事を摂れなく

なっていた為、炊いた黒豆の皮を除去したものを

裏ごししてペースト状にして病院へ持参しました。

 

看護師さんにそれを告げると忙しい中、

わざわざ病室へ来て母にそれを食べさせて

くれようとしたのですが、ほとんど昼夜が逆転

してしまっていた母はほぼ寝た状態だった為、

結局食べてくれませんでした。

 

しかし匂いは伝わったと思うので、

私自身としては納得しています。

 

出来栄え自体は昨年よりも美味しく出来て、

兄も褒めてくれましたので、母が食べられなかった

のは残念ですが、母が入院してからの2年の間に

私は色々と料理が出来るようになりました。

 

元々料理を作るのは割と好きな方だったのですが、

母が入院してから自炊生活になって、

作る料理のバリエーションが増えました。

 

昨年の正月はまだ母がまともに食事が出来たので、

私が炊いた黒豆を美味しいと言って食べてくれ

ました。

 

それと今回の母の逝去で想った事は、

私や兄が母より先に逝く事がなかった事は、

母に親不孝をせずに済んだので、

それだけは良かったと思っています。

 

私は子供を持った事が無いので偉そうな事は

言えませんが、今の年齢になって、

また特に晩年の母の私や兄に対する言動や

行動を見て来て、大抵の親は自分の子供の事が

大好きであり、大切に想って日々を過ごしている

事が理解出来たので、

もし私や兄が母より先に逝くような事があれば、

母の哀しみの大きさは計り知れないし、

母にそのような想いだけはさせずに済んだので、

そう言う点ではホッとしています。

 

以下に今年の正月用に私が炊き上げた黒豆の

写真を添付しますニコニコ

 

 

話は変わって1月24日は私にとって母が逝去してから

初めてのスタジオリハーサルを実施しました。

 

私が現在ドラマーとして所属するバンド

スリーイレブンのメンバーとのアンサンブルの中で

母が逝去後初めてのドラム演奏となりましたが、

母の生前と同様に気持良くドラムを叩く事が出来ました。

 

来る1月31日に予定しているライブの最終リハーサルで、

帰宅後に録音した音源を聴いてみましたが、

私自身を含めた細かい部分の課題はあれど、

バンド全体としてはごっちゃんのボーカルを含めて

かなりカッコ良い演奏になっているなあ、

と我ながら大変気持良く満足して聴いています。

 

この感じでライブに挑めばなかなか良いライブに

なるのではないかと思います。

 

今回のライブは私にとっては亡き母に対する

追悼ライブと言う形になりますが、

良い演奏が出来るようライブ当日まで精進を

続けたいと思います。

 

勿論ライブ後もドラマーとしての精進は続けますニコ

 

皆さまご都合が合うようであれば、

是非ライブへお越しくださいませ。

 

母が逝去しました。

享年 満92歳。

 

一昨日にお通夜、昨日に葬儀及びお骨上げと

十日際を無事に滞りなく終える事が出来ました。

 

生前母にご厚情を賜りました皆様には

心より厚く御礼申し上げます。

 

 

2023年8月10日から90歳で人工透析を開始、

経過は良好で9月23日に退院し、

以後自宅で生活をしながら月水金に通いで

透析を受けていて日に日に元気になり、

一人で近所のスーパーまで買物に行けるまでに

快復していた所、

2023年12月10日深夜に自宅で転倒し左大腿部を

骨折、救急搬送後すぐに病院で手術を受けて、

それ自体は成功したのですが、リハビリの経過が

芳しくなく、以後死去するまで何度か転院をした上で

入院生活を続けていたのでした。

 

2024年の1年間は、3月からほぼ毎月1回は

自宅に帰らせて昼食を食べてもらっていたのですが、

2025年5月4日の一時帰宅で昼食後、

誤嚥性肺炎を発症し、それ自体は快復しましたが、

以後急激に身体全体が弱って食べられなくなり、

7月下旬には医師から長くて今年限りでしょう、

と宣告されていた所、何とか年は越す事が

出来ていました。

 

しかし残念ながら標題の日時に死去しました。

 

母が骨折してから死去までの2年強、

私はずっと母の帰宅を待っていましたが、

それが叶わぬまま旅立ってしまいました。

 

また帰宅して元の生活とまで行かなくとも、

一時帰宅して自宅で一緒に食事をする事が

再び出来る事も願っていましたが、

それすらも叶う事なく逝ってしまい、

無念と言う他はありません。

 

2023年12月10日深夜に自宅で転倒さえ

しなければ、もっと長い月日を自宅から通いの

透析と言う生活で、機嫌よく過ごしてもらえたと

想うのですが、僅か3ヶ月弱でその生活を

奪われてしまった事は、

無念と言う他はありません。

 

せめてあと1年くらいは自宅から通いで透析の

生活をさせてやりたかったなあ、と思い続けて

この2年強を過ごして来た私ですが、

その想いも空しく叶えられる事は無かったの

でした。

 

