だいぶ時間が過ぎました真顔

 

 

 

冬の時期は術後の「肋間神経痛」で

痛くてうずくまることがありましたが、

暖かくなって傷口の痛みはほとんどなくなりました。

 

神経痛からくる右胸の麻痺は今でもあります。

寒くなる前日とか台風の前日からひどくなります。

 

おとつい3回目の定期検査に行ってきました。

 

8時半から車がいっぱいです。

といいながら目の前は空いています。

人に見られると恥ずかしいので車内から撮りました。

 

神経痛用として引き続き「リリカ75mm」を3ヵ月分出してもらい、

傷口の痛みはなくなったのでロキソプロフェンは無しに

してもらいました。

次回の定期検査では単純CTと、

念のため血液検査をお願いしました。

 

去年の今頃、不安な気持ちでいっぱいだったこと

思い出します。

次から次へと検査していたこと

手術の説明を受けていたこと

手術室入る直前

手術直後の苦しさ

息苦しくて泣きそうだったこと

 

 

もうすぐ1年、あっという間です笑い泣き

 

 

 

 

 

自宅から1時間ぐらいの
●赤十字病院へ勉強会に行きました!
15人ぐらいはいたのかな。
今回は「がん患者さんへの接し方・家族ケア」です。

前半はがんについての一般的な話。
後半はがん患者の人が家族にいるとき、
家族やまわりの人はどう接するべきか
についての話でした。


最後に緩和ケア認定看護師から
「質問ございませんか?」と言ったら
50代の女性が(どこの癌か忘れました・・)
「母が癌で手術(おそらくこの病院)しました。術後は3ヵ月おきにCTと気管支鏡検査を交互に繰り返していきましょう、とのことでしたが再発してあっという間に亡くなりました。3ヵ月おきだなんて、なんてのんきなこと言ってるんですかね、1ヵ月おきに検査すれば助かったんじゃないですか?のんきすぎますよね、悔しいんですよ😡」
怒りをかなりぶちまけていました。

今回の話の内容とは異なるので
最初は?、と思いましたが
途中泣きながら話す姿は、
辛くて辛くて辛い思いを
ずっと我慢してたように
思いました。ずっと辛かったんですね・・

最後は寂しい感じで勉強会が終わりましたが
自分にとって、いい勉強をさせてもらいました。

都合がつけば色々なところへ
参加したいと思います。
自分が病気になり手術しなければ、
今回の勉強会には参加しなかったと思います。
病気したことで、
一歩行動する気持ちにさせてくれました。







見たくない方は見ないでくださいね


・フラッシュたいて身体が黄色く見えてます
・手術前に脇の毛を処理するように
 とのことで完全処理しましたが、
 少し出てきて見苦しいかもです 
・小さい傷口からカメラを入れました。

いま飲んでる薬は

・リリカカプセル75㎎(朝晩)
・タケキャブ10㎎(朝晩)
・ロキソプロフェンナトリウム60㎎(朝昼晩)
・レバミピド100㎎(朝昼晩)

術後1ヵ月たったので
傷口はだいぶキレイになりました


では公開









今日じゃないですが術後のリハビリかねて 
野尻湖へ行きました。
マンモスの野尻湖?
ナウマンゾウの野尻湖?
よくわかりません。
調べもしませんが行ってきました!

車で一周したら思った以上に
時間はかかるし、道が狭くて
怖かったです( ´;゚;∀;゚;)

一周する前に寄ったカフェで
嫁子供と休憩しました。


暑い日に行きましたが
すごく涼しくて
静かでリピート確実な
場所でした。

相変わらず痛みに苦しんでますが
痛みを忘れてリラックスできました





手術して切除した右肺で
免疫染色を施行して
最終的に



「肺内神経鞘腫」

との診断でした。
肺腫瘍のうち、全体の0.2% 
しかなく症例がかなり少ないそうな。
良性腫瘍の部類で悪性像は見られない、
とのこと。



たまたま運がよかったのかな。
確定診断が出ないままの
3ヵ月はしんどかったです。

1度肺癌と言われていたし、
癌宣告を受けた人の気持ち
痛いほど分かりました。
でも
皆様のブログを拝見していたので
自分はたまたま悪性でなかった
ことに対して、なんだか
申し訳ない気持ちになってもいます。

