先週中山競馬場で行われました3冠初戦の第82回皐月賞

は5番人気のジオグリフが直線で抜け出したイクイノックス

をゴール前で差し切って優勝。

クラシック1冠目を制しました。

2着には3番人気のイクイノックスが入り、1番人気だった

昨年の最優秀2歳牡馬ドウデュースは追い込むものの

届かず3着に敗れました。

皐月賞も1番人気馬が敗れる結果となりました。

今週は、阪神競馬場で第53回マイラーズカップが

行われます。

マイラーズカップはマイル路線の拡充および短距離適性馬

にも活躍の場を設けることを目的として、1970年に創設

され、安田記念やヴィクトリアマイルの前哨戦として位置

づけられていて、春の短距離路線を歩む馬にとって重要な

レースとなっています。

昭和期においては、まだレース体系が今ほど整っておらず

出走できるレースも限られていたためか、歴代の優勝馬や

出走馬にはクラシック優勝馬をはじめ、現在のGⅠ優勝馬等

名立たる名馬達の名前が連なっています。

 

思い出のレースは、今でも伝説のレースとして語り継がれて

いる昭和50年に行われた第6回マイラーズカップです。

このレースには、皐月賞と菊花賞を制した二冠馬キタノカチ

ドキや後に競馬史上最強馬とも言われているタニノチカラ

そして悲運の名牝と言われたイットーの3頭が激突すると

いう競馬ファンにとっては、夢の大一番となりました。

この伝説のレースには数々のエピソードも残っています。

キタノカチドキの騎手は武豊騎手の父で名人武邦彦騎手

でしたが、当日は遠征先での騎乗のため、キタノカチドキの

手綱を取ることはできなくなりました。

そのため武邦彦の代わりに当時若手だった田島信行が

手綱を取ることになりました。

あまりの大役で緊張していた田島騎手に対し、服部調教師

が「キタノカチドキがレースを知っているから、ただ

つかまっていれば良い、キタノカチドキに競馬を教えて

もらってこい」とアドバイスを受けての騎乗だったそうです。

そして、タニノチカラは骨折した古傷の状態が悪く、出走を

ためらっていました。

しかし、この競走には前年のクラシック二冠馬で有馬記念

には不出走だったキタノカチドキや前走でタニノチカラ相手

に善戦したイットーが出走を表明したことで競馬ファンからも

タニノチカラの出走を望む声が多く寄せられ、これに応える

形で出走を決断しました。

当時は競馬を盛り上げるため、酷なローテーションでも出走

させるケースが多くありましたが、こういった無理な出走に

よってタニノムーティエ、タニノチカラ、テンポイント、ライス

シャワー等、多くの名馬達の競走生命が絶たれたと私は

思っています。

そしてイットーも最強牝馬としてクラシック獲得は間違いない

と言われていましたが、故障で春のクラシックには出られず

秋に復活をかけたレースでまたしても落馬の影響をもろに

受けて怪我をする等、2年連続で不運に見舞われていて

この年に復活をかけていました。

当日は不良馬場での競馬となり、負担重量は脚に不安が

あるタニノチカラが61キロ、キタノカチドキが60キロで牝馬

イットーは最軽量の52キロとなりました。

そして、脚に不安があるものの、タニノチカラがやはり1番

人気に推され、続いてイットー、キタノカチドキの順に

なりました。

3強対決となった大一番のレースは、タニノチカラが短距離

競走では致命傷となる出遅れ気味のスタートとなってしまい

ました。

スタートして牝馬のケイリュウシンゲキが、端をきって逃げ

イットーとキタノカチドキが続いて先行し、タニノチカラは

