『Tilman Riemenscheneider  Werke Seiner  Blutezeit』(ティルマン・リーメンシュナイダーの全盛期の作品)。2004年にヴュルツブルクで開かれた展覧会の2巻本のカタログのうちの一冊。400ページ近くある。手に入れたのはだいぶ前だが、ドイツ語なので読んではいなかった。リーメンシュナイダーについて文章を書こうと思い立ち、書き始めてからドイツ語の文献も身を入れて読むようになった。文章の方は一冊の本に仕上げたが、その後、新たに買った本などを少しずつ読み始め、これまであまり知らなかった彫刻の彩色や材料についてのエッセイも読むようになったその一つがManfred Schurman「Beobachtungen zur Holzbearbeitung」(木工の観察)(『Tilman Riemenscheneider  Werke Seiner  Blutezeit』 p137−151)。これを日本語に訳すのは、とても苦労した。今まで読んだ文を楽に読んだわけではないが、翻訳アプリでほぼ9割は意味がとれる。ところが、木工に関しては、いわば専門用語が多く翻訳アプリでは意味が通るように訳せないのだ。久しぶりに独和辞典を引っ張り出し、調べても載っていない単語もいくつか。14ページを2週間はかかったし、途中でいい加減投げ出したくなったこともあったが、どうにか最後まで読んだ。16世紀のドイツ、ヴュルツブルクで工房を開き、多くの彫刻を製作したマイスターであるリーメンシュナイダー、彼の彫刻については日本でも少しは知られるようになってきたと思うが、技術的な木工の問題についてドイツ語を読もうという人間がどれだけいるかは疑問。何より自分が興味があるというのがいちばんの理由だが、ただ日本語ならば少しは興味を持つ人もいるのではないかと、いう思いも少しはあった。


長文なので自分で見出しをつけてみた。まず最初は

《木材の入手、どこから、誰が》

15世紀から16世紀にかけてヴュルツブルクのマイン川に木材市場があったことが知られていると言う。これは木材を使う彫刻家には好都合であっただろう。マイン川は今でも流量の多い大きな川である。ここに木材が運ばれてくると言うのは、なんとなくイメージが湧く。

 といっても、この文を読むまで全く知らなかったのだが。彫刻の材料である木材をどのように手に入れたのか? と言うことをそもそも全く考えなかった。今のようにホームセンターに木材が売っているわけではあるまい。最も現代でも彫刻家が木材をどのように調達してくるのかは全く知らないのだが。

そう言う視点が自分の中になかったので、ヴュルツブルクのマイン川に木材市場があったと言う一文がとても記憶に残った。

 

下の写真は、昨年秋ヴュルツブルクを訪れた時、マイン川にかかるアルテ・マインブリュッケから、撮ったもの。右側の石の台座に少し見えているのは、ヴュルツブルク市の守護聖人キリアンの像の一部である。




 橋には多くの彫像があった。下の像は、聖母像か?

これは顔が映っていないがキリアン像。


さて買った木材は、おそらく丸太?で、乾燥させる。乾燥させないで生のままで彫刻して彩色すると、木が反ったりヒビが入ったりするからである。このことはなんとなく知っていた。法隆寺の宮大工の本を読んだ時に、乾燥させる話があったと思う。そして薪として使うときも乾燥は必須、乾燥しないと燃えにくいのだ。

また枝があったところは硬いし、瘤もあるだろうし、太い木、細い木、質のよい木、質の悪い木などいろいろある。ただリーメンシュナイダーが自分の思い通りに求める木材を買えたかどうかはわからない。彫刻の場合、木彫ならば代金は材料費込みなので、高額でない契約では、どうしても材料をケチってしまうのはありそうなこと。

 木材の質と彫刻の質がどんな関係にあるかは次に述べる。