ハイセイコーのブログ -6ページ目
昨日、京都競馬場で行われました
クラシック最終戦第86回菊花賞は1番
人気のエネルジコが直線で抜け出して
勝利し、G1初制覇を飾りました。
2着には追い込んだ2番人気のエリキング
3着には13番人気のエキサイトバイオが
入りました。

今週は、東京競馬場で伝統の第172回
天皇賞秋が行われます。
天皇賞の歴史は古く、昭和12年秋から
帝室御賞典という名称で行われました。
帝室御賞典は戦争のため昭和19年に
戦争のため中止され、昭和22年春に
平和賞の名称で再開し、同年秋からは
天皇賞と改称され現在に至っています。
そして創設以来、当初は1度優勝した馬は
再出走を認めないとされてきましたが、
昭和56年に制度が廃止され、過去の
優勝馬も再出走が可能になりました。
またその後、スタミナよりもスピードの強化
を重視する意見などにより、賛否両論が
あったものの、昭和59年から秋の天皇賞
は施行距離が2000mに短縮され、更に
古馬の最高峰として位置づけられてきた
天皇賞でしたが、昭和62年からは4歳馬
も出走が可能になり、これにより各馬は
様々な選択肢が取れるようになりました。
天皇賞への再出走が可能となったことで
引退時期が延び、天皇賞連覇や天皇賞馬
同士の激突や3歳馬と古馬の戦いが
見られることで新たな天皇賞に変貌
しましたが、一方で距離が短くなったことで
東京競馬場での1周目のストレッチで沸き
起こる大歓声が聞けなくなったことが
残念であると共に強い馬よりスピード馬を
つくることが、本当に世界の競馬に対応
できるのかという懸念も生まれました。
中距離馬にも天皇盾の夢をということでは
仕方がないことかも知れません。
私個人としては古馬の最高峰という伝統は
継承して欲しかったと今でも思っています。
思い出の馬は、競走生命をかけて世界を
相手に戦えることを証明し、世界への扉を
開いた偉大な勇士キョウエイプロミスです。
キョウエイプロミスの父はイギリスの
2000ギニーやチャンピオンステークスに
勝ち、中距離馬として高い評価を得た
ボールドリックで海外ではアイルランド
ダービー馬のアイリッシュボールを出す等
一定の成功を収めましたが、日本では
キョウエイプロミスの他テイオージャがいる
くらいで活躍馬には恵まれませんでした。
キョウエイプロミスは昭和55年のクラシック
組で、同期にはダービー馬オペックホース
有馬記念馬アンバーシャダイ、天皇賞馬
モンテプリンス、菊花賞馬ノースガスト
皐月賞馬ハワイアンイメージ、快速馬
サクラシンゲキやオーバーレインボー、
サーペンプリンス、ドロップロード等の
重賞勝ち馬がいます。
キョウエイプロミスは名門高松厩舎に
入厩し、旧馬齢3歳夏の札幌でデビュー
しましたが7着に敗れ、初勝利したのは
4戦目の暮れの中山の未勝利戦でした。
年が明け4歳になったキョウエイプロミスは
東京で2連敗後、3月の小倉2戦目の条件
特別を勝って2勝目を挙げると皐月賞への
出走をかけて、格上の皐月賞トライアル
スプリングステークスに挑みましたが、
13着に大敗し、その後クラシック戦線に
出走することはありませんでした。
その後、キョウエイプロミスは夏の函館に
遠征して3勝目を挙げると、函館記念に
挑戦しましたが、同期のサーペン
プリンスの5着に終わりました。
レース後、キョウエイプロミスは脚部
不安を発症して長期休養を余儀なく
されてしまいました。
1年間休養後、古馬になったキョウエイ
プロミスは8月の函館の条件戦で復帰して
2着に入り、その後東京に戻って条件戦で
2着に入るも、目黒記念では10着に大敗。
それでも暮れのステイヤーズステークスで
僅差の2着に入るなど、復調の兆しを
見せました。
年が明け6歳になったキョウエイプロミスは
条件特別を快勝すると長距離レースの
ダイヤモンドステークスに参戦。
前年のステイヤーズステークスで敗れた
ピュアーシンボリに圧勝し、遅まきながら
重賞初制覇を果たしました。

