からし種と空の鳥

からし種と空の鳥

日本キリスト教団 
西宮聖光教会の牧師が書いているブログです。
兵庫県西宮市にある小さな教会です。

どうぞ、休憩していってください。小さな教会の小さな牧師が綴っているブログです。聖書のみ言葉から、夢と希望をお届けしたいと願っています☕💕

毎週水曜日は、日曜日の主日礼拝のメッセージをお届けしています。

 

復活日(イースター)のあとの、最初の礼拝でした。
 

今回は、私たちの心の中にある「ねたみ」や「競争心」、「もっと認められたい」という思いからどうすれば解放されるのかを、思い巡らしてみました。

 

 

4月12日 の礼拝メッセージ

「隣の芝生は青く見える?—十戒・第十戒

聖書: 出エジプト記20章17節
「 あなたは、隣人の家をむさぼっては ならない。」

(一部だけ載せています)

 

 1.つい、人と比べてしまう心

 

「隣の芝生は青い」ということわざがあります。もともとは英語のことわざだ ったそうですが、人の持っているものが、自分のものよりもよく見えてしま い、他の人のものを羨む心は人間だれしも持っているようです。

 

うらやまし いなあ、と思うだけで済めばよいのですが、それを妬んだり、自分のものにし たいと思うようになると、それは大変なことになります。 

 

今日の第十戒は、まさにそのような私たちの心に向けて語られています。

 

 ヘブライ語の「むさぼる」(ハーマド)という言葉 は、「見て、好ましいと思い、欲しくなる」という意味をもつそうです。

 

 これは、最初の人間アダムの妻エバが、ヘビにそそのかされて神さまに禁じ られていた知恵の実を見て、「見るに美しく、食べるのによく、賢くなるには 好ましい」と思って、欲しくなって、採って食べてしまったという話と通じま す。(創世記 3 章)

 

 今日は、私たちのうちにもある「むさぼりの心」を知って、むさぼりから 解放される道を考えてみたいと思います。

 

 

 2.神さまは必要十分なものを与えてくださる

 

イスラエルの民も、「むさぼり」を体験しました。

 

エジプトを出て荒野に入 ったとき、神さまはマナというパンを与えました(16 章)。

 

マナは、安息日 をのぞいて毎朝 1 日分ずつ与えられ、それぞれに必要な分を集めました。

 

その 時、「多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった」(16: 18)とあります。

 

 それなのに、余分に集めて取っておこうとした人がいました。しかし、取って おいたマナは腐ってしまった。

 

これは、日ごとの糧(日々のパン)を神さまが お与えくださるという信頼を学ばせるためでした。

 

 神さまは、「明日のことまで自分で抱え込まなくていい」と、日ごとの恵み に信頼して生きる道を教えてくださったのです。

 

必要以上に持とうとする心 は、この神さまへの信頼を手放してしまうことにつながります。

 

 

 3.むさぼりは心を苦しくする

 

むさぼりは「もっと欲しい」という思いから始まり、やがて貪欲となって、 神への感謝を失わせます。そして隣人との関係を壊し、奪い合いや争いを生み 出します。

 

聖書には、「見て、欲し、取る」という流れが繰り返し描かれてい ます。 

 

「むさぼり」の心を制御できずに、失敗してしまった人が聖書に登場しま す。

 

イスラエルの民の戦利品をこっそり自分のものにしてしまったアカンとい う人物(ヨシュア記7章)、人の妻を自分のものにしてしまったダビデ王(サムエル記11章)。 

 

むさぼりは、隣人との関係を壊し、奪い合いや争いを生み出します。

 

平和を乱し、共に生きる共同体、社会をゆがめてしまいます。

 

「欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す」(ヤコブの手紙1:15)のです。

 

そして、民 族や国家がむさぼりに走ると、紛争や戦争へと進むことがあります。

 

 今、世界では、資源や土地、力をめぐる争いが絶えません。その根の深いと ころには、「もっと欲しい」という人間のむさぼりがあります。

 

 

 4.「わたしには乏しいことがない」という恵み

 

ここで思い出したいのです。人間はもともと、すべてが満ち足りた環境、エ デンの園に置かれていました。

 