ただバンド活動は何とか続けて来られた事は

私自身にとっては良かったと思います。

 

昨年8月10日のライブの時も正直言って、

いつ病院から電話がかかってくるかと

母の身を案じてかなり心配しながら

ライブ当日を迎えたのでした。

 

1月31日に予定しているライブも、

母がどうなるかをずっと案じて準備をして

来ていたのでした。

 

今回母の死は本当に哀しく残念なのですが、

1月31日のライブとかぶらなかった事だけは

良かったと思います。

 

ライブ以外にも1月24日はライブ前の最終の

スタジオリハーサルなので、あと1週間遅くの

逝去であってもそのリハーサルを欠席となる

恐れもあったので、母が気を遣って14日に

逝ってくれたのかも知れないなあとも

想っています。

 

2023年9月の退院前、母は病院から何度も

嬉しそうに私の自宅の固定電話に電話を

かけて来て、

”またあんたと暮らしたいわあ”

と言っていて、退院の日を心待ちにして

いたのでした。

 

私自身も母が退院して自宅で暮らしながら

通いでの透析を受ける日々を過ごせる事に

なった事を喜んでいたのでした。

 

そんな中、2023年11月23日には私がドラマー

として現在所属するバンド スリーイレブン に

カンちゃんが正式にベーシストとして加入して

くれる事になり、喜びは頂点に達したのでしたが、

その僅か20日後に母は自宅で転倒し骨折と言う

憂き目に遭ってしまって、

あの時は私は顔面蒼白になってしまったのでした。

 

もう母と私の喜びに満ちた自宅での生活は、

これで終わってしまうのかと言う不安と

無念さと様々な想いが入り混じった、

複雑な嫌な気持ちで病院を出て始発電車で

自宅へ戻ったあの12月10日の気持ちを

今も忘れる事が出来ません。

 

そしてその時に感じた不安が結局結論に

至ってしまったやるせなさ。

 

母が入院していた2年強の間には、

いつかまた再び退院して自宅で過ごせる日々が

来ることを僅かな期待として持っていた気持ちと、

透析を受けている事からもう二度と自宅で生活は

出来ないのかも知れないなあ、

と言う気持ちが常に私の中でせめぎ合って、

今思うと随分と辛く切ない気持ちのまま

過ごして来た事を感じています。

 

1月13日の午後にはいつものように病院へ母の

面会へ行って、1時間程度背中と足をマッサージして

やって、いつものように帰宅したのでした。

 

11月22日に母が吐血し、その後12月1日には下血も

あって、その時点でもう駄目かと思ったのですが、

病院側が色々と手を尽くしてくれて、

12月5日以降はかなり落ち着いていて、

装着されていたモニター装置も外されて、

更に年を越す事も出来たので、安堵の気持ちをもって

母に接していたのですが、残念な結果になりました。

 

なので13日の面会時は勿論モニター装置の

装着はありませんでした。

 

13日の夜、いつものように歯を磨いてTVの

ゴルフ番組を見て、それが終了してから

食器の洗い物を終えて、

水道を止めた瞬間に自宅の固定電話が鳴動し、

表示されている電話番号を見ると病院の番号

だったので、

”え?まさか母が!?”

と思って電話に出ると、看護師さんから

”お母さんの心拍数が急に下がりました。

すぐにこれから病院へ来てください。”

とのコメントでした。

 

私の携帯電話にも着信履歴があったのですが、

私が食器洗いをしていて気づかなかったので、

すぐに固定電話にかけなおしてくれたのでした。

 

それからすぐに兄宅へ電話で伝えて私の車で

兄を迎えに行き、兄を乗せて病院へ急ぎましたが、

我々が到着した時には心肺停止状態で、

死に目には会えませんでした。

 

ただ安らかに眠るような表情でしたので、

苦しむことなく旅立ってくれたのだろうと、

それだけは救いでした。

 

そんな訳で、母が自宅で転倒してからこの2年強、

私が一番なって欲しくないと願っていた事態に

なってしまって、無念と言う他はありません。

 

しかし母は本当に苦しい透析を受けながらも

精一杯生きてくれたと思うし、

私の事を好きでいてくれて私と自宅で一緒に

暮らせる事を心底喜んでくれていた事に

感謝の気持ちで一杯であることと、

私も母が大好きであった事を改めて今、

深く感じています。

 

本当に今まで有難う!

その気持ちしかありません。

 

昨年の夏頃からは面会へ行ってもほとんど

まともに会話する事も出来ない状態になって

いましたが、母の身体をマッサージしている時、

母の体温を感じていつも安心していました。

しかしもうそれも感じる事が出来なくなって

しまいました。

 

まだ会話が出来る状態の時に母は、

”あんたのライブも観に行きたいねえ”

と言ってくれていたので、

今度の1月31日のライブはもしかしたら、

母が千の風になって観に来てくれるかも

知れないなあ・・・、と思っています。

 

そして私は全身全霊を込めて母に捧げる演奏を

したいと思います。