飯能戦争・能任寺・戊辰戦争の激戦地・高崎事務所に行く | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

この日は 埼玉県飯能市にある「能任寺」に行きました。「能任寺」は 江戸時代から明治時代になる時の「戊辰戦争」の激戦地として知られています。「能任寺」での戦いは、「飯能戦争」と呼ばれています。「旧幕府軍」と「新政府軍」が戦い、遂には「新政府軍」が戦いに勝ち、時の将軍・徳川慶喜は、大政奉還をし、ここに徳川幕府が滅び、明治時代へと変わって行きました。

「戊辰戦争」は各地で戦いが行われ、上野では「上野戦争」、京都では「鳥羽伏見の戦い」、船橋では「船橋戦争」、会津若松では、「旧幕府軍である白虎隊の戦い」、二本松では「二本松城の戦い」、木更津では「木更津戦争」、函館では「函館戦争」などなど 各地で 政権交代の戦争が起きました。悉く 武器が新式で 士気盛んな「新政府軍」が勝利しました。

 「上野戦争」では 旧幕府軍は、「彰義隊」を結成し、「新政府軍」との戦いが起きました。ほぼ 一日で決着が着き、「新政府軍」が勝利しました。この「彰義隊の一部」が、飯能方面に逃げ、飯能でも、戦いが起きました。飯能での「旧幕府軍」は「振武軍」と呼ばれました。

 戦いは、現飯能市にある「能任寺」に、「旧幕府軍(振武軍)」が立て籠り、追う「新政府軍」と戦いました。これを「飯能戦争」と呼んでいます。「飯能戦争」では、追う「新政府軍」が、銃器、大砲類が圧倒的に有利で、戦いは 半日で決着が着いてしまいました。「新政府軍」の勝利です。

「旧幕府軍(振武軍)」の大将であった「渋沢平九郎」は逃げ切ることができず、自刃という最期を迎えました。

 私は この「飯能戦争」の激戦地・「能任寺」に行って参りました。「飯能戦争」で焼かれ、再建された寺ですが、境内で、兵どもの激しい戦いが起こったことを想像させてくれました。裏には「天覧山」が聳えています。敗走した「振武軍の兵士」たちは、山を越えて逃げ延びたのでしょう。

明治新政府になって、敵であった「旧幕府軍」の兵士たちは、優秀な者は そのまま取り立てられ、新しい政権の中で活躍しました。同じ日本人であるので、憎しみは いずれ消えてしまったことでしょう。明治新政府は、「廃城令」で城を取り崩し、旧幕府兵士が立て籠らないよう管理しました。また、失業した兵士たちのために「授産所」を設け、新しい仕事を与えました。

 私の住む千葉県には、その「授産所」を、一から十三まで頭に付けて、土地の名前とし、武士であった兵士たちに新たな仕事を与えました。一は初富、二は二和 、三は三咲 、以下 豊四季 五香 六実 七栄 八街 九美上 十倉 十余一 十余二 十余三、と十三まであります。

 江戸時代から今日まで、長くて短くもあり歴史があります。

 この後 私は 群馬県高崎事務所に向かいました。「リモート事務所」の確認と転勤者用の「社員寮」を設けたので、確認に向かいました。

すでに転勤して、業務を始めている和泉智孝君が寮におりました。会って 話をよく聞いて参りました。

 

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