必要なものはすべて神さまが与えてくださって いました。

 また、荒野を旅していたイスラエルの民も、水や食物を日々与えられました。

 

 イスラエルの民が 40 年の後、約束の地に導かれる時、モーセは言いました。 

 

「この四十年の間、あなたの着物はすりきれず、あなたの足は、はれなかった」 (申命記 8:4)。 

 

罪を犯しても悔い改め、神と共に歩んだイスラエルの王、ダビデはこのように歌います。

 

 「あなたはわたしの分け前を守られる。測りなわは、わたしのために好まし いところに落ちた」(詩篇 16:5.6) 

 

「主はわたしの羊飼い。わたしには乏しいことがない」(詩篇 23:1)

 

神さまは、それぞれに必要で十分なものを備えてくださっている……この事を深く心に思うとき、神さまの恵みはわたしに十分であるという心に満たされま す。

 

これは、「物欲」「貪欲」からの解放です。 

 

「むさぼってはならない」――これは、心の平安を奪い、争いの道に進ませる悪を断ち切る教えです。

 

今、世界はむさぼりの戦いをしています。

 

神の恵みを知る私たちは、 人と比べることから解放され、与えられたものを感謝して受け取り、分かち合 いと平和の道を歩んでいきたいと思います。

 

【黙想・祈り】

父なる神さま。あなたがわたしたち一人一人、それぞれに必要なものを十分に お与えくださっていることを覚えさせてください。

 

あなたからいただいた賜物 を感謝し、それを分かち合って平和に生きる私たちへと導いてください。

 

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

長いメッセージをお読みくださり、ありがとうございました。

 

お腹がいっぱいなのに、ケーキを見たら、なぜか“別腹”が「欲しい〜」って言い出します。

 

「もう十分食べたでしょ?」と言っても、「いや〜、食べる!」と駄々をこねます。
そして、つい負けてしまうのです。

 

ブランド品をうらやましいと思うことはあまりありませんが、人の「知恵」や「判断力」を、うらやましく思うことがあります。

 

「計算能力」「洞察力」「統率力」……。

 

でも、自分の庭は“はげかかった芝生”かもしれませんが、イエスさまが「緑の牧場」に導いてくださる。

 

だから、いつも、必要な恵みの中に生かされている。そのことを、あらためて思わされて感謝しましたハートうさぎのぬいぐるみラブラブ

 

 

 
エデンの農園に育つネギ坊主
 
うちの「エデンの農園」のネギ坊主。
狭いところが好きみたいで、
元気で育っていてくれます ほっこり
 
緑の葉と青い小花のある植物
 
鳥が運んできてくれたのか
いつの間にか生えてきた植物です。
 
何の木かな?
もしかしたら金の生る木かも ウシシ
 
教会屋上のカフェと十字架
 
昨日はお天気だったので
今年初めて"天国カフェ"を開店しました。
 
午後の幸せなひととき…
サイコーの"ヌン活" ニコニコ
 
ドラえもんマグカップと竹の子最中
デザートは、いただき物の
長岡京の“竹の子最中” ほんわか 
 
十字架と飛行機、青空
 

「わたしの生きているかぎりは

必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう」

(詩篇23:6)

 

 

コーヒーnotoにも同じ内容を投稿しています。遊びにいらしてください。

 

 

 

日曜日は、礼拝のあと「短歌教室」がありました。

 

でも、なかなか上達しません。

 

前日にあわてて短歌を作って、先生に添削していただくのですから、これではダメですよね…悲しい

 

せっかく基本を教えていただいたのに、なかなか身につきません。

 