続いてキョウエイプロミスは春のG1戦線を
締めくくるグランプリ競走宝塚記念に挑戦。
このレースには天皇賞馬モンテプリンス
菊花賞馬ノースガスト、前年の優勝馬
カツアールやメジロティターン、快速馬
サクラシンゲキ等が出走、グランプリ競走に
相応しいメンバーが顔を揃えました。
7番人気に推されたキョウエイプロミスは
サクラシンゲキが逃げる中、第4コーナーで
モンテプリンスに並びかけるなど、大いに
見せ場をつくって4着に入るなど、
半年間で一流のオープンクラスと
互角に戦えるまでに本格化しました。
夏は札幌に遠征し、札幌記念では9着に
敗れるも、秋に入って毎日王冠に参戦。
このレースには有馬記念を制したアンバー
シャダイ、クラシックトライアル三冠馬の
サンエイソロンやメジロティターン、メジロ
ファントム、カツアール、ジュウジアローなど
重賞勝ち馬が出走。
レースは、まさかの逃げる形になった
アンバーシャダイを4番手から進んだ
キョウエイプロミスが最後の直線で馬場の
真ん中から鋭く伸びてアンバーシャダイを
交わして先頭に立ち、外から追い込んで
来たサンエイソロンを振り切って優勝を
飾り、重賞2勝目を挙げました。

この勢いで続く天皇賞秋では3番人気に
支持され出走しましたが、7着に敗退。
続く目黒記念では1番人気に推されるも
13頭立ての12着と惨敗してしまいました。
続いてキョウエイプロミスは有馬記念に
挑戦し、15頭中13番人気という
低評価での出走となりました。
レースは、宝塚記念優勝後に繋靭帯炎を
発症して休養し、有馬記念でファン投票
1位に選ばれた責任感から脚元は限界に
近い状態だったにも係わらずファンの声に
応える形で危険を承知で出走を決めた
モンテプリンスが果敢に先行する中、
キョウエイプロミスも積極的に3番手を追走。
最後の直線でアンバーシャダイが先頭に
立ち、連覇かと思われましたが、外から
ヒカリデュールが豪脚を繰り出して
アンバーシャダイを交わして優勝を飾り
キョウエイプロミスもアンバーシャダイに
続いて3着に入るなど大健闘を見せました。

年が明け7歳になったキョウエイプロミスは
現役を続行しましたが、脚部不安が再発し
再び長期の休養を余儀なくされてしまい
ました。
秋に入ってキョウエイプロミスは前年に
制した毎日王冠で復帰して3着に入り、
そして再び天皇賞秋に挑みました。
このレースには天皇賞の春秋連覇を狙う
アンバーシャダイ、桜花賞馬リーゼン
グロス、本格化したタカラテンリュウ、後の
天皇賞馬モンテファストやイーストボーイ
ミスラディカルなどが出走。
1番人気はタカラテンリュウでキョウエイ
プロミスは2番人気での出走となりました。
レースはスタートして大方の予想どおり
タカラテンリュウがハナを奪って逃げ、
キョウエイプロミスは2番手を追走、
その後ろからアンバーシャダイが続き
イーストボーイは中団、モンテファストは
後方から競馬となりました。
東京競馬場で行われる最後の3200mの
天皇賞の1週目の正面スタンド前では
イーストボーイが引っ掛かり気味に
2番手にあがり、タカラテンリュウが淡々と
逃げる中、第3コーナーでキョウエイ
プロミスとイーストボーイが仕掛け、
第4コーナーではアンバーシャダイも
仕掛けてタカラテンリュウとの差を縮めて
直線の勝負へ。
内をとおって逃げ粘るタカラテンリュウを
キョウエイプロミスが一気に交わして
先頭に立ち、外から追い込んで来た
アンバーシャダイとカミノスミレを突き放し
悲願の天皇賞優勝を飾り、ついに堂々と
一流馬の仲間入りを果たしました。

