この日は、茨城県結城市に出掛けました。結城市には「結城城跡」がありました。
「結城城跡」は、武将・結城氏が本拠としていた城であります。結城氏は、代々、平安時代から鎌倉時代、南北朝時代、・足利時代・戦国時代・江戸時代まで、累々と続きました。
源頼朝に着き、その後、足利尊氏に着き、、うまく、付き合いながら、江戸時代まで 上手く生き抜いてきました。その「結城氏」の居城が「結城城」です。
私は 今回、茨城県結城市にある「結城城跡」に行って参りました。同行は、銀子さんです。現在は、「結城城跡」は、神社が建っていて、
特に遺跡はありませんでした。
広い「本丸」と「空堀」があるばかりです。私と銀子さんは、「結城城跡」を歩いて、往時の面影を偲ぶばかりです。
近くに「結城氏」の菩提寺・「乗国寺(じょうこくじ)」がありました。「乗国寺」境内を散策です。
「結城氏代々の墓」がありました。
鐘楼が恰好良いです。
銀子さんは、「乗国寺」で参拝して、
遠い地に来て、感銘しています。
「乗国寺」を出ます。
城下町・結城市には、「古い町並み」があります。「古い町並み」では「結城紬(ゆうきつむぎ)の館」や「結城紬(ゆうきつむぎ)の里」と銘打って、「絹織物」の産地です。
今でこそ、化学繊維に越されましたが、過去には「絹織物」が、主流でした。
「桑畑」で桑を育て、「蚕(かいこ)」を飼って、桑の葉を餌として与えます。大きな「蚕小屋」があり、「蚕」が餌を食べる時には、「ガサガサ」と煩かったです。やがて「蚕」は「繭(まゆ)」となります。「白い繭」を作ります。「繭」を熱湯に着けて、湯がきます。「絹糸」が取れるようになります。この作業の一連が、「結城紬の館」に展示されていました。
その「絹糸」を染めて、織った布が「絹織物=紬」です。「紬の館」では、「絹織物=紬」を展示販売しておりました。
銀子さんは、興味津々です。
土産に「ピンクの小銭入れ」を買いました。
それ以外は、万単位で高いです。この日は、高いのは、買うのはやめました。
すぐ近くの用品屋で、「地元で流行りの服」を売っていました。銀子さんは、「これは着ません!」と申しておりました。
すぐ近くには「紬の里」がありました。「古い町並み」です。
「紬の里」を見学しました。
現在でも、古い町並みの地で、「絹織物=紬」を織っているそうです。
単価は高くなりますが、
地元で流行りの「洋服」
とどちらを身に着けましょうか? 銀子さんは、大笑いするばかりで、返事をしませんね。
帰りは、食事をして、千葉に帰ります。3時間以上掛かりました。
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