ちなみに、提出した歌は
 
「一泊を共に過ごせし友が皆胃腸炎をも分かち合ひたり」
 
先日の、胃腸炎になったときの歌 爆  笑
 
歌を詠む静かな心が欲しい…
 
短歌教室の後、短歌の先生でもあるAさんに、「桜茶屋」に連れていってもらいました。
 
甘酒と器、桜茶屋の静かな時間
 
 
郊外の森林公園の近くのお寺の茶店です。甘酒をいただきました。
 
 
看板猫パコちゃん、春の庭でお昼寝
 
看板猫のパコちゃんがお昼寝をしていました。
 
看板猫パコちゃん、まどろむ白猫
 
ソメイヨシノは見頃を終えていましたが、八重桜が咲いていました。
 
八重桜の枝に咲くピンクの花
 
鶯の声はまだ聞きませんが…静寂なひととき…
 
静かな池と木々の風景
 
昼間のお客さんも帰られて、何とも言えない静かな時間が過ぎていきます。
 
桜茶屋の看板猫パコと茶店
 
家に帰ったら、不思議と歌がうまれました♪
 
まだへたっぴーですが、ブログにも載せさせてください。
 
「春なれば新しき歌とうたえよと吾(われ)の胸に主は語りたもう」
 
いつも思いつきで、新しいことを始めてしまうのですが…
 
頭の体操にも、心の体操にもなるかなあと思って、毎日歌を詠んでみようと思います。
 
「主よ、あなたは御業を持ってわたしを楽しませられました。
わたしはあなたのみ手のわざを喜び歌います。」(詩篇92:4)
 
神さまの恵みと、生かされている喜びを、少しずつでも歌にしていけたらいいなあと思います ハート うさぎのぬいぐるみ ルンルン

 

たまたま、ある方から
「ブログを歌にしませんか」というお誘いを受けました。

 

ブログの記事を「楽曲」にしてくださるのだそうです。

 

へえ、そんなことできるんだ――と思いましたが、
ブログの文章が歌になるなんて、ちょっと想像がつきませんでした。

 

だけど、「作詞」なんてしたことがありません。

 

そういえば以前、知り合いの牧師が、ある方の、平和を願う心に反するような発言をきっかけに「悲しみの歌」を作られたことがありました。

 

その牧師は、趣味で作詞・作曲をなさる方ですが、そのときは歌詞をAIに作ってもらったそうです。

 

そしたら、なんと、AIが見事に思いをくみ取った「詞」にしてくれたそうで、それにご自身で曲をつけて披露してくださいました。

 

そのことを思い出して、私もAIにブログ記事を歌詞にしてもらいました。

 

ブーケ12026.4.11のブログです

 

 

いろんなバージョンで作れるみたいです。

 

これは子どもも歌えるバージョン。「サビ」までついていますおーっ!

 

歩くいっしょに歩こう♪

(1番)
きのうの雨が やんだ朝
おひさまキラキラ 

いい気持ち
スズメもちゅんちゅん 

うたってる
今日もいちにち はじまるよ

 

やることいっぱい あるけれど
ちょっぴりあせる ときもある
それでも一歩 あるこうよ
前に 進んでいこう

 

(サビ)
主よ あなたが 備えてる
わたしの 歩く道
ひとつひとつを だいじに
いっしょに 歩こうよ

 

(2番)
アジサイの芽が ちいさくて
いつのまにか のびている
ゆっくりでもね だいじょうぶ
ちゃんと 育っていくんだよ

 

やりたくないこと あるけれど
あとまわしに しちゃうけど
今日もひとつ やってみよう
できる ところからね

 

(サビ)
主よ あなたが 備えてる
わたしの 歩く道
できないときも 

そのままで
やさしく つつんでる

 

(3番)
みことばそっと 思い出す
「すべては 備えられてる」
やさしい声に 守られて
こころが あたたかい

 

ガーベラひとつ わらってる
にっこり こっちを見ているよ
与えられた この場所で
わたしも ほほえもう

 

(サビ)
主よ あなたが 備えてる
わたしの 歩く道
どんなときでも いっしょだよ
きょうも あるいていくよ♪

 

 

昨日、教会員にこのことを話してみました。

 

そしたら…

 

「歌は自分の心からわきあがる思いだから、

人間が作ったほうがいいよね」

 

はは…やっぱり、そうだよね!ニコニコ

 

「主はわが力、わが歌であって、わが救いとなられた。」(詩篇118:14)

 

生成AIがいろいろな分野で活躍している時代ですが、
やっぱり歌は、人の心からおのずと生まれてくるものだなあと思いました。

 

