散り行く桜の中で行われました牝馬クラシック第1冠桜の

女王決定戦、第82回桜花賞は中団からレースを進めた

7番人気のスターズオンアースが直線で先に抜け出し、

勝利目前だった

ウォーターナビレラをゴール前でハナ差交わして優勝。

見事桜の女王に輝きました。

2着にはハナ差で3番人気のウォーターナビレラが入り

3着には6番人気のナムラクレアが入り、1番人気の

ナミュールは10着、サークルオブライフは4着に敗れ

春のGⅠは3週連続の波乱の結果となりました。

今週は、中山競馬場でクラシック第1冠目第82回

皐月賞が行われます。

皐月賞は1939年に当時の日本競馬会がイギリスの

2000ギニーに範をとり、4歳 (現3歳)の牡馬・牝馬限定の

横浜農林省賞典四歳呼馬として創設され、第1回は横浜

競馬場で行われました。

そして東京優駿競走、阪神優駿牝馬 (現:優駿牝馬)、京都

農林省賞典四歳呼馬 (現:菊花賞)、中山四歳牝馬特別

 (現:桜花賞)と共に五大特殊競走として位置づけられ

東京優駿競走、京都農林省賞典四歳呼馬と共に日本の

クラシック三冠競走として確立しました。

終戦後の1947年からは名称を農林省賞典に変更され

1949年からは名称を皐月賞に変更され、翌年には施行

距離を芝2000mとなって現在に至っています。

そして皐月賞は現在、中央競馬における3歳クラシックの

第1戦として行われおり、東京優駿(日本ダービー)は最も

運のある馬が勝つ、菊花賞は最も強い馬が勝つと称される

のに対し、皐月賞は最も速い馬が勝つと言われ、最も

スピードのある優秀な競走馬を選定するための

チャンピオンレースとされています。

 

思い出の馬は、昭和47年第32回優勝馬で花の

昭和47組のプリンス ランドプリンスです。

ランドプリンスは、私が競馬史上、最強の世代と思って

いる昭和47年のクラシック組で同期にはライバルだった

ダービー馬ロングエース、菊花賞馬イシノヒカル、

天皇賞馬タイテエムや幻の三冠馬ヒデハヤテの他、

タニノチカラやハクホウショウ、ストロングエイト、

スガノホマレ等、名前を上げれば切りがない程、

名馬達の名前が出てきます。

 

