館山市散策・安房国分寺・安房国分尼寺・奈良時代に聖武天皇が全国に詔を出して・館山湾さかなクン・ | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

 この日は、千葉県館山市に出掛けました。同行は次女です。館山市は、古くは「安房(あわ)」と呼ばれていました。「安房」には、「安房国分寺」がありました。現・千葉県には、「①上総国分寺と上総国分尼寺」、「②下総国分寺と下総国分尼寺」が、そして、ここ「安房」には「③安房国分寺と安房国分尼寺」がありました。奈良時代に、聖武天皇が全国に「国分寺」と「国分尼寺」の建立を命じました。それで全国に「国分寺」と「国分尼寺」が存在します。①と②は、寺が実在します。③の「安房国分寺」も今回出掛けて、奈良時代には、存在しました。現在も、その「安房国分寺」がありました。ただ、奈良時代のことで、当時の寺は朽ちて無くなっていて、現在の新しい「安房国分寺」が建っていました。全国の「国分寺」の本社は、「奈良の東大寺」です。「奈良の東大寺」は 「国分寺」の総本山です。現、千葉県にある「各国分寺」は 建て替えられて、現存しています。

それでも、当時の境内に新しく建てられた「国分寺」を見学に 行って参りました。「現館山市にある安房国分寺」には、「礎石」が転がっておりました。この大きな「礎石」の上に建物が建っていたのです。奈良時代を想像して、私と次女は、「安房国分寺」を離れました。

 もう一方の「安房国分尼寺」は、対になった「尼の寺」です。近くにあるはずなのですが、現在のところ、場所は推測の域を出ません。「安房国分寺」の北方900mの所に、「アマンボウ」と言われている場所があります。

↑推定地

これは「尼ん坊」と書かれて、「尼寺」ではないかと言われています。私と次女は、「アマンボウ」の地と言われる「館山市菅野地区」に行ってみました。

 ↑推定地

広々とした場所はありましたが、よく分かりませんでした。発見は 次の機会に回します。

 次は、「館山城」に向かいます。生憎の雨で、体が濡れます。それでも、二人は「館山城」に登って、記念撮影です。遠くの景色は、雨でよく写っていませんでした。

 次は、やはり館山市にある「三義民の墓」に向かいました。この「三義民」は、年貢の重税に苦しむ「農民たち」を助けるために、「館山藩」に減額の直訴をしました。当時、直訴は「死罪」です。何度も「直訴」をして、最後、願いが通りました。農民は大喜びです。その代わりに、直訴した「名主3人」は この地にあった「処刑場」で、斬首の刑で命を落としたのです。人を助け、自分が命を捨てた人を「義民」と申します。後の世まで、人々は「3人の義民」を手厚く弔っているのです。

 最後に、私と次女は、館山湾に面した「渚の博物館」に向かいました。ここには、人気の「さかなクン」の魚博物館があります。中に入ると、「さかなクン」が描いた「魚の絵」がたくさん展示してありました。「上手ですね!」 次女は大喜びです。私も喜びます。「館山湾」の「魚」の説明がたくさん書いてありました。「さかなクン」は「魚の天才」です。楽しいですね!

 こうして、「魚」を学んで、「館山湾」を背景に記念撮影して、千葉に帰ったのでした。この日は、たくさん回りました。

 

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