楽山園・群馬県甘楽町にある織田信雄の居城跡・小幡藩の庭園です | 西村治彦の日記

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  この日は、群馬県甘楽町(かんらまち)に行きました。ここには、「楽山園」と申す「池泉回遊式の借景庭園」があります。

楽山園は、江戸時代初期に織田氏によって造られた小幡藩邸の庭園です。池泉回遊式の借景庭園で、「戦国武将庭園」から「大名庭園」へと移行する過渡期の庭園と位置付けられ、京都の桂離宮と同じ特色があります。
 景石(けいせき)の置かれた池を中心として、「中島」や「築山」を築いて起伏のある地形を造り出し、「梅の茶屋」や全国的にも珍しい五角形の形状をした「腰掛茶屋」など複数の茶屋を配し、それらを巡る園路にも工夫を凝らしています。
 借景庭園としても秀逸で、庭園の西側にある雄川(おがわ)をはさんで紅葉山(もみじやま)、南方の連石山(れんせきざん)、熊倉山(くまくらやま)などの山並を借景として取り込み、豊かな広がりを演出している空間構成は、庭園美の極みといえます。
 さらに、複数の茶屋を配していることから、「織田氏と茶事」との関連も深くうかがうことができ、歴史的・文化的にも高い価値がある庭園です。
 楽山園という名前の由来は、「知者ハ水ヲ楽シミ、仁者ハ山ヲ楽シム」という論語の故事から名付けられたと言われています。
 ”平和の始まり”を意味する「元和(げんな)」元年(1615)に小幡の地を拝領した織田信雄。戦乱の世を駆け抜け、ようやく訪れた天下泰平の世に築いた楽山園には、世の平和と領民の安心を願う気持ちが込められています。

群馬県で唯一の大名庭園なのだそうです。甘楽町に、このように素晴らしい庭園があるとは知りませんでした。私と同行の黒子さんは、美しい「楽山園」を一時間ほど散策しました。江戸時代と全く同じ庭園を、私は 当時の武将・武士たちと同じ気持ちになって、歩きました。素敵でしたね。

織田信雄は、織田信長の次男です。織田信長の血筋が、この甘楽町に脈々と続いているのです。この「楽山園」で、戦国大名から安定した時代に移り変わる雰囲気を感じながら、散策したのでありました。

 

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