天皇賞を勝ったキョウエイプロミスは2年
連続で日本馬が惨敗しているジャパン
カップに日本代表馬として駒を進めました。
この時、元から悪かった脚も限界に達して
おり、高松調教師もキョウエイプロミスの
脚が壊れ、ジャパンカップが最後の
レースになるかも知れないと思うほど
厳しい状況での出走となりました。
そして迎えた第3回ジャパンカップ、
日本からは有馬記念や天皇賞を制した
アンバーシャダイ、天皇賞馬メジロ
ティターン、快速馬ハギノカムイオーや
タカラテンリュウ、ミスラディカル等が参戦。
1番人気はアイルランドのハイホークで
キョウエイプロミスは16頭中10人気での
出走となりました。
レースはハギノカムイオーが快速を活かし
後続を30馬身以上離す玉砕的な逃げを
展開し、キョウエイプロミスは6番手からの
競馬となりました。
第3コーナーでハギノカムイオーが失速
するとイギリスのエスプデュノールが
今度は先頭に立ち、アンバーシャダイも
差を詰めて直線の勝負へ。
最後の直線に入ってアンバーシャダイが
エスプデュノールを交わして先頭に立つか
という見せ場をつくりましたが、外から
アイルランドのスタネーラがもの凄い脚で
追い込み、キョウエイプロミスも負けずに
鋭く伸びてスタネーラに食らいつき、
2頭による激しい叩き合いとなりましたが
最後はスタネーラがアタマ差で優勝し、
キョウエイプロミスはあと一歩のところで
優勝に届きませんでした。
しかし、2着に敗れはしたものの、
日本馬として初の連対を果たすなど、
今後の日本馬の活躍に大いに希望を
与えてくれました。

しかし、その激走の反動は大きく、キョウ
エイプロミスは、レース中に右前脚繋靱帯
不全断裂を発症し、場内が騒然とする中
コースから馬運車での退場となってしまい
ました。

最後は競走生命を絶ってまで頑張った
キョウエイプロミスのその痛々しい姿に
多くのファンは、今後の行方を心配し、
涙しました。
キョウエイプロミスは、何とか安楽死は
免れたものの、競走能力喪失と診断され
そのまま引退となってしまいました。
そして、この天皇賞とジャパンカップでの
2着が高く評価され、キョウエイプロミスは
1983年の最優秀5歳以上牡馬に
選出されました。
引退後、キョウエイプロミスは1984年から
種牡馬となり、勝ち馬は出したものの、
代表産駒を残すことは出来ませんでした。
記録によりますと
1994年に種牡馬を引退し、その後は
功労馬として余生を過ごしていましたが、
2003年に26年の生涯に幕を下ろし、
天国に旅立ったとのことです。
今週は、東京競馬場で伝統の第172回
天皇賞秋が行われます。
マスカレードボール、メイショウタバル
ホウオウビスケッツ、ロードデルレイに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
昨日、京都競馬場で行われました牝馬
クラシック最終戦、節目となる第30回
秋華賞は道中好位を進んだ2番人気の
桜花賞馬エンブロイダリーが逃げ粘る
エリカエクスプレスをゴール前で差し切って
優勝を飾り牝馬クラシック2冠に輝きました。
2着には逃げ粘った5番人気のエリカ
エクスプレス、3着には6番人気のパラディ
レーヌが入り、1番人気に推された
カムニャックは第4コーナーでは手応えが
無くなり、直線ではズルズルと後退し
16着に終わりました。

今週は、京都競馬場でクラシック競走の
三冠目、第86回菊花賞が行われます。
菊花賞はイギリスのセントレジャーを
範にとり、1938年に京都農林省賞典
四歳呼馬の名称で4歳 (現3歳)馬による
重賞競走として創設されました。
そして1948年より現名称の菊花賞となり
クラシック3冠競走の最終戦として
行われています。
昭和期から皐月賞は最も速い馬が勝つ
日本ダービーは最も運のある馬が勝つと
呼ばれるのに対し、菊花賞はスピードと
スタミナを兼ね備えた最も強い馬が勝つと
言われてきました。
また菊花賞の走行距離は3,000mの
長距離レースなのですが、菊花賞は
必ずと言っていいほど、スローペースに
なることが多く、そのため昭和の時代から
京都の3,000mはマイラーでも持つと
言われてきました。
思い出の馬は、中央競馬で史上初めての
芦毛馬によるクラシック制覇を成し遂げた
プレストウコウです。
プレストウコウの父は短距離系種牡馬
グスタフで代表産駒には新潟記念に
優勝したタケデンジャガーがいます。
また、兄には花の昭和47組でローカルの
鬼と言われたノボルトウコウがいます。
プレストウコウは昭和52年のクラシック組
で同期には外車マルゼンスキー、巨漢の
ダービー馬ラッキールーラ、皐月賞馬
ハードバージ、有馬記念を制したカネミノブ
天皇賞馬テンメイやリュウキコウ、
ヒシスピード、ヨシノリュウジン等の重賞
勝ち馬がいます。
プレストウコウは旧馬齢3歳秋の中山で
デビューし、初戦の新馬戦は1番人気に
応えられず6着に敗れたものの、3戦目の
未勝利戦で初勝利を挙げると、続く条件
特別戦を連勝して3連勝し、一躍クラシック
候補に名乗りを挙げました。
年が明けて4歳になったプレストウコウは
京成杯、東京4歳ステークス、弥生賞に
参戦するも、いずれも3着に敗れ、その後
クラシック一冠目の皐月賞に挑みましたが
ハードバージの13着に大敗してしまい
ました。
続いてプレストウコウは、後のダービー馬
ラッキールーラやデビューして3連勝中の
関西の秘密兵器ホリタエンジェル等も
参戦した当時のダービートライアル
NHK杯に参戦。
プレストウコウは中団でレースを進め、
第3コーナーで先頭に立ったラッキー
ルーラが最後の直線で逃げ込みを図る中
内をついたプレストウコウが鋭く伸びて
ラッキールーラを交わして先頭に立ち
更に内から伸びて来たホリタエンジェルを
おさえて優勝を飾り、重賞初制覇を果たし
ました。