経過観察として定期検査で
病院へ行くので
ブログは続けようと思います。

自分は今回のことをきっかけに
癌に関するイベントに
参加できるところは
参加することに決めました。

病院で行われている
小さな講演会にも出席
しようと思います。


父親が癌になったと自分に伝えた時
冷静にふーんと聞いていたけど
自分が癌宣告を受けてはじめて 
父親のつらさを理解できました。


父親が癌が進行して
呼吸が少ししかできず
苦しい苦しいと言ってましたが
自分の手術後、息が少ししか
できなくて溺れている感覚を
味わってはじめて
父親の苦しさを理解できました。
  



ごめんな父さん
辛かったな
一緒に住んでなかったから
無理にホスピスに入れさせた形
になってしまってごめんな。

すぐ怒るから
小さい時あんまり
好きじゃないって
思ってたけど
誰よりも真面目
って人に聞いた。
父さんの真面目すぎる
くらいの真面目さ
自分はまだまだやな。

父さんとゆっくり話がしたいわ
あんまり母さんほど
会話してなかったしな。
でもゆっくり話するのは
まだまだ先やからな










今年の4月末に町内の病院で
レントゲンをとり、
そこの先生がすぐさま
H総合病院に電話して
CT 検査の予約を入れた。
ここから始まって3ヵ月が過ぎました。
2つの病院で検査繰り返して
7月半ばに手術もして、
やっと明日
肺にできた腫瘍が何なのか
判明します。
時間がかかり過ぎて
こんな感じです



呼吸は相変わらず
かなり苦しいですが
ゆっくり、ゆっくり
散歩できるまでになりました。
1日ごとに回復してる感じがします。

日曜日なので人のいない
病院内を少しご紹介


3Fラウンジからの景色
天気が悪いので
写真はいまいちですが
長野県のいろんな山見れます。
斑尾山?とか。



ローソンと呼吸器外科の近く
中庭?



正面通路ではないですが
1Fの通路。すぐ右側は図書館



ここはリハビリ庭園。
写真の左右にまだまだ
庭園が広がっています。
リハビリしている患者さんや
ベンチでジュース飲んだり。
気分転換になります。


早く元の状態にならないかと
願うばかりです真顔



2日目夕方からは尿管外れてるので
点滴と心電図したまま
自分でトイレ行きます。
ただし看護師さん付き添いです(^_^;)))
尿管抜いてからはトイレの中まで
看護師さんは入ってきません。

思い出したら
尿管入れる入り口から数㎝は
太いチューブが入ってて
尿道にあんな太いチューブ
よく入るもんなんだな、と
何度も思い返しました。
すいません。




病室の景色はこんな感じです。
写真よりずっと綺麗に山が見えます
雲の動きを見てるだけでも
息苦しさが紛れます。 



夕食を頑張って完食して
テレビを見てます。
テレビつけてるだけで
気分が変わりますニヤニヤ



次第に寝てしまい
夜になりました。
目が覚めてナースコールをして
看護師さんとゆっくり
トイレに向かいます。

トイレのすぐそばまで来たところで
ドレーンのチューブから血が
大量に流れてきました。
右脇腹あたりが痙攣したような
痛さで動けなくなり
首から汗がどっと出てきましたチーン
看護師さん二人に担がれて
車イスでベッドに戻ります。

背中から麻酔を入れてますが
急遽、痛み止めの点滴を追加しました。
しばらくしても痛みは取れず
我慢もできなくてナースコール。
今度は腕から痛み止めの注射💉
そこから次第に落ち着き
1時間、2時間・・と経過
寝れないのでずっと起きてます。



