茨城県坂東市の平将門・承平天慶の乱・国王神社と延命寺・ | 西村治彦の日記

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「平将門(たいらのまさかど)」は、平安中期(10世紀前半)、関東で覇権を有した豪族です。桓武天皇から出た桓武平氏の中心となる武将です。将門の時代に平氏一族の抗争が関東で発生しました。平将門は関東一円に勢力を及ぼし、ついに朝廷である朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称するようになりました。東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となるのですが、2ヶ月足らずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐されています(承平天慶の乱)。「平将門」は、長きにわたって、人気のある武将です。当時、東国を支配していた「朝廷」の重圧に対して、「平将門」は、「朝廷に年貢(当時の税金ほか)を払わないで良い!」と農民・庶民に命じました。重圧に苦しんでいた当時の人々は、大喜びしたのです。「平将門」は、当時の人々に、「我は天皇である。我の指示命令に従え!」と発したのです。「平将門」は「新皇」と自らを呼びました。東国の人々は喜びましたね。それで。「平将門」は、弱者の味方として今日まで 絶大な人気があるのです。一方 朝廷はたまりません。東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となるのです。「反平将門軍」を編成して、「平将門」の討伐に向かいます。2ヶ月足らずで「藤原秀郷、平貞盛ら」により討伐されています(承平天慶の乱)。

 私は、この日は、「平将門」の誕生の地である「茨城県坂東市」を訪れました。「坂東市」には「国王神社」があります。「国王神社」には「平将門」の「墓所」がありました。「平将門」は全国的に人気があるので、「墓所」と言われるところが 各地にあります。まあ「墓石」を置いて、「平将門」と書いてあれば、「平将門の墓所」になります。東京の大手町にも、「平将門の首塚」があります。

私と同行の橙色子さんは、「坂東市の国王神社」の「平将門の墓所」で、「平将門」を弔ったのでした。国王神社を散策した後、同じく 近くにある「延命寺」を訪れました。「延命寺」は「平将門」の「胴塚」があります。「平将門」の菩提寺になっているそうです。「平将門」の末裔たちは、「延命寺」に事あるごとに「参拝」に訪れているのでしょう。人気ある「平将門」の「首塚」や「胴塚」は、「平将門ファン」にとって、貴重な場所です。

 この日、私と橙色子さんは、「坂東市」を訪れて、貴重な時間を過ごしました。天下を取りたい猛者は、歴史上も大勢現れました。天下を取りたいのは、人間の本能なのでしょうか。

 

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