こんにちは。
30131028です。

 

メールは少なくなっていましたが
友人は病気と戦っていました。

 

ドクターからの説明はすべて
ボイスレコーダーで録音し、後から
内容を整理としてまとめる。
わからない点があれば質問を繰り返す。

そうやっているうちに、ドクターと
友人の間にやる気と信頼関係が築かれ
ていきました。

 

ここまでドクターと対等にできる
例は少ないと思います。
本人の性格や考え方、環境にも
よるかもしれません。

 

でも人によって、ちゃんとドクターと
意思疎通ができ、納得した治療方針のもと
手術や治療が受けられるのと、なんだか
話は聞いたけどあんまり内容もわからないし
かといって、ドクターに聞くのも聞きにくい…。

 

聞きにくいのは内容が説明されても
わかりにくかったり、ドクターの態度
もしくは自らの姿勢が起因して、同じ条件の
病状でも充分な説明を受けることができないと
いうことが起こる場合もあるかもしれない。

 

そうではなく、病にかかった人が平等な
治療や説明を受け流ことができれば、本人が
病と戦う気力の源になり、またドクターも患者に
対する心構えが違ってくるのではないかと思い
ました。

 

そして、手術日が決まりました。
手術方法の説明時、ドクターから
「身体の側面から切る方法もあるが、
病因に正面から向かい合いたいので、
正面から切る方法をとりたい」と
身体の痕が目立つ方法を提示されました。

 

本人にとって身体に大きな傷が残るのは
相当なショックです。
しかし、友人はドクターの一緒に病に立ち向かう
気持ちを信じ、ドクターの提示した方法を選択
しました。

 

そして手術とその後の治療が友人を死の淵から
引き上げてくれました。
数ヶ月経って、一時帰宅が許されたとき、
会いに行ったのですが、ちょうど私の誕生月
だったこともあり、療養中で収入もなかったのに
ケーキを買ってお祝いしてくれました。

 

自分の方が辛く、苦しかったのはずなのに
どうして他の人のことを思うことができるのか。
入院していたときにもっと私が精神面で
役に立てることがあったのではないかと
ずっと歯痒く思っていました。
今は経過観察で定期的に検査し、再発も
転移もなく通常どおりの生活を送っています。

 

他の友人や同僚で悩みを抱えている人から
相談を受けたりすることも度々あり、専門的な
知識や相談の技法を習得することが出来れば
もっと的確な話をして、人の役に立てるように
なれるのかも…。
そう思い始めた時に産業カウンセラーの
講座を知ったのです。

 

 

ある時、友人から久しぶりに​

電話があり、いつもと様子が違うので

「どうしたの?」と聞くと、健診で
癌が見つかったというのです。

 

特殊なリンパ癌で、電話越しに
「死ぬかもしれない」という
どこか現実味を持たない言葉が
遠くで聞こえてきました。

 

人は本当に信じられないことが
起こったとき、顔が笑うんだなと
心の片隅でぼーっと考えていました。

 

友人は仕事で一時的に離れた場所に
いたので、時々メールで状況を聞く
日々が続きました。

 

その後、当初入院していたところから、
本人の実家のある街の病院に転院。
その病気の症例を多く扱っている
専門病院でしたがいつも不安でした。

 


意思の強い人で入院中は自分の
両親ですら病室に入れませんでした。
当然、私もお見舞いには行けず、
身体がツライこともあり、段々と
メールは少なくなっていきました。

 

点滴

 

こんばんは。
30131028です。

 

会社の後輩でいつも笑って明るい人がいました。
ある日、付き合っている人がいて、年齢は離れて
いるが、結婚したいと思っていると打ち明けられ
ました。

彼は主に東京で仕事をしていたので、彼女も時々
会いに行っては楽しかった話をしてくれました。

 

「ちょっと話が…」あるときその後輩が言って
きたので「結婚式の日取りが決まったとか??」と
からかったところ「そうじゃなくて…」と言葉を
濁したのです。
仕事中でしたので、終わったらと約束をして、
カフェに行きました。

 

「どうしたの?」と聞くと彼女は突然涙を
流しました。
いつも笑って明るい彼女が泣くなんて。
ビックリしていると「彼が癌になって…もう
だいぶ進んでいるんです…」
私は言葉も出ませんでした。

 

同時期に私の友人も同じく癌が発見され、自分も
辛い時期でしたので、そのことを打ち明けて
お互い励ましあい、休日には一緒にドライブに
行くなど気を紛らせて支えあったのです。

 

ある日、彼女は彼の様子を見に行き、数日
一緒に過ごし、会社に出勤してきました。
状態があまり良くないのは、彼女を見て
一目瞭然でした。

 

それから程なくして、彼女の携帯がなりました。
戻ってきた彼女を見て、わかりました。
彼が亡くなったのだと。

 

彼は彼女に会いに来たときのために
マンションを借りていたのですが、
そこの遺品整理をしに行くので
一緒に行って欲しいと言われ、一緒に
片付け始めました。
ただ黙々と。

 

そのうちに彼女は部屋にある品物の
思い出について色々語りだしました。
そうやって想い出とともに遺品は
片付けられていったのです。

 

そして、彼女は気持ちの整理とともに
会社を辞め、夢だった教員の道に進むべく、
羽ばたいていったのです。

 

遺品を片付けていた時、私は何の言葉も
かけられず、ただ一緒にいて、片付ける
ことしかできませんでした。

 

最愛の人がこの世からいなくなるという
経験、その気持ちは計り知れなく、
ただ寄り添うだけではなく、もっとで自分に
できることがあったのでは…今でも時々思い
返します

 

 

霊気

 

のっけから、すいません。
タイトルちょっといただいてしまいました。

こんばんは。
30131028です。

 

私がカウンセラーを目指したきっかけを
これから数回に分けて書いてみたいと思います。
他の方が読みたいと思うことではないかも
しれませんが、今、再確認し、自分で整理して
おくべきだと思ったからです。

 

私は昔から人が喜んでくれたり、リラックスして
くれることに興味がありました。

 

そのうちに、人から相談された時に、もっと自分が
役にたてたら、相手を楽にすることができたらと
思い始めました。

 


ある時、直傳靈気に接する機会があり、興味を持ち
習いに行ったのです。

 

しかし、手当による治療について全否するわけでは
ありませんが、私には手を当てても、どこが治療
すべきところなのか実感することできませんでした。
(才能がなかったのかもしれません)

 

ただ、昔から母親が子どもの痛がるところに手を
あてることや、それで痛みが軽減することが実際に
あるため、母親の子どもを想う心から出たエネルギーが
病因に良い影響を及ぼすこともあるのだと思います。
なので、たまに相手が痛みを感じている時、そっと
その場所に手を置いてみることがあります。
(効いているかどうかは別ですが…。)

 

次回に続く…。

こんばんは。
30131028です。

 

昔、水を入れたグラスに「ありがとう」、
「バカ」と貼ったところ、「ありがとう」と貼った
水の結晶は雪の結晶のように綺麗だったのに対し、
「バカ」と貼った水の結晶は結晶の形が崩れていた。
そんな本があったのを知っていますか?

 

 

真偽のほどは置いておくとして
言葉の持つ力を表す例として、とても
わかりやすいと思った記憶があります。

 

「ありがとう」と言われ気分を害する人は
まずいませんし、もう一方については
いうまでもないですよね。

 

気持ちが落ち込んでいるときも、そうでないときも
言われたらうれしい言葉や、今、こう言われたいと
思うことはありませんか。

 

そんなときに、相手が欲している「言葉」を語れる
人でいたいと思います。