キタノカチドキとイットーをマークしながらの競馬となり

ました。

直線に入って、キタノカチドキが鋭く抜け出して先頭に立ち

そのキタノカチドキをイットーが追い、タニノチカラも外から

猛然と追い込みましたが、追い込み切れず、キタノカチドキ

が1馬身4分の1の差をつけて優勝。

2着には復活をかけるイットーが入り、タニノチカラはイットー

にハナ差届かず3着に敗れてしまいました。

3着に敗れたタニノチカラの田島日出雄騎手は、後のインタ

ビューでタニノチカラの脚さえ無事であったら、あの2頭に

負けることは絶対に無かったと答えています。

タニノチカラは、やはりこの無理な出走が祟り、レース後

繋靱帯炎を発症し、休養に入ったものの、二度と競馬場に

姿を現すことはありませんでした。

第6回マイラーズカップは、現在のGⅡレースではありますが

タニノチカラ、キタノカチドキ、イットーの3強が激突した

最初で最後のレースであり、今でも競馬史上に残る伝説の

名勝負として語り継がれています。

今週は阪神競馬場で第53回マイラーズカップが行われます。

実力馬カラテ、登り調子のエアファンディタ、巻き返しを図る

レッドベルオーブとホウオウアマゾンに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。

散り行く桜の中で行われました牝馬クラシック第1冠桜の

女王決定戦、第82回桜花賞は中団からレースを進めた

7番人気のスターズオンアースが直線で先に抜け出し、

勝利目前だった

ウォーターナビレラをゴール前でハナ差交わして優勝。

見事桜の女王に輝きました。

2着にはハナ差で3番人気のウォーターナビレラが入り

3着には6番人気のナムラクレアが入り、1番人気の

ナミュールは10着、サークルオブライフは4着に敗れ

春のGⅠは3週連続の波乱の結果となりました。

今週は、中山競馬場でクラシック第1冠目第82回

皐月賞が行われます。

皐月賞は1939年に当時の日本競馬会がイギリスの

2000ギニーに範をとり、4歳 (現3歳)の牡馬・牝馬限定の

横浜農林省賞典四歳呼馬として創設され、第1回は横浜

競馬場で行われました。

そして東京優駿競走、阪神優駿牝馬 (現:優駿牝馬)、京都

農林省賞典四歳呼馬 (現:菊花賞)、中山四歳牝馬特別

 (現:桜花賞)と共に五大特殊競走として位置づけられ

東京優駿競走、京都農林省賞典四歳呼馬と共に日本の

クラシック三冠競走として確立しました。

終戦後の1947年からは名称を農林省賞典に変更され

1949年からは名称を皐月賞に変更され、翌年には施行

距離を芝2000mとなって現在に至っています。

そして皐月賞は現在、中央競馬における3歳クラシックの

第1戦として行われおり、東京優駿(日本ダービー)は最も

運のある馬が勝つ、菊花賞は最も強い馬が勝つと称される

のに対し、皐月賞は最も速い馬が勝つと言われ、最も

スピードのある優秀な競走馬を選定するための

チャンピオンレースとされています。

 

思い出の馬は、昭和47年第32回優勝馬で花の

昭和47組のプリンス ランドプリンスです。

ランドプリンスは、私が競馬史上、最強の世代と思って

いる昭和47年のクラシック組で同期にはライバルだった

ダービー馬ロングエース、菊花賞馬イシノヒカル、

天皇賞馬タイテエムや幻の三冠馬ヒデハヤテの他、

タニノチカラやハクホウショウ、ストロングエイト、

スガノホマレ等、名前を上げれば切りがない程、

名馬達の名前が出てきます。

 

