ハイセイコーのブログ -61ページ目
先週、中山競馬場で行われました伝統の
第64回アメリカジョッキークラブカップは
4番人気のノースブリッジが好位から直線
で内をついて抜け出し、外から追い込んで
来たエヒトやユーバーレーベンを押さえて
優勝を飾り、昨年6月のエプソムカップ以来
となる重賞2勝目をあげました。
2着には5番人気のエヒト、3着には
2021年のオークス馬ユーバーレーベン
が入り、1番人気に推されたガイアフォース
は直線で伸びを欠いて5着に終わりました。

今週は、舞台を東京競馬場に移して
フェブラリーステークスの前哨戦第37回
根岸ステークスが行われます。
根岸ステークスは1987年に旧馬齢4歳
以上の馬によるダートの重賞競走として
創設されました。
競走名の「根岸」の由来は、江戸末期に
日本初の近代競馬場である根岸競馬場
(後に横浜競馬場)が設置され、現在の
天皇賞や皐月賞等のGⅠレースを
1942年まで行っていました。
現在、跡地は根岸森林公園・根岸競馬
記念公苑になっていて、今は1等馬見所
のみ残っており、老朽化が進んでいる
ものの、その圧倒的な存在感は今でも
古の競馬ロマンを現在に伝えています。
そして一昨年の5月に横浜市が日本初の
近代競馬場として知られる旧根岸競馬場に
あった観客スタンド「1等馬見(うまみ)所」
(中区)の本格的な活用に向けた検討を
始めたとの記事が載りました。
ぜひこうした競馬の歴史上で貴重な建物は
きちんと整備を行った上で残して頂き、
後世に伝えていって欲しいと思います。



今週は、東京競馬場でダートの重賞競走
第37回根岸ステークスが行われます。
去年の覇者テイエムサウスダン、実力馬
ギルデッドミラー、レモンホップ、ヘリオスに
注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。
先週、中京競馬場で行われました記念
すべき第70回日経新春杯はジャパンC
3着以来の今年緒戦となる2番人気で
トップハンデ59キロを背負った実力馬
ヴェルトライゼンデが直線で力強く抜け
出して差し切り、昨年年鳴尾記念以来の
重賞2勝目を挙げました。
2着には首差で10番人気のキングオブ
ドラゴン、3着には4番人気のプラダリアが
入り、1番人気のロバートソンキーは
5着に敗れました。
また今年もレース直前に実況アナの
「時は過ぎてところ変われど、全馬の
無事を思う気持ちは永遠に」との言葉に
今年も天に召された今は亡きテンポイント
に想いを馳せながら、涙しました。