続いてプレストウコウは、当時は残念
ダービーと言われた日本短波賞に出走し
外車マルゼンスキーに挑みましたが、全く
歯が立たず7馬身差をつけられ、それでも
何とか2着を確保しました。
夏を無事に越したプレストウコウは秋緒戦
後の天皇賞馬カシュウチカラや牝馬
二冠馬テイタニヤ、ディアマンテ等が参戦し
古馬との初対戦となる京王杯オータム
ハンデで1番人気に推されて出走。
道中、積極的に先行策をとって進み、
最後の直線で先頭に立ちましたが、
最後はカシュウチカラに半馬身交わされて
敗れてしまいましたが、僅差の2着と
大健闘しました。
続いてプレストウコウはセントライト記念に
駒を進め、春のクラシックで活躍した
カネミノブやダービー6着のアマミプリンス
を相手に積極的な先行策をとって逃げ
最後の直線でも失速することなく、更に
脚を伸ばして突き放し、カネミノブに
約2馬身差をつけて圧勝。
この勝利で、プレストウコウは、ついに
本格化しました。

その後プレストウコウは菊花賞を目指して
西下し、当時は菊花賞トライアルだった
京都新聞杯に出走しました。
このレースには春のクラシック組から
ダービー馬ラッキールーラやカネミノブ
ホリタエンジェル、リュウキコウ等が参戦し
1番人気はラッキールーラが支持され、
プレストウコウは2番人気での出走と
なりました。
レースはラッキールーラが先手をとって
逃げ、プレストウコウは道中、内々を通って
中団から進むという展開となりました。
第4コーナーでは各馬が一斉に仕掛け
一団となって直線の勝負へ。
最後の直線、先頭のラッキールーラが逃げ
込みを図る中、内からプレストウコウが鋭く
伸びて、一気にラッキールーラを交わして
先頭に立ち、二の脚を使って差し返して来る
ラッキールーラをおさえ、レコードタイムで
勝って重賞2連勝を飾り、菊花賞の最有力
候補に躍り出ました。

そして迎えた本番の菊花賞、勢いに乗る
プレストウコウは当時あった単枠指定を
受け、クラシック最終戦の菊花賞に
挑みました。
皐月賞馬ハードバージがダービー後に
屈腱炎を発症して戦線を離脱する中
菊花賞にはダービー馬ラッキールーラや
カネミノブ、ホリタエンジェル、リュウキコウ
上り馬で名牝トウメイの仔テンメイ等が
参戦。
プレストウコウが1番人気となるかと思われ
ましたが、両親が短距離血統とレコード
勝ちの後の反動や芦毛馬はクラシック
未勝利といった要素が影響したのか、1番
人気は同じく単枠指定を受けたラッキー
ルーラで、プレストウコウは3番人気での
出走となりました。
レースはスタートして九州が生んだ快速馬
オサイチセイダイが果敢に先手を取って
逃げ、ラッキールーラは2番手を進み
4番手にカネミノブ、プレストウコウは7番手
テンメイとリュウキコウは後方からという
展開になりました。
向こう正面の山の上でラッキールーラが
押し出されるように早くも先頭に立つと
各馬も仕掛け、テンメイも3番手に上がり
第4コーナーでは1番人気のラッキー
ルーラが何と後退し始めるという中、
メグロモガミとテンメイが先頭争いを
しながら直線の勝負へ。
直線に入ってテンメイが先頭に立つと
場内からは大歓声が起こり、杉本アナの
「テンメイ先頭、テンメイ先頭、トウメイが
待っているぞ」という名実況の中、大外から
距離に疑問と言われたプレストウコウが
何ともの凄い脚で追い込んでテンメイを
一気に交わして先頭に立ち、昭和34年の
優勝馬ハククラマが記録したタイムを
18年ぶりにやぶって、レコードタイムで
優勝を飾りました。

