上総国府を探す,その1・所在推定地は、何か所かある・行ってみます | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

 この日は、千葉県市原市にある「上総国府」を探しに出掛けました。「国府」とは、奈良・平安時代の「県庁」です。京都の天皇から派遣された「国司」が、「国府」に座って、政治を司っていました。任期を務めると、代わりの「国司」が、京都からやって来て、交代です。「奈良・平安時代」は「天皇」が強くて、「朝廷政治」でした。京都から派遣された「国司」は、赴任すると、近くにある「総社」にお参りに行き、「これから宜しく!」と報告します。「総社」とは 付近の神社を纏めた「神社の総本部」です。

 平安時代に、ここ「上総の国」に赴任した「国司」の「菅原孝標(たかすえ)」の娘が、京都から上総への「旅と日常の生活、帰国」を日記に書いています。「更科日記」です。市原市の「国府推定地」近くには「更科公園」があります。「更科日記」を祝して、「更科公園」が作られました。「更科公園」で、国司の私と「菅原孝標(たかすえ)の娘」が、記念撮影致しました。広い公園です。この「更科公園」と前にある「大通り(更科通り)」で、毎年、「市原国府祭り」が開催されます。コロナで 暫く 休んでいましたが、「市原国府祭り」は 今年は 行われるものと思います。「更科公園」の近くには「市原市役所」があります。「市原市役所」は、1972年に、この地に移転してきました。現在の「市原市役所」を点対象に「上総国分寺」と「上総国分尼寺」があります。「市原市役所のある場所」で、当時、「国司」が執務していたと私は考えます。「上総国分寺」と「上総国分尼寺」は 奈良時代に、京都の「聖武天皇」が建立を命じた寺です。その中央部分に「国司」が政治を取っていた、と考えるのが自然です。「市原市役所」の建設時に、「木造掘立小屋」であった「国府の建物跡」は、発見出来なかったのでしょう。当時の「国司のいた建物」はそう大きくはありませんででした。現在の「●●市役所●出張所」程度の大きさでした。

 点対象になっている「上総国分寺」と「上総国分尼寺」は、対になった「男だけの寺」と「女性だけの寺」でした。「聖武天皇」が全国に建立の詔を出しました。私は 時折、「上総国分寺」と「上総国分尼寺」に出掛けます。互いに近くて、眼と鼻の先にあります。

 「上総国府」は、現在、まだ発掘されていなくて、推論の域を出ません。いくつかの候補地に行ってみます。(続く)

 

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