ランドプリンスは、旧馬齢3歳の札幌でデビューし、

評判どおりの強さで新馬戦に優勝しました。

その後関西に戻り、特別レース等、5戦するも2着に

入るのが精いっぱいで、なかなか2勝目をあげることは

出来ず、期待を裏切っていました。

年が明けて旧馬齢4歳になったランドプリンスは、3歳時

とは打って変わって、条件特別やオープン特別を4連勝し

一躍西のクラシック候補に名乗りを上げ東上して来ました。

昭和47年の春のクラシック戦線は前年末より関東で

大流行した馬インフルエンザの影響により、関東地区の

中央競馬開催が2ヶ月間中止となったため、日程が

大幅に変更され、5月に皐月賞、7月に日本ダービーが

行われることになりました。

東上初戦の3月に行われた京成杯では前年の

阪神3歳Sやきさらぎ賞に優勝し、4連勝中の関西の

総大将ヒデハヤテの前に2着に敗れてしまいました。

ヒデハヤテは、この年の不動のクラシックの本命と

目されていた最強馬で、疾風吹くとの異名を持って

いました。

しかし、ヒデハヤテは、このレース直後に脚部不安が

発生し、クラシックへの出走が危ぶまれる状態になり

ましたが、オーナーサイドの意向により、皐月賞に

向けてのトライアル戦スプリングステークスに強行

で出走しました。

しかし、この無理な選択がヒデハヤテの競走馬としての

生命を奪うことになってしまいました。

このレースでヒデハヤテは、タイテエムの2着に敗れて

しまい、その後、このレースに出走したことでヒデハヤテ

の脚の状態が更に悪化する結果となり、結局クラシック

戦線からの離脱を余儀なくされてしまいました。

タラレバを言うならば、もしヒデハヤテが無事だったら、

戦国クラシック戦線の様相は全然違っていたと思います。

なぜあそこでヒデハヤテに無理をさせてしまったのか、

今でも本当に残念です。

続く4月のオープンと5月の弥生賞にランドプリンスは参戦

しましたが、遅れて来た関西のエース ロングエースの

2着に敗れてしまいました。

そして遅れて5月の開催となったクラシック第1冠の

皐月賞に挑みました。

皐月賞ではデビューから5連勝中の関西の横綱ロング

エースが1番人気となり、もう1頭の横綱タイテエムが

2番人気に推され、ランドプリンスは3番人気となりました。

スタートして関東のトルーエクスプレスが逃げ、その

後ろからロングエース、ファインダイヤが先行し、ロング

エースをマークするようにタイテエムが続き、ランド

プリンスは中団、関東のイシノヒカルは後方からのレース

展開となりました。

直線に入って、逃げ粘るトルーエクスプレスをロング

エースとタイテエムが追い込むも、2頭とも伸びを欠き

逆に内をついたランドプリンスが勢いよく抜け出すと

大外から猛然と追い込んで来たイシノヒカルをおさえて

見事優勝を飾りました。

続く7月に開催された七夕ダービーに出走し、2冠目に

挑みました。。

ダービーではではロングエースが1番人気となり、ランド

プリンスが2番人気、タイテエムが3番人気と関西の

3強が人気を分け合う形となりました。

27頭が一斉にスタートすると快速馬スガノホマレが

逃げてレースを引っ張り、タイテエムは先行集団から

進み、中団にはロングエースとランドプリンス、ハクホウ

ショウが続き、後方からイシノヒカルという展開に

なりました。

直線に入るとタイテエムが先頭に立ち、外からランド

プリンス、内からロングエースが追い込み、競馬史上に

残る人気上位三頭による名勝負となりました。

最後はロングエースが首差でランドプリンスとタイテエム

を振り切って優勝し、ランドプリンスは惜しくも2着に敗れ

ダービーを制することはできませんでした。

夏を無事に超し、菊花賞に向けてランドプリンスは

秋初戦の神戸新聞杯からスタートしました。

このレースでランドプリンスは1番人気に推されましたが、

ライバルタイテエムの2着に敗れ、続く当時は秋に

行われていた菊花賞トライアル京都新聞杯でも

1番人気に推されたものの、最後のクラシック1冠菊花賞

に執念を燃やすタイテエムの4着に敗れてしまいました。

菊花賞では春の3強が顔をそろえ、好調のタイテエムが

1番人気ランドプリンスが2番人気、京都新聞杯6着の

ロングエースは調子が上がらず3番人気でレースを

迎えました。

レースは重馬場の中、マルブツスタンドとセントマーチス