このプレストウコウの勝利は、当時
血統に興味があって、研究していた私の
常識を覆し、改めて競馬の奥深さを思い
知ったレースでもありました。
因みにヴェンチアの仔クライムカイザーの
ダービーでの勝利にも驚かされましたが。
この後、プレストウコウは暮れのグランプリ
レース有馬記念に挑みましたが競馬史上に
残るテンポイントとトウショウボーイとの
一騎打ちとTTGの一角グリーングラスの
3頭による死闘の前に、歴戦の疲れと
レコードタイムでの勝利による疲れが出て
しまったのか、全く歯が立たず1秒2も
離された4着に敗れてしまいました。
しかし、菊花賞の勝利とこの秋の活躍が
高く評価されプレストウコウは、この年の
最優秀4歳牡馬に選出されました。
年が明けて古馬になったプレストウコウは
アメリカジョッキーカップから始動し、6頭中
4着に敗れたものの続くオープン競走では
トップの斤量61キロを背負いながらも
カシュウチカラやグリーングラスをやぶって
勝ち、天皇賞春を目指し、堂々と
西下しました。
この天皇賞春にはトウショウボーイが
引退し、テンポイントは不慮の事故で
この世を去ってしまった中、TTG時代の
最後の1頭となったグリーングラスや
カシュウチカラ、キングラナーク、トウフク
セダン、トウカンタケシバ等が出走。
1番人気はグリーングラスでプレストウコウ
は2番人気での出走となりました。
レースはビクトリアシチーとロングイチーの
先頭争いで始まり、プレストウコウは
まずは中団から進みましたが、1週目の
第3コーナーで郷原騎手が突然立ち
上がるような恰好となり1週目のホーム
ストレッチではプレストウコウにつかまって
いるのがやっとの状態となってしまい
競走を中止してしまいました。

原因は郷原騎手の準備ミスによって
レース中に前代未聞の鞍ズレを起こして
しまったとのことで、何も分からない
プレストウコウにとっては本当に不運な
出来事となってしまいました。
この後、休養に入ったプレストウコウは
秋に入って毎日王冠で復帰。
このレースにはカシュウチカラや同期の
カネミノブが出走。
プレストウコウはトップの斤量62キロを
背負いながらも1番人気に支持されました。
レースはラッキーウェストが逃げ、プレス
トウコウは2番手を進み、その後ろから
カネミノブとカシュウチカラがプレストウコウ
をマークするように進みました。
第4コーナーでプレストウコウがラッキー
ウェストに並びかけ、直線の勝負へ。
直線に入ってプレストウコウが先頭に
立つとカシュウチカラには伸び脚は無く
カネミノブが必死に追い込むも、62キロを
背負ったプレストウコウが更に脚を
伸ばして突き放し、最後はカネミノブに
1馬身半差をつけて圧勝。
5つ目の重賞を獲得しました。

この勢いのまま、プレストウコウは
天皇賞春での屈辱を晴らすべく
天皇賞秋に参戦しました
このレースには菊花賞での借りを返すべく
参戦したトウメイの仔テンメイ、重賞2連勝
して本格化したリュウキコウ、天皇賞に
執念を燃やすカシュウチカラやカネミノブ
ハシコトブキ、古豪ロングファスト等、
多彩なメンバーが顔を揃えました。
しかし、またしてもプレストウコウは
前代未聞のアクシデントに巻き込まれて
しまいました。
レースはプレストウコウが絶好のスタートを
切って、スムーズに逃げる態勢に入って
いましたが枠入り直後にパワーシンボリが
ゲートに噛みついてスタートできず、発走の
やり直し(カンパイ)という前代未聞の
アクシデントが発生。
ゲートから出た馬たちを呼び戻し発走前の
ファンファーレから再びやり直しという
ことになってしまいました。
再スタートとなったレースではスタートを
待つ間にプレストウコウは興奮してしまい、
スタートした直後は良かったのですが、
1周目のスタンド前の大歓声で興奮して
引っ掛かってしまい豪腕郷原をもってしても
制御が利かなくなったプレストウコウは
暴走気味の大逃げを打つ波乱の展開と
なり、場内は騒然となりました。
向正面では10馬身の差をつけて大逃げを
打つプレストウコウ、ただでさえ血統的に
距離に疑問と言われていただけに、この時
誰もがプレストウコウの大敗を覚悟し、
レース途中で故障を起こすのではないかと
心配して見ていました。
場内が騒然となる中、プレストウコウは
後続馬に差を詰められながらも、先頭で
最後の直線へ。
直線に入ってもプレストウコウは失速する
ことなく逃げ粘り、外から懸命にテンメイが
鋭く伸びてプレストウコウを交わしにかかり
プレストウコウも必死で差し返しましたが
最後は菊花賞とは反対にテンメイがプレス
トウコウを半馬身差交わして優勝。
しかし、プレストウコウの東京3200mで
更にあのレース展開での驚異の2着には
多くのファンが驚かされました。

