詩歌画家の星野富弘さんが4月28日に召されました。
中学校の先生だった星野さんは部活の体操指導をしていた時に頚髄を損傷して、手足を動かすことができなくなりました。24歳の時でした。
絶望の日々でしたが、やがて口で筆をくわえて文字や絵を描くようになりました。
星野さんは、受傷して4年目に病院で洗礼をうけられました。
クリスチャンの星野さんによって紡ぎだされる言葉と絵から、神さまの慈しみがつたわってきます。
いのちより大切なものがあると知った日 生きているのが嬉しくなった…
外国語に翻訳されたものも含めてたくさんの詩画集がありますが、これは2012年いのちのことば社発行。
いのちが一番大切だと
思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日
生きているのが嬉しかった
「いのちよりも大切なもの」…?
星野さんは、それは何かとよく聞かれたそうですが、明言はなさいません。
「その答えはこうですよ、と言うことは簡単だけど、きっとそれは意味のないことです。
自分で苦しみながら見つけた時に、あなたにとって意味があるのです」…
と答えていたそうです。
「見つけたと思っても、もしかしたらまた違ってくるかもしれない。一生探し続けて、死を迎える前日に、ようやく自分なりの答えが見つかるかもしれない。
肝心なのは自分でみつけるということです。」(「いのちより大切なもの」より)
「いのちは大切」と言われ、言い続けてきたのに、「いのちよりも大切なもの?」…
それぞれに考えてみました…
それぞれの考えだけど…
私は、「愛」なのかなと思いました。
「いのちよりも大切なもの」があるとしたら…それは「愛」かな…
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)
まだ洗礼を受けておられないA子さんが、この聖句を子供の頃に教会学校で暗唱させられたと言っていました。
70歳を超えられたけど…子供の頃に覚えた聖句を今も覚えておられます‥
星野富弘美術館にも行ったことがあるそうです。
星野さんの最初の頃の字は…見ただけで涙がでてきたそうです
どれほど苦労して書かれた字なのかと…
教会のない町で生まれそだった星野さんに、お見舞いに来てくれた大学の先輩が「自分にはこれしかできない」といって「聖書」をくださったそうです。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章28節)
星野さんは、この言葉がスッと胸に入ってきたのだそうです。
神さまの愛の現れであるイエスさま、私たちを愛して命まで捧げてくださったイエスさま…
いのちが尽きても、愛は残るのだと思いました
”愛を知った日、生きているのが嬉しかった”
星野さん、ありがとうございます
きっと天国で自由に動きまわり、お母様との再会も果たして肩をたたいてさしあげていることでしょう
私ももう少し生かしてもらって、この地上に注がれている神さまの愛によって生きている命の輝きを見つめ続けて行きたいと思いました
私たちの教団の「こころの友」という
ミニ新聞にも星野さんの詩歌が
紹介されています。
5月号には「星野富弘新編 風の旅展」
の紹介がありました。
4月27日(土)~5月6日(月)
東京・教文館ギャラリーステラ