 
赤いガーベラの花、ブログ記事「お花も歌ってる♪」
 
お花も歌ってる♪
 
ネギ坊主と植物たちの歌
 
ネギ坊主も歌ってる♪
 
青空に広がる雲の波模様
 
雲も歌ってる♪
 
十字架と雲のある青空
 

 

私も一緒に歌いたいな…と思いましたハートニコニコルンルン

 

わたしたちの教会の週報に掲載しているコラム「からし種」です。

 

イエス・キリストが知らせてくださった「からし種のような小さな神の国」を、日々の生活の中で見つけた驚きと喜びを綴っています。

 

 

 

ちょうど6年前の今頃は、コロナ禍による「緊急事態宣言」が出されていた。人の集まりが制限され、礼拝もままならなかった。

 

皆で集まることができなくなってから、週報に「教会たより」を載せることにした。

 

最初は連絡事項が主な内容だったが、家で礼拝を守るために「黙想のために」を書き加えるようになった。

 

役に立っているかどうかはわからないが、礼拝に集えなくても、一人でも聖書を読み、味わうことができるようにと願ってのことだった。

 

コロナ禍が収束してからも、「教会たより」と「黙想のために」は続いている。

 

いつしか、それが「説教の準備」にもなっていた。聖書を黙想し、神が語りかけるみ言葉を思い巡らす。

 

一緒に、この小さな喜びを味わってもらえたらと願っている。

 

 

 

ちょうど6年前、誰も経験したことのない日々の中で、「教会たより」と「黙想のために」が始まりました。

 

緊急事態宣言が出たときも、教会では礼拝を捧げていました。

 

ただ、参加はそれぞれの判断に委ねられ、礼拝の形や週報の内容も少しずつ変わっていきました。

 

 

「からし種」は、皆が集まって雑談しているような気持ちで書いてきた週報のコラムです。

 

週報のコラム「からし種

 
 
からし種コラムと週報、黙想のための記録
 
 
「黙想のために」は、礼拝に集えないときでも、一人ひとりがみ言葉にふれられるようにと願って続けてきました。
 
むさぼりの意味と聖書における教え
 
 

このブログも、最初は教会員の皆さんに「からし種」を読んでもらえたらと思って始めたものでした。


けれども、少しずつ読んでくださる方が増え、あたたかく応援してくださる方々との出会いも与えられ、本当にうれしく思っています。

 

「見よ、兄弟が共に座っている。

なんという恵み、なんという喜び」

(詩篇133:1)

 

 

相変わらず小さな教会ですが、これからも神さまの愛を皆さんと一緒に分かち合えていけたらと思います。

 

これからも、どうぞよろしくお願いいたしますハートニコニコルンルン

 
平和のあいさつ シャローム

 

 

桜notoにも同じ記事を載せています。

 

昨日の大雨がやんで、スズメもちゅんちゅん鳴いています。
 
さわやかな朝を迎えました。
 
朝焼けの空と街並み
 
今日は土曜日。あっという間に、一週間が過ぎてしまいました。
 
やらねばならないこと、
やり残した事がたくさんあって、アセるアセる…💦
青空と雲の風景
 
ふと見ると、アジサイにお花の赤ちゃんが… ラブ
 
知らないうちに、ちゃんと成長していたのだなあと思わされます。
 
アジサイの葉の赤ちゃん
 

やりたいことも、やりたくないこともありますが、
「やらねばならないこと」は次々にやってきます。

 

でも、やっぱり「やりたくないこと」は後回しにしてしまいます…口笛

 
そんなこんなで迎えた今朝、この言葉に励まされました。
 
「わたしたちの主イエスを、
死人の中から引き上げられた平和の神が、
 
イエス・キリストによって、
みこころにかなうことを わたしたちにして下さり、
 
御旨を行うために、
すべての良きものを備えてくださるように 。」(へブル人への手紙13:21)
 
赤ガーベラがプランターで咲く
 
まるで、自分の使命を全うしているかのように、
プランターの片隅でガーベラが咲いていました。
 
 
怠け者を励まして、ちゃんとやり遂げられるように支えてくださる神さま。
 
健気に咲くお花のように、生きていきたいなあと思いました ハート ニコニコ ラブラブ
 
十字架と青空


 

やしの木ヒヨコやしの木
 
明日は主の日、礼拝の日です。
心を新たにされて、新しい週を歩み出します。
 
4月12日(日)の礼拝
午前11時~12時
 
聖書:出エジプト記20章17節
メッセージ:「隣りの芝生が青く見える?—十戒・第十戒」
雨降りです。
 
しばらく、雨の日が続きそうです。
 
雨……好きですか?
 