続いてプレストウコウは昨年と同様に暮れの
有馬記念に1番人気に推されて出走するも
12着に大敗。
レース後、天皇賞での無理が祟ったのか
球節炎を発症したため、長期休養を
余儀なくされてしまいました。
しかし、必死の治療もむなしく、球節炎は
最後まで完治することはなく、9ヶ月の
休養後、毎日王冠で復帰して4着に
入ったのを最後に、引退を決意し種牡馬と
なりました。
当時の内国産種牡馬不遇の時代にあって
プレストウコウは種牡馬入りしたものの、
種付け頭数に恵まれず、東京ダービーを
制したウインドミルを輩出したものの、
中央での代表産駒には恵まれません
でした。
そして、記録によりますと
1990年暮れ、プレストウコウはラッキー
ルーラ、カツトップエース共に海を渡って
韓国に輸出され、韓国の元堂牧場で
第3の馬生を始めました。
しかし、老齢と失明で種付け能力を失った
ため、1994年12月30日に安楽死処分が
とられました。
波乱万丈の馬生をおくったプレストウコウ、
韓国には動物に墓を建てて弔うという
風習がないため、プレストウコウの墓標は
存在しませんが、プレストウコウは今、
はるかに日本を望む小高い丘で静かに
眠っているとのことです。
今週は京都競馬場でクラシック3冠競走の
最終戦となる第86回菊花賞が行われます。
ダービー馬、皐月賞馬が出走しないのは
残念ですが、エリキング、エネルジコ
ジョバンニ、ショウヘイに注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
昨日、東京競馬場で行われました
記念すべき第1回アイルランドトロフィーは
4番人気のラヴァンダが外から追い込み、
内で粘るアンゴラブラック、カナテープを
ゴール前で差し切って勝ち、初代女王に
輝きました。
2着には6番人気のアンゴラブラック、
3着には5番人気のカナテープが入り、
1番人気に推されたボンドガールは直線で
伸びず9着に敗れました。

