近年は、神社がパワースポットとか言って「ご利益」を求める人たちがおりますが。
お祈りは、お願い事ではありません。
祈りとは
自分の意志を、自分で理想を実現することを、
宇宙に宣言し、確信を強くすることで、
己の精神の源である宇宙に認め励ましてもらう、誓いの儀式です。
日本の神道は、
自分自身が神さまの分け御霊(みたま)であり、
宇宙の一雫(しずく)で
自然の一部であることを、
ただただ、それだけであることを、
いつもいつも感じることを、
保つために、
一番いいかたちに
お参りの作法とか、神棚とか、いろんな形式を、編み出したものです。
神様へのお祈りは、誓いです。
お願い事ではありません。
他力本願ではありません。
私というもの。
神様の一部で今この小さな星のこの時代の小さな一人の人間。
が、きちんと、目の前の役目を果たします、
ですから私のこの今の課題をクリアいたします、
本来の幸せになります、
そのために、何かがうまくいっておりません、
どうぞ私に必要な情報をお与えくださいませ、
必要なお力添えをくださいませ。
祈りとは、この真摯な意識、心の姿勢です。
別にね。
キリスト教、仏教、イスラム教の3代宗教が、間違っているのではありません。
そもそも宗教なんてものが、あるのが、おかしい。
って変な言い方だけど、、、神道的には、そう。
「教える」って「上から」のスタンスが、そもそも、おかしいのです。
人々の魂に響くのは、その人の神聖なる意識を、尊重すること信頼すること。
全てを知っている愛を、その人は中心に持っていること。
その前提にどっかりと、あるのが神道です。
現在の宗教は、魂(かみ)の周りにあるエゴに意識が注目しています。
あるべきでないもの、魂の周りにくっついた、黒い汚れ。エゴ、邪念。
それをを「汚いものだから、やめなはれ!」と
そこに注目している時点で、
そのエゴを認め存在させていることに
そういう上からな人の意識は、
気づいていないし、
偉そうに指摘することこそエゴなのです、
人を変えようだなんて、おこがましい。
放置で、自分が正しい態度を背中で見せれば、十分なのです。
が、そこに気づいていないことに、笑えます。
もちろん、本気であり、誠実なつもりでありましょう。
犯罪者をなんとかしよう、救いたいって、気持ちは
毒親育ちの私には、もう、痛いほどわかるので、
心底からは、私は、笑えません。。。
この人が変わってくれたら、私が救われるかもしれないから。
この人さえわかってくれたら、私の根底からのあり方が、苦しさでなくなるかもしれないから。
毒親という支配者に、いろんな執着が、ありました。
その子供という弱者であったから、被害者であり続けるしかなかった。
それを覆すのは、勇気とエネルギーと知力と、あらゆる精神力を駆使して立ち直らなければ、ならなかった。
そう、私、毒親を、教育して、変えよう、って思ってましたからああああああ!!
そうしなきゃ、私が救われないもん。
そうしなきゃ、正義じゃないもん。
そう思うことでしか、私の悲しさを、どう救っていいか、わからなかったの。
でもさ。
諸行無常であり、自業自得であり、ってつまり。
そんな未熟な魂を、
ただ、ありのまま、尊重する、
わかってあげる、認めてあげる、
「他者」と認める。
私には大人の親はいなかった。それだけ。
期待する方が苦しむ。
それを理解する。
残酷な真実を、受け入れる。
ちゃんと絶望する。
が1番の、救い。
知ってるけど、わかってるけど、
恐怖とか、
期待とかで、
どうしても、
執着が、
外れなかったよ。
あ、ちなみに。
本当の3大宗教は、
ちゃんと、実は、
神道で説いている宇宙の愛の命の真理に根ざしたものですよ。
ただ、現時点では、その表し方が、洗練を欠いています。
本来の聖典を、人を操るために
権力や政治に利用したがる人たちが
歪めた言い回しに改悪したから
上から目線で「教える」みたいな教義の形式が
罰とか守るべき何ちゃら、とか、な
変な言い方になってる。
本当はそんなこと、
言ってないんだよ![]()
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だからね、
これから日本が世界をリードしていくけれど
3大宗教を、
揶揄したり、
軽蔑するのは、
違うからね。













