ACは、この世に来て最初に接する人間に、

理解をされなかった人間です。

 

ACは、この世に来て最初に接する人間に、

拒絶されてきた人間です。

 

ACは、この世に来て最初に接する人間に、

表現を、発信を、封印されてきた人間です。

 

 

 

毒親って、エゴの押し付けしかしないよねネガティブ

 

 

こっちの言うことはガン無視で、

押し付けとか、上から目線で偉そうに命令するだけ。

それが「大人」だと思ってる。

「おとな?上=偉そう」

・・・幼稚w

 

 

あの人たちの精神レベルって、

 

幼児のクレヨン画的な稚拙さよね。

 

 

 

「幼児のクレヨン画」という言葉で例えましたが、誤解しないでください。

 

幼い子供の純粋な感性こそ、尊いものです。

 

 

 

純粋透明だからこそ、世間だの社会的価値観という偏見の汚れがなく、真実を感じ見通している。

その感性は幼児どころか胎児の時から、あるいは魂から、の感覚です。

これを読んでくださってる方は、純粋な感性の持ち主で、そして、きちんとそれをを大切にしているからこそ、傷ついてきた。

 

 

 

 

日本語はニュアンス(気、純粋な感覚と感情)を現す

神聖なる音の波動だからこそ、もっときちんと意味を知り味わい使うべき。

 

 

「幼児のクレヨン画」という言葉で喩えましたが、ここでは

 

「幼児」=純粋

 

ではなく。

 

幼稚、未熟という意味の、

純粋さとは正反対の、

超悪い意味での「偏見」「ものがわかってない」「単純さ」つまり

まあ「バカ」って意味で『幼児』と言っております。

 

 

 

 

 

仏教用語では「無明」といいます。

 

そう。あの人たちの世界って

単純で表面的なイメージ、観念だけの世界。

 

 

だから、例えば。

 

あの人たちの「オトナ」のイメージはね。

 

「オトナ=年取ってること=偉い=威張ってるのがオトナ=上から」

 

 

笑えますね。

 

・・・成熟とは真逆w

 

 

 

成熟した大人は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」でございますから!

謙虚で器が広くて、若い人の未熟さも応援し「親心」に溢れています。

 

だから、毒親やハラッサーに対して、腹の底から声に出して、言いましょう。

 

 

あんたらみたいに金と人の悪口だけで生きてる人糞製造機で社会迷惑な生き物でも無駄に年だけとることはできますっての!ニヤニヤ

そうやって年取ったあんたらは、体だけ年取って中身が3歳児の醜悪なゲロいキモい生き物であり、

間違っても大人ではないですから!

 

ツーか、よくそれで、お天道様の下を歩けますよね、恥って知ってます?

いや、知らないからこそ子供も物も他人にも、醜態晒して平気なんですね!

ご当人はイイオトナのおつもりで、おめでたくてお幸せ!!

もう

もう、本当に、品性下劣の見本ですわねむかつき

 

 

あ、ごめんなさい反抗期の怒りむかつきを推奨応援する私、

話がついそそっちに笑

 

 

 

とにかくそんな奴らが親だったから、とんでもない生育環境でしたよね滝汗

 

私は何やっても、何しなくても、いつも責められてました。

 

本読んだりお勉強してる時だけは怒られないから、お勉強に安らぎを見出していました。

 

実際に多くの書物は、あんな人たちなどよりはるかに有用であり、あらゆる知識とこの世界への理解は私を慰め励まし満たしてくれるので、私は受験戦争世代だけどそんなものはガン無視で、本来の学びの歓びを味わっていました。

 

日本に生まれてよかった、少なくとも学校がありそこには私の名前と出席番号があり、それは家では得られない「承認」でもありましたし、そこで読み書きや豊かな文化芸術とその前提の知識を得る環境がある。このありがたみを、家庭とは呼べない毒親のエゴの肥溜めに生まれて生きてきた私は、子供ながらにひしひしと感じていました。

 

インナーベビーもインナーチャイルドもたくさん封印していたままで、集中することもかなり困難であったけれど、

それでも私の心は成長と解放のための力を得たくて、貪欲に私自身に有用なものを求めていました。

 

生命力って成長への意欲、なんですね。

そして、愛とは生命力そのものだと、私は思います。

 

 

 

 

それでも親の愛を求める気持ちがあるから、あの人たちの在り方や態度に、ずっと毎日傷つき続け、ずっと毎日ストレスを受け続けていました。

 

 

「うるさい」

「黙ってろ」

「言うこときけ」

「あれしなさい」

「これしなさい」

 

 

 

子供の私は「頑張って育ててくれてるんだ」「愛情なんだ」みたいに思い込むことで、心を守ってきましたぐすん

みんなもそうだよね?

本当は愛があるんだ、愛してくれてるんだ、子供の私のためを思って「世間様に恥ずかしくない」ように育てなきゃって必死なんだ、って。

 

まあ、エゴしかないあの人たちのレベルでは、

それが「愛情、思いやり」の「つもり」なんだろうから、

それしかできないんだから、しゃーないけど。

 

 

そんなことより、

問題は、

 

 

まだまだ、そもそもの、人として育つための根っこ。

 

小さく完成されてない体が。

 

抱っこや、いい子いい子のなでなでや、大丈夫だよのヨシヨシや、うんうんわかるよ大丈夫だよの背中トントンや

かわいいいいこって頭ぽんぽんや、

 

そんな当たり前の必要な「気」を求めて得られなくて苦しくて

しかも毒親の場合はその「不足」だけでなくそいつらのわがまま「エゴ?邪気」を受けてしまって

 

 

子供の心が痛み続けることだよね大泣き

 

 

寒い?

