あち あち あちビックリマーク
団子 熱湯で こねこね するから

ひやぁ (≧ヘ≦)

ひーひー
しながら

墓参りの 団子 作って

じいちゃんと 墓参り

六地蔵に ひとつひとつ
m(_ _)m

親戚の墓に
ひとつひとつ


我が家の ご先祖の墓に
ひとつひとつ



それを 狙っている カラスたち
目



六地蔵の前を再び通るとき
すでに
団子はなし
(≧ヘ≦)


味も無いのに

熱い思いしながら 作ったのに(;_;)


実業家以外の面も ちょこっと 追記させてね


社会福祉事業への参画

日本初の養護施設の経営や 寄付の呼びかけなどもしているよ
関東大震災の時は
各方面に 寄付をしたよ
一ヵ所に ドン! というのではなく

明治7年~昭和6年の間
生涯の大半

この時代 公的な補助が期待できず
福祉施設の経営が財政的に どれほど困難であったか 各種事業の経営理念はそのまま養育院の精神的な支柱になったよ

また 江戸時代『七分積金の法』という貧民救済制度の残金が 明治維新の際 東京市に引き継がれ養育院の財源にもなったよ



それから またまた保己一
保己一が編集発行した『群書類従』の版木が戦災を免れ今日に伝えられ活用できるのは 版木を保管する倉庫を昭和2年に、 栄一が設立した清水建設に鉄筋コンクリートの2階建てを施工させている




晩年は 国際親善に専念しているけど
昭和にはいると
アメリカは 日系人を 排斥する動きを強めたよ
心を痛め 頭を悩ませたけど
日米友好のために
アメリカから『青い目の人形』を 贈られ
お返しに『日本人形』を贈呈し 両国の険悪な関係を 改善しようと努めたよ
でも 意に反して 日本は軍国の道に進んでいったんだ



栄一は 服部時計店(セイコー㈱)の創業者、服部金太郎に
『イタリアの占い師に人相を見てもらったら107歳まで生きるそうだ』
と 言ったそうだが 昭和6年91歳で亡くなったよ
凄い大往生だよね



埼玉の三偉人に学ぶより

多くの会社を興し 日本の産業の発展に 貢献した栄一

実業界に入ろうとした動機は 日本の国力を充実させ 国を富ませるためには産業を盛んにしなければならない それが 国民を幸せにする道だと 考えたから


そのためには 知識や技術や 経験だけでなく道徳的にも 立派な 人材が必要であり
これがなければ 必ず事業は失敗する
だから 人を育てる教育こそ大切だと 考えたんだ


個人の富の独占を否定し 得た利益を社会に還元しようとした栄一と
三菱財閥の創始者
岩崎弥太郎の 逸話があるよ
岩崎が 持ちかけた話で 『二人で事業を興せば
日本の実業界を 思う通りに動かせる』

利益を独占しようという提案に 長い間 反目が 続いたそうだよ




栄一は 保己一と 同じで 財閥の創始者たちが 非常に多くの財産を子孫に残したのと対照的に
商売で手に入れた利益を社会に還元していったよ
そのことから 栄一は
『財なき財閥』と 言われているよ







『埼玉の三偉人に学ぶ』
より