毎週水曜日は、日曜日の主日礼拝のメッセージをお届けしています。
復活日(イースター)のあとの、最初の礼拝でした。
今回は、私たちの心の中にある「ねたみ」や「競争心」、「もっと認められたい」という思いからどうすれば解放されるのかを、思い巡らしてみました。
4月12日 の礼拝メッセージ
「隣の芝生は青く見える?—十戒・第十戒」
(一部だけ載せています)
1.つい、人と比べてしまう心
「隣の芝生は青い」ということわざがあります。もともとは英語のことわざだ ったそうですが、人の持っているものが、自分のものよりもよく見えてしま い、他の人のものを羨む心は人間だれしも持っているようです。
うらやまし いなあ、と思うだけで済めばよいのですが、それを妬んだり、自分のものにし たいと思うようになると、それは大変なことになります。
今日の第十戒は、まさにそのような私たちの心に向けて語られています。
ヘブライ語の「むさぼる」(ハーマド)という言葉 は、「見て、好ましいと思い、欲しくなる」という意味をもつそうです。
これは、最初の人間アダムの妻エバが、ヘビにそそのかされて神さまに禁じ られていた知恵の実を見て、「見るに美しく、食べるのによく、賢くなるには 好ましい」と思って、欲しくなって、採って食べてしまったという話と通じま す。(創世記 3 章)
今日は、私たちのうちにもある「むさぼりの心」を知って、むさぼりから 解放される道を考えてみたいと思います。
2.神さまは必要十分なものを与えてくださる
イスラエルの民も、「むさぼり」を体験しました。
エジプトを出て荒野に入 ったとき、神さまはマナというパンを与えました(16 章)。
マナは、安息日 をのぞいて毎朝 1 日分ずつ与えられ、それぞれに必要な分を集めました。
その 時、「多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった」(16: 18)とあります。
それなのに、余分に集めて取っておこうとした人がいました。しかし、取って おいたマナは腐ってしまった。
これは、日ごとの糧(日々のパン)を神さまが お与えくださるという信頼を学ばせるためでした。
神さまは、「明日のことまで自分で抱え込まなくていい」と、日ごとの恵み に信頼して生きる道を教えてくださったのです。
必要以上に持とうとする心 は、この神さまへの信頼を手放してしまうことにつながります。
3.むさぼりは心を苦しくする
むさぼりは「もっと欲しい」という思いから始まり、やがて貪欲となって、 神への感謝を失わせます。そして隣人との関係を壊し、奪い合いや争いを生み 出します。
聖書には、「見て、欲し、取る」という流れが繰り返し描かれてい ます。
「むさぼり」の心を制御できずに、失敗してしまった人が聖書に登場しま す。
イスラエルの民の戦利品をこっそり自分のものにしてしまったアカンとい う人物(ヨシュア記7章)、人の妻を自分のものにしてしまったダビデ王(サムエル記11章)。
むさぼりは、隣人との関係を壊し、奪い合いや争いを生み出します。
平和を乱し、共に生きる共同体、社会をゆがめてしまいます。
「欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す」(ヤコブの手紙1:15)のです。
そして、民 族や国家がむさぼりに走ると、紛争や戦争へと進むことがあります。
今、世界では、資源や土地、力をめぐる争いが絶えません。その根の深いと ころには、「もっと欲しい」という人間のむさぼりがあります。
4.「わたしには乏しいことがない」という恵み
ここで思い出したいのです。人間はもともと、すべてが満ち足りた環境、エ デンの園に置かれていました。
必要なものはすべて神さまが与えてくださって いました。
また、荒野を旅していたイスラエルの民も、水や食物を日々与えられました。
イスラエルの民が 40 年の後、約束の地に導かれる時、モーセは言いました。
「この四十年の間、あなたの着物はすりきれず、あなたの足は、はれなかった」 (申命記 8:4)。
罪を犯しても悔い改め、神と共に歩んだイスラエルの王、ダビデはこのように歌います。
「あなたはわたしの分け前を守られる。測りなわは、わたしのために好まし いところに落ちた」(詩篇 16:5.6)
「主はわたしの羊飼い。わたしには乏しいことがない」(詩篇 23:1)
神さまは、それぞれに必要で十分なものを備えてくださっている……この事を深く心に思うとき、神さまの恵みはわたしに十分であるという心に満たされま す。
これは、「物欲」「貪欲」からの解放です。
「むさぼってはならない」――これは、心の平安を奪い、争いの道に進ませる悪を断ち切る教えです。
今、世界はむさぼりの戦いをしています。
神の恵みを知る私たちは、 人と比べることから解放され、与えられたものを感謝して受け取り、分かち合 いと平和の道を歩んでいきたいと思います。
【黙想・祈り】
父なる神さま。あなたがわたしたち一人一人、それぞれに必要なものを十分に お与えくださっていることを覚えさせてください。
あなたからいただいた賜物 を感謝し、それを分かち合って平和に生きる私たちへと導いてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
長いメッセージをお読みくださり、ありがとうございました。
お腹がいっぱいなのに、ケーキを見たら、なぜか“別腹”が「欲しい〜」って言い出します。
「もう十分食べたでしょ?」と言っても、「いや〜、食べる!」と駄々をこねます。
そして、つい負けてしまうのです。
ブランド品をうらやましいと思うことはあまりありませんが、人の「知恵」や「判断力」を、うらやましく思うことがあります。
「計算能力」「洞察力」「統率力」……。
でも、自分の庭は“はげかかった芝生”かもしれませんが、イエスさまが「緑の牧場」に導いてくださる。
だから、いつも、必要な恵みの中に生かされている。そのことを、あらためて思わされて感謝しました![]()
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「わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう」
(詩篇23:6)
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