お前の要求はいうなわがままだ

痛い?

お前の要求はいうなわがままだ

苦しい?

お前の要求はいうなわがままだ

トイレ?

お前の要求はいうなわがままだ

お腹すいた?

お前の要求はいうなわがままだ

お腹痛くて食欲ない?

お前の身体の具合など知らんわがままだ

まずい?嫌い?

お前のお好みなど言うなわがままだ好き嫌いするなわがままだ

誰が働いて飯が食えるんだ残さず食え感謝しろ

せっかく用意したのに感謝してよね

 

 

 

 

愛って人の成長を願う心で。

 

その中心には尊重があります。

 

子供は尊い。

幼いほど、慎重に大切に守らねば。

安心と信頼の神経を養い育て、自分で自分を信頼し力をつけて自立して人生を謳歌できるように。

 

 

あの人たちはそんな感覚ゼロですよね。

自分のエゴしかないからね。

未熟だから、ってだけだけどさ、迷惑すぎる真顔

 

 

 

 

そんなのが親だったから、私たちはむしろ、ほんの僅かなハートの繋がりをも、とても敏感に感じ取ることができますよねうさぎ

その幸せと有り難みを、味わえますよね!うさぎのぬいぐるみ愛

 

 

 分かり合える人がいるだけで幸せだし、

 

そして人は

 

分かり合えることを、いつだって、求めてる。

 

ちゃんと表現して発信すること、

 

とても大事。

 

一番大事なのは、

「親はこの人」の思い込みを、外すことです。

 

実は「親」との愛着の問題がここまでクローズアップされてきたのは近年です。

今の核家族でワンオペの形態は戦後かなり経ってから。

日本は敗戦で、アメリカの真似をさせられてきました。

食生活から学校教育、姿勢まで「日本人弱体化」に従わさせられました。

 

 

 

『生みの親より、育ての親』

『遠くの親戚より、近くの他人』

 

それまでは子育ては地域でするものでしたから、

肉体の親がダメダメでも、近所や親戚にきちんとした大人が親代わりを勤めていました。

きちんとした大人は子供をみれば「「親心」で接するのが当たり前で自然です。

そうして健全に育つと子供はきちんとした大人になり、実の親がどうあれ、自立し、自分の子他人の子など分け隔てなく子供を育てられる人になるのです。

もちろん、その子供がそもそも魂的に未熟なら、今でいう毒親と同じですから、どんなに恵まれた環境でもそうはなりませんが。

 

なので、単なる「親だから」「家族だから」のレッテルを外しましょう。

 

現実の「波動」つまり親の役割を果たす「機能」が、あるかどうかを見ましょう。

 

現実に親の機能を果たしてくれる

ちゃんとしたオトナな人を、

頼り、親とし、お手本にすれば、

それで良いのですよ。

 

親として家族として機能していないものに、

親や家族機能を求め続け意識を縛ることは不毛です。

 

 

 

 

私は中学生で英語を習った時、思いました。

私には帰って眠る屋根のあるhouse「家」はある。

私には帰る場所であるhome「家族」はない。

 

 

 

クラスで仲良くなった子が、施設から通学していました。

そこに初めて行った時、ここの子になりたい。いいな、って思いました。

そこには理解者と支援者がいて、同じ仲間の子供たちが協力しあって生活している。天国に思えました。

でも当時中学生の私は自分が「胎児の時からのトラウマも抱え、親の精神的虐待で苦しんでいる」と自覚したり、説明したりできませんでした。

なんだろう、苦しい、あの家は嫌だけど、中学になったら親はガミガミ言わなくなったし、少し自由になったしでもあれと一緒に暮らしていたら私は普通に女子として成長できない、と危険を感じ。でも説明できない。そんな感覚でした。

 

 

 

 

 

怖くて縮こまってもいい。

 

でも諦めてしまったら、

 

それで終わりだから。

 

 

 

 

わかってくれる誰かを求めること。

その人を信頼して繋がり続けることは、

 

自分を捨てて周りに合わせることなんかより、

 

すごい価値がある。

 

 

 

 

私は15歳くらいで摂食障害になりました。

今もまだ依存症は完全には脱していません。

もうこれ世界的な問題だよね。

 

 

 

 

 

 

女優の遠野なぎ子さん。立派に苦しみを生き抜き、多くの同じ苦しみを持つ人のために、精一杯のできることをしてくださいました。母親の虐待とそれに苦しむ赤裸々な事実を、本に著し、インタビューに答え、ブログを発信してくださいました。同じ苦しみを持つ人たちが、縮こまって、何もできずに引きこもって苦しみ、本来の自分を生きられない状態をわかっているから、自分ができることをしようと勇気と使命感を持って行動された彼女の魂にありったけの敬意を。私、なぎ子さんの本2冊買いました。ありがとうございます。私たちも、できることを、自分を癒し満たす方法を、毒親だって幸せになり自分を大切にできるってこと、証明したい。いや、してみせます。まだ途中段階で、手探りですが、私はそれを、実現したい。世界は自立と平和と自由に向かっています。

辛い子供がいなくなってほしい。

同じ思いです。