小さな円墳2基・埼玉県小鹿野町の丸山塚古墳・栃木県足利市根本神社古墳 | 西村治彦の日記

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小さな円墳2基・埼玉県小鹿野町の丸山塚古墳・栃木県足利市根本神社古墳

 この日は、栃木県足利市にある「根本神社古墳」に寄りました。「根本神社は どこにあるのだろうか?」と探しましたが、この古墳の上にある神社が、「根本神社」でした。「根本神社古墳」は 現在は直径24m×21m・高さ4.5mほどの円墳に見えます。もともとは この円墳部分は「前方後円墳」の「後円部」でした。長い間に、「後円部」は 削り取られ、丸い古墳になっています。削り取られたのは、かなり昔でしょう。現代では 土地は登記されていますので、簡単に削り取ることは無理です。ただ その古墳が 特定の人の所有として 登記されていれば 削り取ることも可能です。実際に 私が今まで訪れた古墳群の中でも、近くの住民に尋ねると、「あそこにも古墳があったけど、削り取って畑にしてしまったよ!」と申す人がおりました。「崩した古墳から たくさんの埴輪や土器が出てきたよ!」と聞いたことがあります。「まだ少し古墳が残っているでよ!」と申しました。

「古墳」を壊すには 管轄する役所の許可が必要なのかと思いましたが、多くの古墳が破壊されてきています。

 大きな古墳の一部を破壊して、家を建てたり 増築したりしている家もありました。昔は 管理が行き届かなかったのでしょう。

 「根本神社古墳」は 古墳の下の部分には 民家の塀が建てられ 一部 破壊されていました。昔は 堀があったかもしれません。古墳の周囲に堀を掘り、 その土を古墳として 盛り上げて 古墳にしている場合が殆どです。そうでないと 土を遠くから運ぶには労力が大変です。古墳時代に スコップや運ぶ車は十分なかったと思われます。

 そんなことを考えて「栃木県足利市」の「根本神社古墳」を後にしたのでした。

 ●次は 翌日 帰りがけに立ち寄った「丸山塚古墳」です。埼玉県秩父郡小鹿野町(おじかのまち)にあります。小鹿野町にある一番大きな古墳です。こちらは「円墳」です。周囲は 現在 栗畑になっています。直径30mほどの円墳です。古墳上には「祠(ほこら)」があり、昔から 周囲の人々は「丸山塚古墳」を大切に敬ってきていたことが分かります。「古墳」は神聖化されることも多く、周囲の人々の墓地になっていることも多いです。「古墳」の上に 自分たちの墓を作っても良いのでしょうか。昔から 長い間 古墳の上の先祖代々の墓を作っても、誰も文句を言わなければ それで 今まで来たのだから 良いのです。村の共同墓地も 登記されていないことも多く、近くの寺が管理し、墓地の総代が世話をしています。その総代が代々 決められ、総代の許可を取って 墓の改廃を行っています。古墳上の墓地も同じように考えられます。私の祖祖父の墓は そうでした。私が、墓の整理改修をした時も 近くに住む総代の許可を取りました。その祖祖父の墓は 千葉県船橋市金堀町にあります。無縁仏になりそうだったので 現在は うちの事務所できちっと管理しています。

 そんなことを考えながら、埼玉県秩父郡小鹿野町の「丸山塚古墳」を後にしたのでありました。

 

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