実業家以外の面も ちょこっと 追記させてね


社会福祉事業への参画

日本初の養護施設の経営や 寄付の呼びかけなどもしているよ
関東大震災の時は
各方面に 寄付をしたよ
一ヵ所に ドン! というのではなく

明治7年~昭和6年の間
生涯の大半

この時代 公的な補助が期待できず
福祉施設の経営が財政的に どれほど困難であったか 各種事業の経営理念はそのまま養育院の精神的な支柱になったよ

また 江戸時代『七分積金の法』という貧民救済制度の残金が 明治維新の際 東京市に引き継がれ養育院の財源にもなったよ



それから またまた保己一
保己一が編集発行した『群書類従』の版木が戦災を免れ今日に伝えられ活用できるのは 版木を保管する倉庫を昭和2年に、 栄一が設立した清水建設に鉄筋コンクリートの2階建てを施工させている




晩年は 国際親善に専念しているけど
昭和にはいると
アメリカは 日系人を 排斥する動きを強めたよ
心を痛め 頭を悩ませたけど
日米友好のために
アメリカから『青い目の人形』を 贈られ
お返しに『日本人形』を贈呈し 両国の険悪な関係を 改善しようと努めたよ
でも 意に反して 日本は軍国の道に進んでいったんだ



栄一は 服部時計店(セイコー㈱)の創業者、服部金太郎に
『イタリアの占い師に人相を見てもらったら107歳まで生きるそうだ』
と 言ったそうだが 昭和6年91歳で亡くなったよ
凄い大往生だよね



埼玉の三偉人に学ぶより