ランドプリンスは、旧馬齢3歳の札幌でデビューし、

評判どおりの強さで新馬戦に優勝しました。

その後関西に戻り、特別レース等、5戦するも2着に

入るのが精いっぱいで、なかなか2勝目をあげることは

出来ず、期待を裏切っていました。

年が明けて旧馬齢4歳になったランドプリンスは、3歳時

とは打って変わって、条件特別やオープン特別を4連勝し

一躍西のクラシック候補に名乗りを上げ東上して来ました。

昭和47年の春のクラシック戦線は前年末より関東で

大流行した馬インフルエンザの影響により、関東地区の

中央競馬開催が2ヶ月間中止となったため、日程が

大幅に変更され、5月に皐月賞、7月に日本ダービーが

行われることになりました。

東上初戦の3月に行われた京成杯では前年の

阪神3歳Sやきさらぎ賞に優勝し、4連勝中の関西の

総大将ヒデハヤテの前に2着に敗れてしまいました。

ヒデハヤテは、この年の不動のクラシックの本命と

目されていた最強馬で、疾風吹くとの異名を持って

いました。

しかし、ヒデハヤテは、このレース直後に脚部不安が

発生し、クラシックへの出走が危ぶまれる状態になり

ましたが、オーナーサイドの意向により、皐月賞に

向けてのトライアル戦スプリングステークスに強行

で出走しました。

しかし、この無理な選択がヒデハヤテの競走馬としての

生命を奪うことになってしまいました。

このレースでヒデハヤテは、タイテエムの2着に敗れて

しまい、その後、このレースに出走したことでヒデハヤテ

の脚の状態が更に悪化する結果となり、結局クラシック

戦線からの離脱を余儀なくされてしまいました。

タラレバを言うならば、もしヒデハヤテが無事だったら、

戦国クラシック戦線の様相は全然違っていたと思います。

なぜあそこでヒデハヤテに無理をさせてしまったのか、

今でも本当に残念です。

続く4月のオープンと5月の弥生賞にランドプリンスは参戦

しましたが、遅れて来た関西のエース ロングエースの

2着に敗れてしまいました。

そして遅れて5月の開催となったクラシック第1冠の

皐月賞に挑みました。

皐月賞ではデビューから5連勝中の関西の横綱ロング

エースが1番人気となり、もう1頭の横綱タイテエムが

2番人気に推され、ランドプリンスは3番人気となりました。

スタートして関東のトルーエクスプレスが逃げ、その

後ろからロングエース、ファインダイヤが先行し、ロング

エースをマークするようにタイテエムが続き、ランド

プリンスは中団、関東のイシノヒカルは後方からのレース

展開となりました。

直線に入って、逃げ粘るトルーエクスプレスをロング

エースとタイテエムが追い込むも、2頭とも伸びを欠き

逆に内をついたランドプリンスが勢いよく抜け出すと

大外から猛然と追い込んで来たイシノヒカルをおさえて

見事優勝を飾りました。

続く7月に開催された七夕ダービーに出走し、2冠目に

挑みました。。

ダービーではではロングエースが1番人気となり、ランド

プリンスが2番人気、タイテエムが3番人気と関西の

3強が人気を分け合う形となりました。

27頭が一斉にスタートすると快速馬スガノホマレが

逃げてレースを引っ張り、タイテエムは先行集団から

進み、中団にはロングエースとランドプリンス、ハクホウ

ショウが続き、後方からイシノヒカルという展開に

なりました。

直線に入るとタイテエムが先頭に立ち、外からランド

プリンス、内からロングエースが追い込み、競馬史上に

残る人気上位三頭による名勝負となりました。

最後はロングエースが首差でランドプリンスとタイテエム

を振り切って優勝し、ランドプリンスは惜しくも2着に敗れ

ダービーを制することはできませんでした。

夏を無事に超し、菊花賞に向けてランドプリンスは

秋初戦の神戸新聞杯からスタートしました。

このレースでランドプリンスは1番人気に推されましたが、

ライバルタイテエムの2着に敗れ、続く当時は秋に

行われていた菊花賞トライアル京都新聞杯でも

1番人気に推されたものの、最後のクラシック1冠菊花賞

に執念を燃やすタイテエムの4着に敗れてしまいました。

菊花賞では春の3強が顔をそろえ、好調のタイテエムが

1番人気ランドプリンスが2番人気、京都新聞杯6着の

ロングエースは調子が上がらず3番人気でレースを

迎えました。

レースは重馬場の中、マルブツスタンドとセントマーチス

が先行し、タイテエムは先行集団につけ、ロングエースは

中団を進み、ランドプリンスとイシノヒカルは後方からの

レース展開となりました。

向こう正面から3コーナーにかけては各馬激しく入れ

替わり、ランドプリンスは3コーナーで仕掛け、一気に

先頭集団に入り皐月賞と同じように内をつきました。

しかし、直線に入ると四泊流星のタイテエムが鋭く伸びて

先頭に立ち、このまま最後の1冠を執念で制するかと思い

ましたが大外からイシノヒカルが豪脚で強襲し、タイテエム

をゴール前でとらえて優勝しました。

ランドプリンスも頑張りましたが4着に敗れてしまいました。

この後、ランドプリンスはクラシック戦線での疲れを癒す

ため、休養に入りました。

暮れの有馬記念にはイシノヒカルとロングエースが参戦し、

見事イシノヒカルが菊花賞と同じような豪脚を披露して

優勝しました。

しかし、この後ロングエースが脚部不安を発症して引退し

イシノヒカルも脚部不安のため、戦線離脱してしまいました。

年が明けて古馬になったランドプリンスは天皇賞を目指し

4月のマイラーズカップで復帰したものの、かつての勢いは

なく、ライバルのタイテエムの5着に敗れ、続く天皇賞でも

本格化して悲願の天皇賞制覇をついに果たしたタイテエム

の13着に惨敗してしまいました。

そしてこの天皇賞がランドプリンスにとっての最後の

レースとなりました。

レース、後脚部の故障が判明したため、引退が

発表されました。

430キロの小さな体で強豪達とクラシックで死闘を繰り

広げてきたランドプリンスは、4歳で燃え尽きてしまった

のかも知れません。

引退後、ランドプリンスは種牡馬となりましたが、内国産

種牡馬は不遇の時代であり、またサラ系との血統的な

影響もあったせいか、代表産駒を送り出すことは

出来ませんでした。

そして昭和60年代に種牡馬を引退し、用途変更と

なった後、ランドプリンスがどのようになったかの記録が

ないのが、本当に残念です。

今週は、中山競馬場でクラシック1冠目の第82回

皐月賞が行われます。

春のクラシック戦線は春の嵐のように波乱の結果と

なっており、皐月賞も絶対的本名馬がいないため、

どの馬が優勝してもおかしくない状況となっています。

2歳チャンピオンのドウデュース、ホープフルS優勝馬で

まだ底を見せていないキラーアビリティ、無敗のダノン

ベルーガと未知の魅力のイクイノックスに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。