私は好きです。(八木重吉の詩みたいですが) ニコニコ
 
雨の日(八木重吉)
「雨がすきか
わたしはすきだ
うたを うたおう」
 
 
雨の日のぶどうの木の芽
 
一度枯れかかったぶどうの木の枝から、今年も芽が出てきました キラキラ
 
雨に濡れる新芽、植物の成長
 
いつのまにか、プランターから生えてきた植物からも、かわいい葉っぱが出てきました。
 
玉ねぎのような植物から出た新芽と苔
 
この玉ねぎのような植物も、5年以上ここで暮らしています。花を咲かせることもなく、子を増やしています キラキラ
 
ヴェロニカ(オオイヌノフグリ)の雑草化プランター
 
「ヴェロニカ(オオイヌノフグリ)の家」…ただの雑草化した植木鉢ですがかわいいんです ニコニコ
 
ワイルドストロベリーの花と葉
 
ワイルドストロベリー。ピーター・ラビットが遊びに来ないかな?
 
雨に濡れる黄色い花
 
昨日買って来たお花。名前は忘れてしまいました。今朝の雨を喜んでいます。
 
 
「神は…あなたがたのために天から雨を降らせ、
 
実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、
 
いろいろのめぐみをお与えになっているのである。」(使徒行伝14:17)
 
万物を創造された神さまのことを知らない人々に語った、パウロの言葉です。
 
バニーカクタス(ウサギの耳のようなサボテン)
 
京都府立植物園で買ってきたサボテン。お水は2週間に一度でいいそうです。
 
がまん強い植物ですね。時には忍耐も必要…なのかもニコニコ
 
 
曇り空と街並み
 
神さまの恵みをたっぷりいただいて、
雨の日も晴れの日も、元気に過ごしていきたいと思います。
歌をうたいながら ハート うさぎのぬいぐるみ ルンルン
 
銀色の十字架と曇り空
 
京都に桜を観に行きました。
 
えっちゃんと、まこさんと、闘病されている方々、介護されている方々に、桜のお花がとどきますように――そんな思いで歩きましたちょうちょ
 
 
ソメイヨシノは、散りかけ三分…こういう言い方あるかな? 爆  笑
 
桜は、散る前に花の中心のピンク色が濃くなって、いっそう美しくなります。
 
満開の賀茂川沿いの桜
 

賀茂川沿いの桜並木を歩きました。

京都のお友だちが案内してくださり、観光客も少ない、静かな場所でした。

 
京都 賀茂川沿い 満開の桜並木
 
しだれ桜が、ちょうど満開でした。
 
賀茂川沿いの満開のしだれ桜
 

川の対岸からは、からし菜と桜の美しいコントラストの写真が撮れたそうですが……。

 
加茂川沿いのしだれ桜と菜の花
 
 

加茂川にはカモが泳いでいます。

 

下鴨神社のところで高野川と合流して、鴨川になるそうです。

 
満開の白桜と桜並木
 

賀茂川を歩く前に、「京都府立植物園」にも寄りました。

 

1923年(大正13年)開園の、日本最古の公立植物園です。
 

27品種、約500本の桜が植えられています。

 