今週は中山競馬場で今年の関東の古馬
戦線を占う重要なレース第64回アメリカ
ジョッキーカップが行われます。
アメリカジョッキークラブカップは1960年
に日米友好の一環としてニューヨーク
ジョッキークラブから優勝杯の贈呈を受け
創設されました。
最近ではレース名をAJCCやアメリカJCC
と表記していますが、昭和期ではAJC杯の
略称が一般的でした。
そして西の日経新春杯と並んで大阪杯や
春の天皇賞に向けて今年緒戦として関東
の古馬達が参戦するレースでもあります。
思い出のレースは、二冠馬に輝き、本番
に強き名ステイヤーだったタケホープが
優勝した昭和49年第15回AJCC杯です。
私が大好きだったハイセイコーが騎手の
ダービーでの失敗の教訓を活かせず、
初めて大敗してしまった悔しい思い出の
レースでもあります。
タケホープは昭和48年のクラシック組で
同期には言わずと知れたハイセイコー
イチフジイサミ、ホウシュウエイト
シルバーランド、ホワイトフォンテン
ディクタボーイ、ヌアージターフ、クリオン
ワード等がいます。
タケホープの父は昭和期ステイヤー血統
の代表的種牡馬インディアナで、姉は
オークス馬タケフブキでシンザンの故郷
谷川牧場で生まれました。
タケホープはデビューして短い距離の
レースで苦労したものの、ダービー
トライアル4歳中距離ステークスに優勝
して何とかダービーに間に合いました。
この年は怪物ハイセイコーで日本中が
盛り上がる中、本番のダービーで10連勝
の怪物ハイセイコーを破り、菊花賞でも
再びハイセイコーをハナ差でやぶって
二冠馬に輝きましたが、同時に国民的
英雄ハイセイコーをクラシックで負かした
ことで世間から悪役の汚名を着せられ
ることもありました。
年が明けて古馬となったタケホープは
天皇賞(春)に向けた初戦として第15回
AJCC杯に出走。
このレースには前年の有馬記念でタニノ
チカラと顔を見合わせて仕掛けが遅れた
ため、敗戦を喫したハイセイコーも参戦。
その他にも3強の一角イチフジイサミ
桜花賞、ビクトリアカップの牝馬二冠を
制し有馬記念でハイセイコーとタニノ
チカラを苦しめた快速馬ニットウチドリ、
天皇賞馬で古豪のベルワイド、逃げる
精密機械トーヨーアサヒ、シンザンの
代表産駒ブルスイショーやヌアージ
ターフ等、豪華メンバーが揃いました。
レースは大方の予想どおり、トーヨー
アサヒが逃げ、その後ろからニットウ
チドリが先行し、そのニットウチドリを
マークするようにハイセイコーが続き、
例によってタケホープ、イチフジイサミ
ブルスイショーは後方からという展開で
レースが進みました。
第3コーナーで早くもニットウチドリと
ハイセイコーの2頭が動き、一気に
トーヨーアサヒを交わして、スピードを
上げ、ハイペースで2頭が競り合う形で
他馬を引き離しました。
その瞬間、私はダービーでの悪夢を
思い出してしまいました。
弥生賞で先行したニューサントに苦しめ
られたためか、超ハイペースでレースが
進む中、ハイセイコーはニューサントを
捕まえに行き、直線半ばで失速して、
後方から行ったタケホープに差され
3着に敗れてしまいました。
同じ東京の2,400mで今度は有馬記念で
苦しめられたニットウチドリを何故また
追っかけて行ってしまったのか。
予想どおり、ダービーの時と同じように
残り400mで先頭に立つも、スタミナが
無くなり後退し、一旦ヌアージターフが
躍り出ましたが、後方からレースを進めた
タケホープが外から一気追い込んで
先頭に立ち、その外からブルスイショーも
猛然と追い込みましたが届かず、
またしてもタケホープが優勝。
写真
なぜか早々と先に動いたハイセイコーと
ニットウチドリは勝った馬から2秒以上も
離されて屈辱の9着、10着に大敗して
しまいました。
翌日の新聞は、ハイセイコーに対し怪物
返上とか、落ちた偶像等とか屈辱的な
報道をしました。
私は本当に悔しかったです。
当時のハイセイコーは国民的アイドル馬
だったため、プレッシャーは半端じゃ
なかったと思いますが、ダービーでの
教訓を活かせずに、同じ過ちをして
しまったことは本当に残念です。
あの時、武豊騎手やルメール騎手だったら
どう乗っていただろうかと、ふと思って
しまうくらい、悔しいレースとして鮮明に
記憶に残っています。

今週は今年も中山競馬場で第64回
アメリカジョッキークラブカップが
行われます。
巻き返しを図るガイアフォース、ノース
ビリッジ、上り馬エピファニー、好調の
スタッドリーに注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。
先週行、中京競馬場で行われました
第57回シンザン記念はディープインパクト
産駒の最後の世代、武豊騎手騎乗の
単勝2番人気のライトクオンタムが
ディープインパクトを思わせる直線で
大外から一気に差し切りを決め優勝。
2着は逃げた3番人気ペースセッティング、
3着には4番人気トーホウガレオンが入り
1番人気に推されたクファシルはシンガリ
の7着に敗れました。
ディープ最後の産駒がシンザン記念で勝ち
鞍上が武騎手というのも名馬同士と名騎手
とが織り成すドラマのように見えました。

