前回の続き。
今書かないと忘れそうなので。
メモとして感想を残しておきます
昨日観たワンピースの映画は2005年公開だったんですけど、興行収入も低いし、そんなにヒットしなかったらしいです。
わかります。なんでこの映画が受け入れられなかったのか。
だって子供向けじゃないから。
親子で見に行った方も多いと思いますけど、子どもが純粋に楽しめるのは前半だけでしょうね。
後半は、小学生や幼稚園の子どもにとって、不可解で、グロテスクで、あんまり楽しめるものではなかったと思います。
ただ、高校生以上の大人がこの映画を観ればそれなりに楽しめるのではないかなぁと。
作画はとってもキレイで、アニメファンには好評だったようです。
素人の私がみても、「あぁすごい丁寧なアニメーションだな」って思わせるような細かい描写でしたし(ナミがアップにしていた髪の毛をほどくシーンとか、質感たっぷりですごく丁寧に作画されてるなぁと思いました)、
あれはCGなのかな、色もすごくキレイで、音楽が随所で効果的に使われているし、良質のアニメーションだったんじゃないでしょうか。
わたしはこのアニメーション、全体的にとっても気に入りました、というか満足でした。
(日本のアニメーション製作技術は本当にすごいですね。これも立派な日本文化だと思います。もっと世界に誇ってもいいと思う。)
だからこの映画は 純粋なアニメーションとしては最高峰の作品だとわたしは思うんですけど、
ただ、ワンピースのファンには、うけなかったんだろうなぁ。
この映画はむしろワンピースをよく知らない人、キャラやストーリーに深く入れ込んでない人が観たほうが楽しめるんじゃないかなぁと思います。
きっとがっかりするんですよ、ワンピースが大好きな人がこの映画を観ちゃうと。
根っからのワンピースファンの人がこの映画を観ると、キャラの性格とか、絵面とかがアニメとは少し違っていて不快な思いをしたんじゃないかなぁ。
わたしは単にワンピースにそこまでのめりこんでないっていうか、キャラの設定や背景を知っている程度で、
キャラにそこまで感情移入したり愛情を持ったりはしていないので、
だからあっさりこの映画を観れたっていうか。違和感みたいなものは感じずにサラッと観れたんですけど。
でも後半はほんとに重かったと思います。明らかに子供向けではないです。
幼い子どもが内に秘めている潜在能力をわたしは信じていて、だから幼い子どもをみくびったりはしていないですけど、
やっぱりこの重いストーリーを理解するにはそれなりに年を重ねないと難しいのではないかなぁとは思いました。
ワンピースは【仲間】というものをとても大切にしているんですね。
海賊稼業なんてものは仲間がいないと成り立たないし、まして主人公ルフィは泳げない体だし、「おれは誰かの助けがないと生きていけない自信がある」って本人(ルフィ)が言ってましたし。
だからルフィは人一倍仲間を信頼しているし、それこそ命預けてもいいと思ってるし、仲間を大切にしてると思うんですよ。
だからこそ、この映画のなかで、仲間が死んでいくのを目の当たりにして、とてつもない絶望とか孤独とか怒りとか、そういうのを誰よりも感じるんだと思います。
ひとりでは生きていけない、それをいちばん分かってるのはルフィなんですよね。
それが観ているわたしにまでひしひしと伝わってきて、ほんとに、なんていうか、わたしまで一緒にその絶望を味わったっていうか。
わたしもね、仲間を、友だちを、とにかくだれか大切な人を、失うことがすごくすごくこわいから、
だからこの映画を観てとてつもない衝撃を受けたんだと思います。
それに、オマツリ男爵が可哀そうでした。
突然仲間を失って、自分ひとりだけが生き残ってしまって、たったひとり、孤独を背負って。
「行かないでくれ わしをひとりにしないでくれ」という言葉が、悲痛すぎて。
あぁもう ほんと、だーれもいない世界でたったひとり生きることがどんなにつらいことか、想像しただけで打ちのめされる気がします…
家族もいない、友達もいない。
ひとりっきりでなんて、わたしなら生きていけないよ…
わたしはワンピースの原作を読んでいなくて、アニメのほうしか見たことがなくて、だから漫画についてはよく知らないんですけど、
アニメが原作にほぼ忠実だそうで、そう考えると、すごい漫画だなぁと思います。
(うーん自分でも何言ってるのかわかんなくなってきたぞ)
つまり、日本の漫画の真髄はそこにあると思うんですよ。
質の高さ、内容の濃さ、密度の高さ。早い話が「内容が詰まってる」ってこと。