 
満開のしだれ桜と蕾
 
四季折々に楽しめる、色とりどりのお花や木々が植えられていて、また行きたいな思いました。
 
満開のハナカイドウと緑の木々
 
名前は忘れましたが、真っ白な桜。
 
復活のあとの、新しい命を思いました。
 
京都の満開のしだれ桜
 
さらに、心を惹かれたのは、針葉樹の森。花粉症の方は近づけないかもしれませんが…
 
京都の森、新緑の木々
 
そこには、聖書に出てくる「レバノン杉」も植えられていました。
 
今では絶滅危惧種なのだそうです。
 
針葉樹林の案内板:レバノンスギ等約50種
 
 
レバノン杉は、「マツ科ヒマラヤスギ属の針葉樹」だそうです。
 
えッ?松なのと、ちょっと意外でしたが…
 
 
倒れた大木と緑の芝生
 
 
「わたしは高いレバノン杉の梢を切り取って植え…
枝を伸ばし、あらゆる鳥がそのもとに宿るようになる。…
 
そのとき、野のすべての木々は、
生き生きとした木を枯らし、枯れた木を茂らせることを知るようになる。
(エゼキエル書17:22~24より)
 
 
切り株と緑の芝生
 
 
イースターの直後だったので、「永遠の命」という言葉が心に浮かびました。
 
「永遠の命」というのは、千年も万年も生きる命のことをいうのではなく、
 
「主なる神を知り、神が遣わされた死んでよみがえられたイエス・キリストを知ること」だと、イエスさまは教えてくださいました。(ヨハネ17:3)
 
 
賀茂川沿いの満開しだれ桜と野草

その時その時、精いっぱい命を輝かして咲いているお花たち。
 
 
色とりどりのチューリップが咲く庭園
 
花の命は短くても、永遠の命を生きているのだと思いましたハートうさぎのぬいぐるみラブラブ
 
京都の野に咲くスミレと緑の葉
 

 

 

毎週水曜日は、日曜日の主日礼拝のメッセージをお届けしています。

 

今週は、イエス・キリストが死からよみがえられた日、復活日(イースター)の礼拝でした。

 

「三日目に、死人のうちよりよみがえり」――このことを、あなたは信じられるでしょうか?

 

 

 

4月5日 の礼拝メッセージ

復活日礼拝

「復活の主の真実な証人として

聖書 
①出エジプト記20章16節
「 あなたは、偽証しては ならない。」

②マルコによる福音書16章11節

「彼らは、イエスが生きておられた事と、彼女にご自身をあらわされた事とを聞いたが信じなかった。」

 

 1.偽証してはならない

 

*マルコ16:9.10

週の初めの朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤにご自身をあらわされた。マリヤは一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所に行って、それを知らせた。

 

復活されたイエスさまは、最初にマグダラのマリヤに現れたと言われています。

 

マリヤは、当時数にも数えられなかった女性、しかも、一説では「7つもの悪霊に取りつかれていた罪の女」であったと言われます。

 

神は、世の基準ではなく、ご自身の選びによって証人を立てられました。権威のある人の話なら、信じてもらえたかもしれません。

 

人は真実を知っているのに、自分に都合よく変えて証言をしてしまうことがあります。自分の不利益を考えて、あるいは人を恐れて真実を曲げて偽りを言ってしまうことがあります。

 

今、十戒を学んでいますが、今日の第九戒は「偽証してはならない」。偽証とは、真実を知りながら、それをゆがめて語ることです。

 

信頼をそこなう態度です。そして、偽証したことによって相手に不利益をもたらすことがあります。神さまは、このことを禁じておられます。

 

しかし、この偽証が今もこの世界では堂々と行われています。そして、実は、イエスさまの十字架の処刑と復活の出来事においても、この「偽証」が行われていました。

 

 

 2.復活をめぐる偽証

 

他の福音書も、弟子たちは女性たちからイエスさまの復活を聞いても信じなかったと伝えています。

 

マリヤは真実を伝えましたが、信じてもらえません。弟子たちにとっては、その言葉は信じがたく、受け入れられないものだったのです。

 

さらに、主の復活について組織的な偽証が行われました。

 

*マタイ 28:12

祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。」

 

人は、真実を前にしても理性が邪魔をします。また、自分が不利にならないようにするため、人を陥れるため、ウソをつくことがあります。これが現実の人間の姿なのでしょう。

 

 

 3.復活の真実 ― からだをもって現れた主

 

しかし、それでもなお、復活は偽証ではありません。

 

イエスさまは、単なる霊の存在としてではなく、弟子たちに現れ、触れることのできるからだをもってご自身を示されました。

 

