徳川家康・秀忠・家光公の通った「御成街道」を行く・お茶屋御殿は2泊目・井戸がある | 西村治彦の日記

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 この日は、「徳川家康」が東金に鷹狩に行って、2泊目に泊まった「お茶屋御殿」に向かいました。「お茶屋御殿」は、千葉市若葉区御殿町にあります。「徳川家康」と「2代目徳川将軍・徳川秀忠」と「3代目将軍・徳川家光」は、現千葉県東金市にある「東金御殿」に、向かいました。1泊目は、現・船橋市にある「船橋御殿」に宿泊し、2泊目は、ここ「お茶屋御殿」に泊まりました。3泊目以降は、「東金御殿」に長期宿泊しました。「徳川家康」が通う街道は「御成街道」と名付けられました。大名行列では「御成り!御成り!」と、先頭の奴さんが、叫びながら歩くので、「御成街道」と、呼ばれました。現在でも、当時、1600年代に、「徳川家康」と「2代目徳川将軍・徳川秀忠」と「3代目将軍・徳川家光」が通った「御成街道」が、そっくりそのまま存在します。

 「佐倉城主の土井利勝」が、街道の周辺の農民に命じて、「三日三晩」で「御成街道」を完成させました。まあ「三日」では 出来なかったでしょうが、数か月以内では、「御成街道」が完成しました。提灯を灯して、街道を作ったので、「提灯街道」とも呼ばれています。

 私と次女は、「御成街道」を 進みました。江戸時代の風情を醸し出す景色のある「御成街道」です。暫く行くと「御殿町」になりました。「徳川家康・秀忠・家光公」が宿泊したので、「御殿町」と現在は呼ばれています。「御成街道」沿いに、「お茶屋御殿」がありました。現在でも、区画は 当時のまま残っています。周囲を土塁に囲まれ、土塁の外は「空堀」です。万一、敵に襲われても、「土塁」と「空堀」があれば、敵は 攻撃が遅れます。土塁を登る時、敵を攻撃しやすくなります。

 周囲は 高い杉の木が生えています。土塁の上には、見張りをする武士たちが、大勢いたことでしょう。

 「お茶屋御殿」には、家康も使った「井戸」があります。この「井戸水」で、家康・秀忠・家光の将軍たちは、「お茶」を立てて、飲んだのでしょう。それで、ここは「お茶屋御殿」と呼ばれるようになりました。

 「お茶屋御殿」を出ます。また「御成街道」を戻って、千葉事務所に向かうのでした。

 1泊目の「船橋御殿」と3泊目以降の「東金御殿」は以前、何回も訪れていますので、ここに載せます。

 

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