今週は、京都競馬場で牝馬クラシック
三冠目、節目となる第30回秋華賞が
行われます。
秋華賞は昭和期、4歳(現3歳)牝馬
クラシック路線の3冠目という位置づけで
1970年にビクトリアカップが創設され
ました。
その後1975年にエリザベス女王の来日
を記念して1976年にエリザベス女王杯が
創設されと距離や競走条件はビクトリア
カップを踏襲したものの、エリザベス女王
への敬意を表するため、ビクトリアカップ
からの引き続きではなく第1回エリザベス
女王杯として行われ、1995年まで牝馬
クラシック3冠目という位置づけで4歳
牝馬限定競走として行われていました。
その後、1996年に牝馬競走体系の
見直しに伴い、エリザベス女王杯は競走
条件が4歳牝馬限定から4歳以上牝馬に
変更され行われることになりました。
このエリザベス女王杯の位置づけの
変更により、エリザベス女王杯に代わる
4歳牝馬クラシックの3冠目として新たに
秋華賞が新設され、現在に至っています。
思い出の馬は、牝馬最強世代にあって
桜花賞と当時牝馬クラシック三冠目だった
エリザベス女王杯の二冠を制した昭和を
代表する名牝インターグロリアです。
インターグロリアの父は昭和を代表する
万能系種牡馬ネヴァービートで代表
産駒には皐月賞馬マーチス、天皇賞馬
リキエイカン、オークス馬ルピナス
障害の王者グランドマーチスやクニノハナ
ダイイチオー、メジロスイセイ、マツカオリ
ハシクランツ等、挙げれば切りがない程
多くの重賞勝ち馬を世に送り出しました。
インターグロリアは昭和52年の牝馬
クラシック組で、同期には3強と言われた
オークス馬リニアクイン、アイノクレスピン
快速馬メイワキミコやセーヌスポート
スリーファイヤー等の重賞勝ち馬がいます。
インターグロリアはデビューが遅く、旧馬齢
4歳2月京都の新馬戦でようやくデビュー
しましたが、調整のミスにより大差の7着に
敗れてしまいました。
しかし、馬体を立て直した結果、2戦目の
新馬戦は大差の圧勝で初勝利を挙げ、
続く条件特別も快勝すると、一躍牝馬
クラシック候補に躍り出ました。
そして迎えた牝馬クラシック初戦
桜花賞では1番人気に推されました。
レースは、スタートして悲劇の快速馬
キシュウローレルの妹メイショウローレル
が果敢に逃げ、インターグロリアは
5、6番手の絶好のポジションから進み
ライバルのアイノクレスピン、リニア
クインは中団からの展開となりました。
第3コーナーから第4コーナーにかけて
インターグロリアが仕掛けて2番手に
上がり、アイノクレスピン、ファイン
ニッセイも差を詰めて直線の勝負へ。
最後の直線に入って、インターグロリアと
ファインニッセイが抜け出して競り合う中
リニアクインも追い込んで来ましたが
最後はインターグロリアが脚を延ばして
突き放し、2着に3馬身差をつけて快勝。
破竹の3連勝でデビューから僅か2ヶ月で
クラシック制覇を成し遂げ、第37代
桜の女王に輝きました。

その後、インターグロリアはオークスを
目指して東上したものの、体調を崩し
オークストライアルは9着に敗れ、本番の
オークスも14着と大敗してしまいました。
夏場を休養したインターグロリアは
当時は前哨戦と言われた京都牝馬特別で
3着に入って復調の気配を見せ、本番の
牝馬クラシック最終戦エリザベス女王杯に
挑みました。
このレースにはオークス馬リニアクインや
神戸新聞杯でオークス馬リニアクインを
負かし、並み居る牡馬達をも蹴散らして
勝ったアイノクレスピンが参戦。
1番人気は本格化したアイノクレスピンが
推され、牝馬3強の戦いと言われる中
インターグロリアは距離への疑問からか
3番人気での出走となりました。
レースはスタートしてケイシルバーの
逃げで始まりましたが、アイノクレスピンが
並びかけて2頭が競り合う形になりました。
インターグロリアは2頭を見るように中団を
進み、リニアクインは後方からの競馬と
なりました。
第3コーナーでアイノクレスピンが先頭に
立つと、外からリニアクイン、内からは
インターグロリアが一気に仕掛けて
差を詰め、3強による激しい女の戦いを
演じながら直線の勝負へ。
最後の直線でアイノクレスピンが先頭に
立つも、内からインターグロリアが鋭く
伸びてアイノクレスピンを交わして先頭に
立ち、外から猛然と追い込んで来る
リニアクインをおさえて優勝を飾り、牝馬
クラシック二冠馬に輝きました。

そして暮れの阪神牝馬特別でリニアクイン
アイノクレスピン、インターグロリアの牝馬
3強が顔を揃え、再び対戦することに
なりました。
期待どおり最後の直線で3強が激しい
競り合いを演じ、内から鋭く伸びた
インターグロリアが接戦を制して優勝を
飾り、3つ目の重賞を獲得しました。

そして、インターグロリアは昭和52年に
おける成績が高く評価され、最優秀
4歳牝馬に選出されました。
年が明け古馬になったインターグロリアは
オープン競走を快勝し、オープン特別で
2着に惜敗した後、マイラーズカップに
参戦しました。
このレースには後の名牝トウメイの仔で
後の天皇賞馬テンメイ、同期でライバルの
ファインニッセイやアータルオー等が
出走しました。
レースはナルタキサンダーが果敢に
逃げる中、1番人気に支持されたインター
グロリアが2番手を追走、テンメイは後方
からレースを進めました。
最後の直線でナルタキサンダーが
逃げ切りを図る中、インターグロリアが
鋭く伸びて先頭に立ち、大外から豪快に
追い込んで来たテンメイを何とかおさえて
優勝を飾り、4つ目の重賞を獲得しました。