*ルカ24:37.39 

彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのたと思った。…イエスが言われた。

「まさしくわたしなのだ。さわってみなさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ。」

 

このような説明をしなければならないほど、復活は信じがたいことだったのでしょう。

 

福音を世界に広げる大きな働きをしたパウロは、その手紙で復活の主が多くの人々に現れたことを語り、その事実が証人によって伝えられていることを明らかにしています。

 

*Ⅰコリント15:14

「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。」

 

復活は、信仰の土台です。

 

パウロ自身が、イエス・キリストの反対者、信じる者を迫害してきた人物でした。しかし、復活されたイエスと出会い、人生を180度変えられたのでした。

 

復活された主に出会った人々は、神によってすっかりと変えられ、キリストの復活の証人とされていきました。
 

恐れていた者が勇気をもって語る者へ――この変化こそが、復活が偽証ではなく真実であることをはっきりと示しています。

 

 

 4.私たちも復活の主と出会う ― 新しい命に生きる

 

この復活は、過去の出来事にとどまりません。

 

復活の主は、今も私たち一人ひとりに出会ってくださいます。どのようにして、それがわかるのでしょうか。

 

一つには、聖書が証ししている言葉です。そして、それを信じるのは、聖書の言葉への信頼によってです。聖書を信じる心は、神の霊の働きによって与えられます。

 

そして聖書を通して復活の主と出会うとき、私たちの歩みは変えられていきます。

 

古い自分――恐れにとらわれ、真実から目を背け、自分を守ろうとする生き方をする自分が死に、神の前に真実に、希望をもって生きる新しい人へと変えられていくのです。

 

復活とは、単に「イエスさまがよみがえられた」という出来事ではなく、私たち自身が新しくされ、新たに生きる命にあずかることでもあります。

 

*ガラテヤ2:19.20

わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。

キリストがわたしのうちに生きておられるのである。

 

だから、復活は喜びです。絶望で終わらない人生、やり直すことができる人生が開かれていきます。

 

復活は、神が成し遂げられた真実です。決して、偽証によってではなく、真実が伝えられ、その真実が今も私たちを生かし、新しくしています。

 

私たちの歩みそのものが、復活の主の真実な証しとなることを願います。

 

【黙想・祈り】

父なる神さま。イエスさまの死からの復活によって、私たちも新たに生きることができることを感謝します。どうか、新たにされて生きる喜びと希望を証する歩みができますように、主が常に私たちと共にいて導いてください。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

 

イースターおめでとうございますヒヨコキラキラ

 
イースターエッグのイラストとメッセージ
 
 

 

イエスさまの「復活」は、「蘇生」でも「作り話」でもありません。

 

完全に死なれたイエスさまが、肉の体をもってよみがえられた――
このことを、キリスト者は信じています。

 

頭で考えれば、あり得ないことのように思えます。
 

しかし、パスカルのような科学者であり思想家、哲学者たちや、シュバイツァーや中村哲さんのような医師たちも神を信じ、その信仰に生きました。

 

とても不思議なことです。

 

しかし信仰とは、「理解すること」よりも、
「神さまの愛を受け入れること」、そして「その愛の中で生きること」なのだと思わされます。

 

 

礼拝において、Jさんが洗礼を受けられました。

 

 
洗礼式で祝福を受ける女性
 
牧師が着ているのは
カトリックの神父さんからいただいた
祭服(カズラ)ですニコニコ
 

 

 
花束とカピバラのぬいぐるみ、写真
Jさんのお母様の召天記念でもある礼拝。
お父様も喜んでくださいましたハート
 
 

聖霊が、神さまの愛の恵みの中を歩む思いを与えてくださったのだと思わされて、とてもうれしかったですハートうさぎのぬいぐるみラブラブ

 

 
桜の下でお花見団子を味わう
 

 

 

昨日、お世話になっている牧師が、長年続けておられる祈りの集まりでメッセージをなさるというので、私も出席させていただきました。

 

その牧師は、来月で90歳になられます。


今も牧師のいない教会で、月に2回の説教を続けておられます。

 

朝早く、バスと電車を乗り継いで、神戸の会場まで来てくださいました。

 
 