なんていうか、漫画以外もそうだと言われればそうなんですけど、漫画に作者のメッセージが込められているんですよね。
メッセージ性が強いんです。
笑いあり、涙ありの、友情と冒険を描いた少年漫画の王道を行くストーリーのなかにですね、なんていうか、作者の人間性が見え隠れするっていうか。
一人の人間としての、職人としての、魂がこもってる気がする。
それはワンピースの原作者の方もそうですし、この映画の監督もそうだと思います。
だから、つまり、人の心を動かせるのは人の心なんだよね。
で、わたしが言いたかったのはそうじゃなくて、えーとなんだっけ、
そうそう、話が飛びますけど、
「アメリカ人からみれば、日本人が、それも大人が漫画を夢中になって読むのは不思議だ」、とかいうじゃないですか。
そりゃヘンかもしれません。
アメリカにももちろん漫画はありますけど、アメリカでは「漫画=子どものもの」という見方が強くって、大人は漫画をあまり読まないんですよね。
だから日本人の大人が漫画の話をしているのとか、そういうのがおかしいというふうにアメリカ人の目には映るんだと思います。
でも、日本の大人が(子どももだけど)漫画を読むのにはちゃんと理由があるんですよ。
その理由というのが、先に述べた 「作品に込められた作者の人間性」 だと思うんです。
中身の無いものを読んだって仕方ないじゃないですか。そうじゃなくて、日本の漫画の中にはちゃんと作者の思いが込められているから、強いメッセージ性があるから、だから大人の心にも響くんだと思うんです。
(アメリカの漫画は中身が無い、と言っているのではないですよ)
作者の伝えたいもの、思い、信念、そういうのが「漫画」という媒体を通して人々に伝えられている、とでもいいますか。
日本人はほんと、はっきりものを言わないというか、自己主張をしない、なんて言われてますけど、
でも直接言うんじゃなくて、こういう何らかの媒体を使ってカタチを変えて伝える、っていう方法もあっていいと私は思います。
そのほうがズバズバ言うよりなんか「日本人っぽい」と思うし、日本という国民性が顕れていると思うんですよ。
逆に言えば、日本人には、「何かの媒体を通して言いたいことを伝える」という多種多様な技術を持っている素晴らしさもあると思うんです。
積もる思いをわざわざ「短く」して言葉の奥に隠された思いを相手に推し量らせようという(?)【俳句】や【短歌】、
言葉を切り捨てて練り上げる【詩】(←これは外国にもあるかもしれませんが)、
一つの言葉にいくつもの意味を与える【掛詞】、
そういうものを古くから発達させてきた日本人は、やっぱり「相手の心を読む」「相手の気持ちを推し量る」ことに長けていると思います。
隠された意味をみつけたがる、隠した意味を相手に見つけてもらいたがる、というのが日本人の特性ではないかなぁと。
だからこそ成り立つものが日本にはたくさんあって、例えば上に挙げた俳句とかもそうですけど、
漫画だってその「伝える」役割を担っていると思うんですよ。
その証拠に、わたしたちは漫画を読んで泣くじゃないですか。(そうじゃない人もたくさんいるとは思いますけど)
漫画のキャラクターに自分を重ねたり、一緒に冒険した気になったり、子どもたちに夢を与えたり、大人に夢を思い出させたり、漫画を通じて友達ができたり、新たな人間同士のつながりを生んだり、
そういう、すごいことを私たちにやってのけさせるんですよ、漫画は。
いや、漫画以外にも、すべてのことがそれに当てはまるんだと思います。
わたしがこの映画でほんとにヤバかったのはここです。
「言ったはずだぜ…おれの仲間には手をださせねぇ!」
「『仲間』…」
「‘ちょびひげ’!」
「………
‘ちょびひげっ’!」
あぁもうセリフだけ書いても意味不明ですよね。
まぁ、観れば分かる、観てください、差し支えなければ。
それと、最後のシーン。
いつものあの調子でルフィ、ルフィ、とキャプテンの名前を呼ぶ仲間たち。
仲間が、戻ってきた。
その幸せを存分にあじわうように寝転んだまま得意そうに微笑んでいるルフィが、なんていうか、いいなぁ…って(ボキャ貧)。
ちなみにアニメの30話は泣けました。
サンジが海上レストランを去るときのお話です。
ほんと、ボロボロ泣いた…!
あたしはああいう人間くさい絆とか、熱っついのとか、義理人情とかがだいすきなんだぁー!
それにね、チョッパーがしゃべるとかわいくってかわいくってもう、あいくるしい。
みもだえるようなかわいさだ(何
す、すごい話があっちこっちとんでる…
一応貼っときます。YOUTUBEにとびます↓