十倉神社は富里市・10番目の開墾地・成田空港が出来るまで・三里塚の闘争 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

 この日は、千葉県富里市十倉(とくら)に出掛けました。「十倉」は、江戸時代が終わって、明治時代になり、職を失った「武士たち」に仕事を与えるために、明治政府は、「仕事場」を作りました。主に「牧場」と「農場」です。作った順に、「1」から「2」「3」と名前を付けました。「十倉」は「10番目」に作られた「仕事場」です。広い「牧場」でした。「馬」「羊」の牧場でした。現在では、当時の牧場は、ほぼ無くなりましたが、広い農場が、「十倉」には広がっています。「十倉」には「十倉神社」がありました。私と同行のまっちゃんは、「十倉神社」に行って、当時の面影があるか、探しに行きました。「十倉神社」で、二人は、参拝をして、当時の手がかりを探すために、隣の地区の「三里塚」に向かいました。

 「三里塚」は、「成田国際空港」を作るために、物凄い闘争がありました。今から58年前から始まった「三里塚闘争」です。「成田国際空港」を作るために「政府」と「地元農民・闘争集団」による「戦い」です。

 空港を作るために「農地」を買い上げる「政府」と「反対勢力」は 戦いました。「武力闘争」に発展しました。現空港付近の「三里塚」の地で、血で血を洗う闘争に発展しました。この争いの中で、合計12人の、「機動隊員及び空港反対勢力」が死亡しています。私は この時には、既に「現社会保険労務士事務所」を立ち上げて経営していました。「仕事」で、「成田市三里塚」に出掛けました。当時の「団結小屋」付近を車で通過しました。翌日には「警察」がうちの千葉事務所にやって来て、私及び同行の職員を取り調べました。驚きましたね。勿論、私たちは関係がないので、無実でした。それほど、「成田闘争」は、凄かったのです。

 つい最近まで「成田空港」に入る時や通過する時には、「検問」がありました。私は、車に「スコップ」を積んでいました。「スコップ」は取り上げられ,未だに 返して貰っておりません。それ以来、「疑わしい物」は、車から降ろして、「成田空港付近」に行くことにしています。

 千葉県香取郡にある「日本寺(にちほんじ)」に、アジサイを見学に行く時は、車は「成田空港」を通過します。私は、通過する時、車から「きょろきょろ」して、警察官を見ていました。「空港」を出る時から「パトカー」がずっと私の車に着いてきました。「日本寺」に行く、丁度半分くらいで、隠れていた「もう一台のパトカー」が交代で、私の車を追跡し始めました。ようやく逃げきったと思いきや、終点の「日本寺」に、3台目のパトカーが私を待ち受けていました。私は、「あっかんべー!」をして、「日本寺」の「アジサイの中」に隠れました。

 凄い時代でした。現在は、空港での「検閲」は 行われていません。今は安心して、「成田空港」に入れます。

 そんなことを思い出しながら、私と同行のまっちゃんは、「三里塚記念公園」に入って、当時の記録などを見学したのでした。

 まだ 闘争は完全には終了していないようですが、当時の反対派は、70歳代以上になり、世代の交代がありますので、もう「反対運動」は 静かになっています。

 

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