千葉県柏市の松ヶ崎城跡・平城で匝瑳氏の城でした・空堀、土塁、見晴台を歩きます | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

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「松ヶ崎城跡」は、JR北柏駅の北西500メートル、大堀川と地金堀が合流する地点の北側の台地上に築かれた城跡であります。私は、「松ヶ崎城跡」に行って 歩きました。「いや~!」、草ぼうぼうでした。あまり草が多いと足を取られます。

それでも、「松ヶ崎城跡」を歩きました。藪蚊が凄かった。私は ほとんど蚊には 食われないのですが、同行の黒子さんはあちこち食われました。蚊にとっては 久々の御馳走であったに違いありません。

城跡は山林に覆われていて、遺構の残存状況は良好でありました。城跡周辺には、「竹ノ台」「本郷」などの小字が残されていました。

松ヶ崎城跡は、半島状台地の南端を、土塁や堀で囲み曲輪とした、小規模な単郭の城跡であります。曲輪は約60メートル四方の方形で、東と北、西の三方を囲む土塁を持ち、さらに土塁東と北の土塁の外側に顕著な堀が認められました。曲輪の南側、台地斜面上には、二か所の腰曲輪が並べて築かれており、その内西側の広い曲輪に倶利迦羅不動尊(三境の不動)が祀られていました(平成7年焼失)。

郭内は平坦でなく、全体的に北から南へゆるやかに傾斜しており、内部はさらに南北に延びる土塁で区画されています。虎口は曲輪の東、北、西の三方の塁壁に設けられていたと思われます。曲輪の東側虎口は、古墳を利用したと思われる矢倉台状の構築物の北側に想定されます。曲輪の北側虎口は、現在堀を渡り城内に至る土橋状の通路が認められますが、この通路に対応するように北側土塁の開口部が存在していて、この部分に設けられたと思われます。曲輪の西側虎口は、曲輪北西端に張り出し部が構えられ、そこから城外方向へ下る通路状遺構が確認されるため、この張り出し部に想定されます。

松ヶ崎城跡のある松ヶ崎は、手賀沼の西端に位置し、応永26年(1419)4月7日付けの「香取社仮殿造営用途算用状」(香取神宮文書)には、香取社仮殿の瓦木が、相馬松崎より船で運び出されていることが記されています。また、城跡の東方、JR北柏駅の東側一帯、根戸の地には、中世の遺物・遺構を伴う中馬場遺跡、北ノ内遺跡、法華坊遺跡が存在しています。

以上、松ヶ崎から東の根戸にかけて中世の遺跡が集中しており、手賀沼西端という位置や香取神宮の古文書より、この地一帯が水上交通の要所であったと考えられます。松ヶ崎城跡の築城時期や築城者は不明でありますが、こうした水上交通の要地を押さえる軍事施設の性格を持っていたと推測されます。

(情報提供:柏市教育委員会)

 

「や~!」草の生い茂った凄い城跡でした。蚊に食われないよう、注意して「松ケ埼城址」に出掛けましょう。

 

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