今週は中京競馬場で第70回日経新春杯
が行われます。
日経新春杯は日本経済新春杯の名称で
1954年に創設され、1979年より日経
新春杯に改称されました。
東のアメリカジョッキークラブカップと並んで
春の天皇賞に向けて、今年緒戦として西の
古馬達が参戦するレースでもあります。
思い出の馬は、流星の貴公子と言われた
テンポイントです。
日経新春杯というと、あれから45年が
経った今でもテンポイントの悲劇を
思い出してしまいます。
私にとってこのレースは忘れられない、
そして決して忘れてはいけないレースだと
思っています。
テンポイントは昭和51年のクラシック組で
同期には天馬トウショウボーイ、グリーン
グラス、クライムカイザー、ホクトボーイ
ニッポーキング等がいます。
テンポイントの母は桜花賞馬ワカクモで
その母は、伝貧騒動で殺処分されかけ
伝貧事件としても有名なクモワカであり
テンポイントは生まれながらにして、何ら
かの運命を背負っていたのかも知れ
ません。
テンポイントは旧馬齢3歳の夏の函館で
デビューし、新馬戦を2着馬に10馬身差
をつけて圧勝すると、秋に京都に戻って
特別レースも9馬身差をつけて連勝し
一躍関西のクラシック候補に躍り出ました。
圧巻だったのは阪神3歳ステークス、
ここでもエンジンの違いを見せて7馬身差
をつけて圧勝。
杉本アナも直線で突き放すテンポイントを
見て「見てくれこの脚、見てくれこの脚、
これが関西の期待テンポイントだ」という
あの名実況でテンポイントの勝利を称え
ました。

関西の期待を一身に背負ってクラシックを
目指して東上したテンポイントは期待どおり
東京4歳S、スプリングSに勝利し、無敗の
まま皐月賞に1番人気で挑みました。
しかし、後に天馬と言われたトウショウ
ボーイのスピードの前に2着に敗れ、
初めての敗戦を喫してしまいました。
続く、ダービーでは2番人気に推された
ものの、レース中の落鉄のアクシデントが
響き、皐月賞では負かしていたクライム
カイザーの7着に大敗してしまいました。
更にレース後、左前脚の剥離骨折が
判明し、休養に入りました。
幸いにも骨折は軽かったため、菊花賞を
目指し、体調は万全ではありません
でしたが、古馬を交えた戦いとなる京都
大賞典に出走、3着に敗れたものの、古豪
シルーバーランドや先輩のロングファスト
エリモジョージに先着しました。
杉本アナも最後に「テンポイントはこれで
十分だ。菊に向けて視界良し」と名実況
しましたが、後から馬券ファンの人達から
3着だったのに、これで十分は無いだろうと
お叱りを受けたそうです。
そして最後の一冠となる菊花賞に挑み
ました。
菊花賞では宿命のライバル、トウショウ
ボーイをマークする形でレースを進め
最後の直線で重馬場に苦しむトウショウ
ボーイを交わして先頭に立つと、勝利を
確信した杉本アナは「それ行けテンポイント
ムチなど要らぬ、押せテンポイント先頭だ」
と絶叫しましたが、内と外に大きく分れ
いつの間にかスルスルと内ラチ沿いを
伸びてきた12番人気のまだ伏兵だった
関東馬グリーングラスに交わされ、
トウショウボーイやクライムカイザーに
先着したものの、またしても2着に敗れて
しまいました。

結局、テンポイントのクラシックは無冠に
終わってしまいました。
菊花賞の後、テンポイントは有馬記念への
出走を決め、宿敵トウショウボーイと再び
対戦することになりました。
スタートしてテンポイントはトウショウボーイ
をマークしながら5、6番手でレースを進め
直線で外に持ち出し、勝負にかけましたが
先に抜け出して先頭に立ったトウショウ
ボーイのスピードは鈍るどころか、更に
加速し、結局トウショウボーイとの差は縮
まらず、またしても1馬身半差の2着に
敗れました。

