昨日、二度目の緊急事態宣言が発出されました。
能楽堂などは定員の半分での開催を認められましたが、チケットが売れないなどの理由で、公演の延期の連絡も来ており、
先の見通せない日々が続きます。
しかし、非日常を提供する役者が、夢をあきらめてはいけないと思います。
二度目の緊急事態宣言を前に、あらためて自分が能と生きていく決意を固めるとともに、引き続き能楽の道に挑戦しつづけることを誓いたいと思います。
そこで、緊急事態宣言の間、新年に行ったリモート初詣を追加で実施します。
毎週金曜日21時より、30分間の予定です。
また、このブログで”能のことだま”と題して、美しい能の詞章をご紹介したいと思います。
私には、藝、家族、子供たち、いろいろな”守るべき”ものがあります。
コロナ禍に負けず、守っていきたいと思います。
能のことだま 1日目
「千秋楽は民を撫で 萬歳楽には命を延ぶ。相生の松風 颯々の声ぞ楽しむ 颯々の声ぞ楽しむ」「高砂」より
能「高砂」の最後の部分です。
「高砂」は住吉明神が現れ、御代を寿ぐ内容で、江戸時代以来もっとも御目出度い曲目とされています。
千秋楽も萬歳楽も雅楽の曲名で、音楽は人々の寿命を延べ、高砂と住吉の夫婦の松の風の音を楽しむ という意味でしょうか。
能舞台の背景にも書かれている松は、常盤木(ときわぎ)と言って、四季を通じて葉の色がかわらないことから永遠の象徴でした。
「高砂」は、兵庫県の高砂の松と大阪・住吉の松が夫婦であるという、古今和歌集の仮名序に書かれた逸話をもとに作曲されています。
室町時代は現代よりももっと先の見通せない、明日をも知れない世の中だったと思います。
その中で、松の頼もしさは魅力的だったと思います。
また、この部分は附祝言として、一日の公演の最後にこの部分だけ謡われることが多々あります。
それゆえに、千秋楽は最後を意味するようになり、転じて相撲や歌舞伎の公演の最後を千秋楽というようになったと言われています。
コロナ禍から一刻も早く脱却し、松の風を感じる余裕のある平和な日常が戻ってほしいと思います。