以前の記事に
新しいエピソードが
追加されて、
新しい記事となりました。
代表の気持ちが
本当に良く表現されています。
産経ニュースより。
「認知症の人と家族の会」
高見国生代表退任へ
…国際会議終え
「ただ静かに
『ああ、終わった』と」
認知症患者や家族を支援する公益社団法人「認知症の人と家族の会」(本部、京都市)で、昭和55年の発足時から代表を務める高見国生(くにお)さん(73)=同市北区=が、6月10日に退任することになった。
4月に京都市で開かれた認知症国際会議では、国内主催団体として世界の患者や家族らを迎え、ホストの大役を果たした。「人生の半分の37年間、一日も休まず家族の会に携わってきた。一つの仕事が終わるなという思いです」と言葉をかみしめる。
子育てと重なり…
幼い頃に両親を亡くし、京都市に住む伯母に育てられ、養子縁組をした。京都府職員だった28歳の頃、75歳だったこの母に認知症の症状が出始める。食事が終わったばかりなのに、「ご飯はまだか」という。毎日のように失禁する。何でも自分の部屋にしまい込み、せっけんを食べてしまう…。家族の顔も分からなくなった。
子育ての時期と重なり、なぜこんな苦労をしなければならないのかと苦しんだが、7年後、同じ悩みを抱える家族との出会いが転機に。「もっと大変な人がいることを知り、もう少し頑張ろうと思えたんです」
こうした家族同士が支え合える場をと、翌55年に結成したのが「家族の会」。しかし認知症は当時「痴呆症」と呼ばれ、社会の偏見や誤解はまだまだ根強かった。結成総会には「せいぜい京都市内から20人ぐらいだろう」と思っていたのが、事前の新聞報道もあって、全国から約90人が集まった。今では全都道府県に支部を設置し、会員は約1万1千人。認知症に関わる国内最大の団体になり、会報誌発行や交流会、介護に悩む人の電話相談も行う。
平成16年10月、同会も運営に携わった認知症の国際会議が京都市で開催され、認知症本人が登壇。「この病気は物忘れだけです。力を貸してください」との言葉は人々の心に大きく響いた。その年の暮れ、厚生労働省は「痴呆症」の呼称を「認知症」に改めた。
社会の仕組み大切
13年ぶりとなった今大会には、78の国・地域から認知症患者や家族、医師ら約4千人が参加。国境を超えた連帯を確認し、盛会に終わった。大会では「認知症に優しい社会」が大きなテーマとなったが、高見さんは一抹の不安を抱く。
「周囲の人が優しくし、地域でさまざまな取り組みをすれば、すべてが解決するわけではない」。介護保険制度は定着したが、本人負担増やサービス縮小が進む。「個人の思いやりだけでなく、その裏付けとなる社会の仕組みの大切さも訴えたい」と力を込める。
国際会議が閉幕した4月29日、会場となった国立京都国際会館のエントランスには、一人で腰を下ろす高見さんの姿があった。「ただ静かに『ああ、終わった』と思ったんですよ」。
その気持ちは、8年間介護を続けた母が朝、布団の中で亡くなっていたときの思いと重なるという。
「これで一つの仕事が終わったなという思いです」
6月10日の総会で新代表にバトンを渡す。その後は月に数回、電話相談員として家族の支援に携わる予定にしている。