年が明けて古馬になったテンポイントは
天皇賞(春)制覇を目指し、京都記念では
斤量59キロ、鳴尾記念は斤量61キロを
背負いながらも出走し、辛勝ながら
天皇賞馬エリモジョージやダービー馬
クライムカイザー等をやぶって連勝を飾り
天皇賞(春)に出走しました。
レースはゴールドイーグルが果敢な逃げ
で始まり、グリーングラスもかかり気味で
先行する展開の中、テンポイントは序盤
5、6番手でレースを進め、第3コーナー
で仕掛けて第4コーナーで先頭に立ち
ました。
そして菊花賞と同じようにまたしても
グリーングラスは内をつき、外から
ナオキの弟クラウンピラードやとホクト
ボーイが追い込んで来ましたが、その
猛追を退けて、テンポイントは堂々と
ゴールし、初の八大競走制覇を果たし
ました。

その後、脚部不安で春の天皇賞を断念
したトウショウボーイが宝塚記念への
出走を決めると、テンポイントも参戦を
決め、再び両雄が激突することになり
ました。
まだ体調が万全でないと言われていた
トウショウボーイでしたが、レースでは
いつものようにスピードある逃げを展開し
テンポイントもトウショウボーイをマーク
して2番手追走したものの、最後まで
交わすことができず、またしても2着に
敗れてしまいました。

この敗戦で競馬ファンからはテンポイント
は永久にトウショウボーイには勝てない
だろうと言われてしまいました。
夏を休養したテンポイントは京都大賞典に
出走し、斤量63kgを背負いながら逃げて
2着に8馬身の差をつけて圧勝。
続くオープン競走も斤量60kgを背負って
逃げ切って優勝し、有馬記念に駒を
進めました。
そして迎えた第22回有馬記念、宿敵
トウショウボーイは、この有馬記念を
最後に引退を表明したため、テンポイント
とトウショウボーイは最後の対決となり
ました。
テンポイントはファン投票において1位を
獲得し、当日も単勝1番人気に推され
ました。
レースはトウショウボーイがいつもの
スピードで先頭に立って逃げると、打倒
トウショウボーイに燃えるテンポイントは
トウショウボーイを徹底マークして2番手を
進み、2頭が3番手につけたグリーン
グラス以下の後続を大きく引き離す展開と
なりました。
向こう正面ではテンポイントがトウショウ
ボーイの前に出る等、両雄一歩も譲らず
マッチレースのような展開でレースが
進みました。
もうこの2頭以外は脇役であり、まさに
テンポイントとトウショウボーイによる
競馬史上に残る世紀の一戦となりました。
抜きつ抜かれつの展開は最後の直線まで
続き、激しい競り合いの末、テンポイント
がついに宿敵トウショウボーイをやぶって
優勝し、悲願の日本一になりました。
そしてテンポイントは、この年の年度
代表馬に選出され、ついに悲願だった
頂点に立つことができました。

年が明けて6歳になったテンポイントは
現役を続行し、世界に挑戦することになり
2月にイギリスへ向けて出発することに
なりました。
しかし海外挑戦発表後、ファンから遠征前
にテンポイントの姿をもう一度見たいという
要望が殺到し、これを受けて壮行レース
としてハンデの斤量がより重たくなることが
予想される1月の日本経済新春杯が
有力視されました。
後の話として高田オーナーは重い斤量を
課されることへの懸念から内心出走させ
たくなかったそうです。
小川調教師も斤量が67kg以上の場合は
出走を取り消す予定でしたが、発表された
斤量は66.5kgであったため出走が決まり
ました。
しかし、馬主の高田オーナー、鹿戸騎手、
吉田牧場の吉田場長は66.5kgの斤量に
懸念を抱いていたそうです。
このわずか0.5kgの差がテンポイントの
運命を決定づけ、悲劇を生んでしまい
ました。
運命の昭和53年1月22日、レース当日
京都はく粉雪が舞い散る寒い日でした。
私は前日、テンポイントの斤量66.5kgが
気になっていたためか、テンポイントが
レース中、骨折して死んでしまう夢を見て
いました。
まさかそれが正夢になるとは。
胸騒ぎが収まらない中、レースはスタート
し、テンポイントが先頭に立つ展開となり
ました。
向こう正面で杉本アナは「テンポイントの
門出を祝うかのように京都競馬場に粉雪が
舞っています」と実況しましたが、私には
全くそうには思えませんでした。
向こう正面半ば過ぎからエリモジョージや
ビクトリアシチーに競りかけられる嫌な
展開となり、第4コーナーにさしかかった
ところでテンポイントが突然バランスを崩し
後ろから崩れるような形で後退し、そのまま
競走を中止してしまいました。
まさに夢で見た場面が現実となってしまい
ました。
テンポイント最後の勇姿