しかし、その後インターグロリアは2戦して
いずれも精彩を欠いて6着に敗れたため、
休養に入りました。
秋に入って京都牝馬特別で復帰した
インターグロリアは桜花賞馬オヤマテスコ
最優秀3歳牝馬に輝いたラブリトウショウ
昨年の覇者リネンジョオーやウラカワ
チェリー、スリーファイヤー等の重賞
勝ち馬が出走する中、道中4番手につけた
インターグロリアは最後の直線で先に
先頭に立ったラブリトウショウを大外から
追い込んで一気に差し切り、2着に
5馬身差をつけて圧勝、見事復活を
果たしました。

続いてインターグロリアは暮れの大一番
グランプリレース有馬記念に挑みました。
このレースにはテンポイント、トウショウ
ボーイと共にTTG時代を形成したグリーン
グラス、ダービー馬サクラショウリ、
天皇賞馬エリモジョージとホクトボーイ
菊花賞馬プレストウコウやカシュウチカラ
古豪ヤマブキオー、シービークロス、
メジロイーグル、カネミノブ、リュウキコウ
メジロファントム等、日本一を決めるのに
相応しい名馬達が顔を揃えました。
1番人気はプレストウコウが支持され、
紅一点で挑んだインターグロリアは10番
人気での出走となりました。
レースはスタートしてからメジロイーグルと
エリモジョージの2頭が終始競り合う形で
早い流れで進み、インターグロリアは
内々をとおって3番を進みました。
第3コーナーから第4コーナーで各馬が
一斉に仕掛け、メジロイーグルが先頭で
直線の勝負へ。
内からカネミノブ、真ん中からインター
グロリアが鋭く伸びて抜け出し、先頭に
立ったカネミノブをインターグロリアが
必死で追い込むも僅か届かず、惜しくも
2着に敗れてしまいました。

しかし、この年の活躍が高く評価され
インターグロリアは最優秀5歳以上
牝馬に選出されました。
年が明けて6歳になったインターグロリアは
有馬記念での活躍により現役を続行し、
6歳の初戦、1番人気に推され中京記念に
出走しましたが3着に敗れ、続く連覇が
かかり、ここでも1番人気に推された
マイラーズカップに出走、天皇賞馬ホクト
ボーイとテンメイやアイノクレスピンには
先着したものの、1/2馬身およばず2着に
敗れ、連覇はなりませんでした。
そして続く春のグランプリ、宝塚記念では
13頭立ての12着に大敗してしまいました。
秋に復帰して京都牝馬特別に出走し、
オークス馬アグネスレディー、桜花賞馬
ホースメンテスコ、最優秀3歳牝馬に選出
されたシルクスキー、後のエリザベス
女王杯馬ミスカブラヤ等をやぶって連覇を
果たし、6つ目の重賞を獲得しました。
しかし、この勝利がインターグロリアに
とっての最後の勝利となりました。
その後、昨年と同様に大番狂わせを演じた
有馬記念に4番人気に支持されて
出走しましたが、16頭立ての9着に
敗退し、この有馬記念を最後に引退する
ことになりました。
引退後インターグロリアは北海道の
オーナー所有のインターナショナル牧場で
1980年から繁殖牝馬となり、当時の
人気種牡馬テスコボーイ、マルゼンスキー
トウショウボーイなどと交配され、
1986年頃から体調を崩し始めたものの
12年連続して出産しました。
産駒からは勝ち馬は出たものの、代表
産駒には恵まれませんでした。
記録によりますと
1994年3月8日に牝馬を出産した後
インターグロリアは危篤状態に陥り、
2、3日生死の境をさまよいましたが、
スタッフの懸命の治療とインターグロリアの
強靭な精神力で一命は取り留められました。
しかし、その後のインターグロリアの健康
状態は一進一退を続け、1995年5月には
右後脚がフレグモーネに侵され、全身が
徐々に衰弱していき、もはや立っていること
すらできなくなり、寝たきりの状態になって
しまいました。
それでもスタッフ一同が必死に治療を続け
ましたが、奇跡を起こすことは出来ません
でした。
1995年6月3日、これ以上苦しめるのは
酷との判断から断腸の思いで安楽死の
処置がとられ、インターグロリアは21年の
生涯に幕を下ろし、天国へと旅立って
行きました。
今週は京都競馬場で牝馬クラシック3冠目
節目となる第30回秋華賞が行われます。
カムニャック、ケリフレッドアスク
グローリーリンク、カネラフィーナに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。