が先行し、タイテエムは先行集団につけ、ロングエースは

中団を進み、ランドプリンスとイシノヒカルは後方からの

レース展開となりました。

向こう正面から3コーナーにかけては各馬激しく入れ

替わり、ランドプリンスは3コーナーで仕掛け、一気に

先頭集団に入り皐月賞と同じように内をつきました。

しかし、直線に入ると四泊流星のタイテエムが鋭く伸びて

先頭に立ち、このまま最後の1冠を執念で制するかと思い

ましたが大外からイシノヒカルが豪脚で強襲し、タイテエム

をゴール前でとらえて優勝しました。

ランドプリンスも頑張りましたが4着に敗れてしまいました。

この後、ランドプリンスはクラシック戦線での疲れを癒す

ため、休養に入りました。

暮れの有馬記念にはイシノヒカルとロングエースが参戦し、

見事イシノヒカルが菊花賞と同じような豪脚を披露して

優勝しました。

しかし、この後ロングエースが脚部不安を発症して引退し

イシノヒカルも脚部不安のため、戦線離脱してしまいました。

年が明けて古馬になったランドプリンスは天皇賞を目指し

4月のマイラーズカップで復帰したものの、かつての勢いは

なく、ライバルのタイテエムの5着に敗れ、続く天皇賞でも

本格化して悲願の天皇賞制覇をついに果たしたタイテエム

の13着に惨敗してしまいました。

そしてこの天皇賞がランドプリンスにとっての最後の

レースとなりました。

レース、後脚部の故障が判明したため、引退が

発表されました。

430キロの小さな体で強豪達とクラシックで死闘を繰り

広げてきたランドプリンスは、4歳で燃え尽きてしまった

のかも知れません。

引退後、ランドプリンスは種牡馬となりましたが、内国産

種牡馬は不遇の時代であり、またサラ系との血統的な

影響もあったせいか、代表産駒を送り出すことは

出来ませんでした。

そして昭和60年代に種牡馬を引退し、用途変更と

なった後、ランドプリンスがどのようになったかの記録が

ないのが、本当に残念です。

今週は、中山競馬場でクラシック1冠目の第82回

皐月賞が行われます。

春のクラシック戦線は春の嵐のように波乱の結果と

なっており、皐月賞も絶対的本名馬がいないため、

どの馬が優勝してもおかしくない状況となっています。

2歳チャンピオンのドウデュース、ホープフルS優勝馬で

まだ底を見せていないキラーアビリティ、無敗のダノン

ベルーガと未知の魅力のイクイノックスに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。

先週行われました年度代表馬と突如現れた上り馬の頂上決戦

として注目された第66回大阪杯は8番人気のポタジェが、直線で

ジャックドールと先に抜け出したレイパパレを押さえて優勝し

大金星のGⅠ初制覇を成し遂げました。

連覇を狙った3番人気のレイパパレは直線で一旦先頭に立ち

ましたが首差の2着に敗れ、さらに鼻差の3着にはもう1頭の

上り馬7番人気のアリーヴォが入り、5連勝中でGⅠ初挑戦で

注目された2番人気のジャックドールは直線で粘ったものの

前半のペースが早かったのか、5着に敗れました。

また、1番人気に推された昨年の年度代表馬エフフォーリアは

後方からの競馬となりましたが、いつもの切れのある動きが

見られず、直線に入っても馬郡の中から抜け出せずに9着に

沈み、高松宮記念に続く2週連続の波乱の決着となり、まさに

春の嵐が吹き荒れました。

今週からは、いよいよ春のクラシックが開幕します。

そして今週は阪神競馬場で牝馬クラシック第一弾桜花賞が

行われます。

桜花賞は1939年にイギリスの「1000ギニー」を範として、最も

スピードのある優秀な牝馬の選定および優秀な繁殖牝馬を発掘

するためのレースとして4歳(現3歳)牝馬限定の競走「中山四歳

牝馬特別」を創設し、東京優駿競走・阪神優駿牝馬(現優駿牝馬)

横浜農林省賞典四歳呼馬(現皐月賞)・京都農林省賞典四歳呼馬

(現菊花賞)と共にクラシック競走のひとつとされました。

1947年からは名称を桜花賞に変更して京都競馬場で施行

されましたが、1950年からは阪神競馬場での施行が定着して

います。

私は競馬を見始めた当初から桜花賞が大好きで、春を告げる

満開の桜の中で若い乙女たちによる桜の女王を決める戦いは

華やかさと美しさとスピード感があって、毎年、本当に楽しみに

しています。

 