この状況に実況の杉本アナは「あーっと
テンポイントおかしい、テンポイントが後退
した、これはどうしたことか、故障か、テン
ポイントは故障か、これはえらいことに
なりました、何としても無事でと、願って
いたお客さんの気持ちも通じません、
なんとも言葉がありません、山田厩務員が
懸命に馬の方に向かって走って行きます」
と、ただただ絶望の中で実況し続けました。
骨折の程度は折れた骨(第3中足骨)が
皮膚から突き出す(開放骨折)という重度の
もので、鮮血が噴出していたそうです。
診断結果は左第3中足骨し開骨折ならびに
第1指骨複骨折で普通であればすぐに
安楽死処分となる重症でした。
翌日、テンポイントの骨折は一般紙を含め
大きく報道され、中央競馬会にはファン
からテンポイントの助命を嘆願する電話が
数千件寄せられ、これを受けて高田
オーナーも助かる確率はわずかであった
ものの、手術に踏み切りました。
翌日、医師33人による大手術が行われ
手術も成功し、テンポイントの状態も
一時期快方に向かいました。
テンポイントの闘病中もスポーツ紙では
連日症状が詳細に報じられ、厩舎には
全国のファンから千羽鶴や人参などが届け
られました。
しかし恐れていた蹄葉炎を発症し、その後
状態は悪化の一途たどっていきました。
そして昭和53年3月5日8時40分、
テンポイントは42日間におよぶ闘病生活を
終え、静かに天国に旅立って行きました。
テンポイントの死はNHKが昼のニュース
番組でトップニュースとして報道され、翌日
スポーツ紙各社はテンポイントの死を一面
で大きく報じ、全世界にも打電され、日本中
の人々は、最後まで生きようと頑張った
名馬テンポイントの死を悼みました。

3月7日、栗東でテンポイントの葬儀が
行われ、テンポイントの遺体は母ワカクモ
が待つ、生まれ故郷の吉田牧場に運ばれ
ました。
3月10日に吉田牧場でもテンポイントの
葬儀が行われ、競馬関係者やファンなど
約400人が参列し、母ワカクモも見守る中
テンポイントは埋葬されました。
牧場巡りで吉田牧場を訪れた時、牧場
の方から、テンポイントが埋葬される時
母のワカクモが我が仔テンポイントの死が
判ったのか、天高くいなないたそうです。

あのテンポイントの悲劇以来、40年以上
たった今でも毎年日経新春杯のレースに
限って発送直前に関西テレビの実況アナが
「今年も全馬とレースの無事を祈って」と
言っているように、改めて全馬無事での
完走とレース中に何事も起きないことを
祈る象徴的なレースとなっています。
昨年も実況アナがレースの直前
「時は流れ、場所が変わっても全馬の
無事を祈って」と言ってくれた時、私は
涙が止まりませんでした。
今週は今年も中京競馬場で記念すべき
第70回日経新春杯が行われます。
実力のヴェルトライゼンデ、実績の
プラダリアとロバートソンキー、ヴェロー
ナシチーに注目しています。
テンポイントの悲劇から今年で45年の
歳月が流れました。
テンポイントに想いを馳せながら今週も
全馬の無事を祈りながらレースを観ます。