夜中になったころ
自分の足元で
左側から右側へと
白い大きな光がゆっくり動いてました。
それは全体がすっごい真っ白で
着物とは違うのですが
上着は前からヒモで結び
なんだか少し高価そうで、はおるもの。
左側から右側へと動くのは

あと1ヵ月半で3年が経つ
亡くなった母親でした。

腰を曲げて顔は下向きでゆっくり歩く、
リウマチで歩行不可能になる前
歩くことができた頃の母親の歩き方です。
横顔しか見えず目は合っていません。
自分はとっさにお迎えが来た・・
そう思いました。
なんせ呼吸が苦しい、死ぬんだろう。
自分はすぐ天井を見上げて
「大丈夫、大丈夫、絶対治る」
心の中で何度も繰り返しました。
何度も何度も繰り返しました。

天井を見上げて繰り返しているうちに
はっとしました。
母親の横顔は
自分を心配している横顔でした。     
すると目から涙が流れて 
止まりませんでした。

寝てはないので
夢ではありません。
本当に不思議な出来事でした。

















































朝の9時から手術が始まり
15時半に終わりました。 
 


「終わりましたよー」とか
色々聞こえて、意識が戻りました。
手術室を出たようです。 
でも目を開けている余裕がありません。
意識が戻った瞬間から
溺れているような感覚です。
酸素マスクつけてますが
息が以前のように全然吸えません。 
麻酔の影響でまた意識を失いました。



1時間後、目を覚ますと病室でした。
猛烈な背中の熱さと違和感、
ひと呼吸で吸える空気の少なさに
かなり動揺しました。
焦って規則正しく呼吸できません・・。
慌てて酸素マスクを外して、
痛いの覚悟で上半身起き上がりました。
そばにいた担当看護師に即怒られました。



こんな苦しい状態で大丈夫なんだろうか?
気づけば紙オムツをしていました。 
尿道には管がつけられています。
点滴の管、心電図の線、
背中から麻酔を入れる管、
酸素の値を確認する線、
右脇の下にはドレーンの太いチューブ、
管から血がダラダラ。



息苦しくて嫁と話す余裕もないです。
時間が経つのが長く感じます。
横にも向くことができず、
ひたすら天井。

夜中は背中が熱いような痛いような。
呼吸をするのに一生懸命で寝れません。 
何度もナースコールしました。



結局手術前の13日の晩、
手術後の14日の晩、
一睡もできずに15日を迎えました。
15日の朝はまわりの方が
朝ご飯を食べる音を聞いていました。
羨ましかったのを覚えています。
当たり前に食事ができるって、
ありがたいことだと思いました。



そんな自分もお昼から初の飲食OK
食べているときは息苦しくて
のみ込んだあと呼吸を整えます。
昼食の半分くらいを無理して食べました。
1時間以上かかりました。  

看護師さんに尿管をとってもらいました。
手術の翌日から歩行するようにとのこと
なので、看護師と一緒にトイレへ。 
オムツをとってもらいました。
座っておしっこします。
尿道から激痛。
術後の辛さから
看護師さんに見られて恥ずかしい
どころではありません。



そして15日の晩になりました。







今日が手術日です。

                       緊張で夜中の3時すぎてますが         寝れません。                 全然寝れません。               朝9時から手術ですが             新潟の上越に釣りに行くときは         今頃出発ですが、               今回は釣りではないのです。                                 手術当日の夜中に釣りに行き、
行方不明になったら
自分がいるフロアの看護師間で         有名になるハズ。  
「男らしいステキ!」ってなるんでしょうか?                                                                                              手術したら右肺の中葉と下葉はなくなります。
38年7カ月、                 右肺は僕を支えてくれました。         風邪はよく引いてたけど、           今まで大きな病気することなく         支えてくれました。              感謝しています。               自分のからだの一部が無くなることが      こんなにもさみしいとは。           初めての感情です。                                     サヨナラ右肺                 ありがとう右肺                左肺のためにも                頑張ります