思い出の馬は、当時競馬関係者やファンの度肝を抜かれた

薄命の名牝テスコガビーです。

テスコガビーは昭和50年のクラシック組で牡馬の同期には

二冠馬カブラヤオー、有馬記念馬イシノアラシや天皇賞馬

エリモジョージやロングホーク、牝馬の同期には天馬トウショウ

ボーイの妹ソシアルトウショウ、悲劇の快速馬キシュウローレル

の妹キシューファイターやトウホーパール、カバリダナー等が

います。

テスコガビーの父は昭和の大種牡馬テスコボーイで、当時

安い種付け料で馬産地を助け、日本競馬の進展に多大に

貢献していましたので、馬産地では、お助けボーイと呼ばれて

いました。

テスコガビーは旧馬齢3歳の9月の東京でデビューし、前評判

どおり、新馬戦で2着馬に7馬身差をつけて圧勝し、続く3歳

ステークスも圧倒的なスピードで楽勝しました。

そして重賞初挑戦となった牡馬との混合の京成杯3歳ステークス

では、2着のイーデンアローに6馬身差をつけてレコードで圧勝し

重賞を初制覇、この成績により、この年の最優秀3歳牝馬に

選出されました。

年が明けて旧馬齢4歳になったテスコガビーは、初戦の京成杯

に挑み、出走馬中唯一の牝馬でしたが、たぐいまれなスピードで

後の重賞勝ち馬イシノマサル等、牡馬を一蹴して逃げ切って

優勝し、重賞2連勝を飾りました。

そして牝馬のクラシック路線ではめったに見ない東京4歳Sに

駒を進め、後の二冠馬カブラヤオーと夢の対決をすることに

なりました。

当日は重馬場で、やはりカブラヤオーが1番人気に推され、

テスコガビーは2番人気となりました。

レースはカブラヤオーが逃げて、テスコガビーはカブラヤオーを

終始マークしながらという展開になりました。

直線に入ると、カブラヤオー、テスコガビーと内をついて追い

込んできたテキサスシチーの3頭による激しい競り合いとなり

直線でカブラヤオーの寄られるという不利があったのが影響した

のか、テスコガビーはクビの差の2着に敗れ、牡馬相手に初の

敗戦を喫してしまいました。

でもカブラヤオーとテスコガビーによる最初で最後の対戦は、

競馬史上における名勝負として今も語り継がれています。

その後桜花賞を目指して西下したテスコガビーは桜花賞トライアル

阪神4歳牝馬特別に出走し、単勝支持率87.2%という圧倒的な

1番人気に推され、期待どおり2着のキシューファイター

に2馬身半をつけてレコードタイムで圧勝しました。

そして迎えた本番の桜花賞では、当然1番人気(単勝1.1倍)に

推され、当時行われていた単枠指定にもなりました。

レースは好スタートで飛び出したテスコガビーはすぐに先頭を

奪うと、そのスピードに他の馬達は全くついていけないレース

展開となり、直線に入っても他の21頭を突き放すばかりで

2着のジョーケンプトンに1.9秒の大差を付けて圧勝し、牝馬

クラシック1冠目を獲得しました。

レース実況していた杉本アナの

テスコガビー独走か、 ぐんぐんぐんぐん差が開く、差が開く

後ろからはな~んにも来ない、後ろからはな~んにも来ない

後ろからはな~んにも来ない、ジョーケンプトンがようやく2番手に

上がって来たか、 先頭はテスコガビー、これは強い強い強い

これは強い、赤の帽子ただ一つ ぐんぐんぐんぐんゴールに向かう

テスコガビー大楽勝、そして2着にはジョーケンプトン、いや~

恐れ入った、恐れ入りました タイム1分34秒9、桜花賞レコード

です。これは恐ろしい馬です。

という名実況は、今も語り草になっています。

その後、テスコガビーはオークスへ直行の予定でしたが、馬主の

要望により、オークストライアル4歳牝馬特別に出走しました。

しかし、桜花賞までの強行スケジュールの反動が出たのか、

直線でいつもの伸びを欠いて牝馬同士で初めての負けを喫し、

3着に敗れてしまいました。

続く牝馬クラシック2冠目のオークスでは、離延長と体調不良も

あって、1番人気に推されたものの、不安を抱えてのレースと

なりました。

しかし、スタートすると、すぐに先頭に立ってスローペースに持ち

込み直線では2着のソシアルトウショウに8馬身差をつけて、

ここでも圧勝劇を演じ、見事に牝馬二冠を達成しました。

しかし、オークスから4ヶ月後の9月にゲート練習中に右前球節

挫創で9針も縫う大怪我を負ってしまいました。

その後は順調に調教が進められましたが、牝馬3冠目のビクトリア

カップを目標に乗り始めた10月の調教中、今度は右後脚を捻挫

1年の休養を余儀なくされ、牝馬3冠達成はなりませんでした。

年が明けて5歳になったテスコガビーは5月の東京のオープン

競走で復帰しましたが、11頭立ての6着に惨敗してしまいました。

長期休養明けということもありましたが、テスコガビーに桜花賞や

オークスの頃の勢いや輝きは、もう無くなっていました。

続くレースに期待が持たれましたが、再び右後脚のトモを痛めて

しまい、北海道の牧場で再び休養に入りました。

この時に引退も検討されたとのことですが、オーナーの要望で

現役続行が決定し、12月に入り、調教が開始されました。

順調に調教が積まれていましたが、年が明けて6歳になった

昭和52年1月19日、調教中に突然前のめりに転倒。

前脚の故障かと思われましたが、診断の結果、心臓麻痺を

発症したことが判り、その場で死亡が確認されました。

享年6歳という短く儚い一生でした。

オークス後に故障して、休養した後にそのまま引退していれば

あの綺麗な馬体とスピードから必ず繁殖牝馬として世界に通じる

良い産駒が生まれたと思いますので、この日本の宝の損失は

本当に残念です。

テスコガビーの遺骸は、牧場の関係者によって埋葬され、簡素な

墓標が立てられました。

その後、遺骨は生まれ故郷の静内へ戻されて、2011年に

桜舞馬公園(オーマイホースパーク)に改葬され、父テスコボーイ

と共に同じ場所で眠っています。

今週は、阪神競馬場で牝馬クラシック第一弾第82回桜花賞が

行われます。

2歳チャンピオンの実力馬サークルオブライフ、トライアル優勝馬

ナミュール、無敗のプレサージュリフト、堅実なナムラクレアに

注目しています。

いよいよ春の訪れと共にクラシックがスタートです。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。