認知症ケア技法 「ユマニチュード」考案者  イヴ・ジネストさん | フレイルも認知症も減らない日本

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Nobody is in possession of the ultimate truth.

ウイルスと戦争の世紀で人生を終えることになるとは・・・まさに第三次世界大戦前夜の状況ですからね しかも本日は日本の金融市場はトリプル安

攻撃ですか❓

難しい領域ですね。





日本経済新聞より。



認知症で攻撃的な人いない
向き合う

~認知症ケア技法
「ユマニチュード」考案者 
イヴ・ジネストさん


 認知症の高齢者は暴力的だろうか? 

暴力的というのはケアしようとするとき、ひっかいたり、暴言を吐いたり、拒否したりすることでケアの実施が困難となる行動だ。

 私は「認知症の高齢者で攻撃的な人はいない」と思っている。

私たちが相手を「攻撃的だ」と感じてしまうのはどういうときだろうか?


 例えば自分が誰かに腕をつかまれることを想像してみてほしい。

認知症であれ、誰であれ、自分がつかまれた時には相手からの強制的な意図を感じる。

まして掃除をするみたいに体を洗浄されれば、ケアを暴力的で不快に感じるのは当然だ。

 認知する能力が低下しても、人の感情は最期まで残る。

つまり不快なメッセージは認識でき、その不快な状況から身を守るために抵抗する。

認知症の人の暴力的な行為は攻撃ではなく、自分を守ろうとしているだけだ。

むしろ
攻撃しているのは
ケアする側なのだ。

 「認知症の高齢者に原因がある」と考えてしまうのは、ケアする側に「相手にとって常にいいことをしているはずだ」という思い込みがあるからだ。

実際はそうではないことをケアする人は自覚する必要がある。

 触れる部位にも適切な順番がある。

ケアをする際には、まず社会的に触ってもいいニュートラルな体の部位に手を置く。

看護学校では顔を拭くことから始めるように教えるが、相手とよい関係を結ぶ観点からは正しくない。

顔や陰部はとても敏感であり、よい関係を確立し、最後に触れるべき部位である。

 想像してほしい。

いきなり顔を拭かれたり、部屋に入るなり、おむつの中を確認されたりしたら、どう感じるだろうか。

ケアする人が無意識にしていることが抵抗を誘発している。

 認知症の人に横から呼びかけても反応しないことがある。

視野が狭くて見えていないのではない。

見えていても、その意味を認知できていないのだ。

だから相手の視線を正面からとらえ、できるだけ近い距離から話しかける必要がある。

相手が認識していない状態でケアを始めれば、驚いて抵抗するのは当然である。

 私たちは数多くの失敗と、ときに起こる成功との違いは何かを分析し続けてきた。


こうした発見の積み重ねがユマニチュードの技術の基礎にある。