プランターの植物、新芽と葉っぱ
プランタ―にいつのまにか生えてきた
なぞの植物。葉っぱが出てきました 目がハート

 

 

老境に入られてから、詩篇23篇がますます味わい深くなったとお話しくださいました。
 
 
「主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ
 
主はわが霊を活かし …」 (詩篇23篇1.3節 文語訳)
 
「主はわが 霊を活かし」――それは、 「魂が回復される」という意味だそうです。
 
 

大きな教会の牧師をされていた頃は、さまざまな働きに追われ、心を病まれたこともあったそうです。

 

しかし引退後、責任から解放されてからは、むしろ自分の魂が回復されていくのを感じるようになられたと。

 

「体は衰えていくけれど、魂がさえてくる

その言葉が、とても心に残りました。

 
 
魂がさえてくると、今の時代の見方も深くなる、変わってくるともおっしゃいました。


 

夕焼け空と街並み
 

「〇〇ファースト」「自分が、自分が」と主張することや、承認を求めることが当たり前のようになっているこの時代。

 

私たちの魂も、知らず知らずのうちに疲れてしまうことがあります。

 

 

けれども、神さまが喜ばれる道を歩むとき、
 

「善きことと恵みが追いかけてくる」(岩波訳6節)

 

老牧師は、青年のような笑顔でそう語られました。

 

 

帰り道、喫茶店でコーヒーをいただきながら、近況やお話をさらに伺いました。

 

「神さまが喜ばれる道」——それは、「隣り人の重荷を共に負う生き方」、共生の生き方です。

 
 
別れる時、私にも「頑張りなさい」と励ましてくださいました。
 

私の魂はまだまだ鈍感ですが、「神さまの喜ばれる道」を歩みたいと、あらためて思いましたハート歩くラブラブ

 

 

 

 

昨日はイースターの礼拝でした。
 
とってもうれしい礼拝でした。
 
礼拝の後は、近くの武庫川べりでお花見をすることにしました。
 
お花見弁当とイースター礼拝
 
愛餐会は、おにぎりべんとう♪
 
桜の木の下で、お弁当を広げようと思ったのですが…
 
お花見弁当と飲み物
 
場所取りしていないので、教会で食べてから出かけることにしました。
 
満開の桜とイースター礼拝、お花見日和
 
桜は満開!
 
昨日の雨も上がり…まさにお花見日和でした。
 
桜に触れる高齢女性、武庫川沿いのお花見
 
お目のご不自由なOさんも、桜に触れて楽しめます。
 
Kさんが、「いい香りがするでしょう?」と桜を近づけてくださいました。
 
満開の桜に触れる高齢女性、イースターのお花見
 
造幣局の桜の通り抜けは、桜に触れてはいけないのですが…
 
ここの桜は、触っても誰も叱りません。
 
 
教会の人気者たちも一緒に連れてきました ニコニコ
 
ぬいぐるみと三色団子、お花見弁当
 
花も団子も 口笛
 
満開の桜と青空
 
青空が広がってきました。
 
満開の桜と青空
 
 
家族連れやカップルが、それぞれに桜を楽しんでいました。
 
満開の桜並木を歩く人々
 
平和な日曜日…
 
 
満開の桜と青空、お花見日和の武庫川沿い
 
桜並木をお散歩して、公園を通って教会に戻りました。
 
武庫川沿いの桜並木、お花見を楽しむ人々
 
 
今年90歳になられるOさん、そして一つ違いのK さん。お元気に歩いて帰られました。
 
イエスさまの死からの復活を祝い、今年も皆さんと一緒にお花見ができて、うれしかったです。
 
 
満開の桜とお花見日和
 
昨日は、Kさんの奥さまの5回目の召天記念の日でもありました。
 
そして、娘さんが昨日のイースター礼拝で洗礼を受けられました。
 
「キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことなく、死はもはや彼を支配しないことを知っているからである。」(ローマ人への手紙6:9)
 
 
うれしいお花見でした。
 
復活の主に感謝しながら、喜びに満ちた一日となりました ハート うさぎのぬいぐるみ 桜