群馬県沼田市にある沼田城跡訪問・真田信之と小松姫・破却された沼田城 | 西村治彦の日記

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この日は 私は 群馬県沼田市にある「沼田城跡」を訪れました。広い城跡です。戦国時代に作られた「沼田城跡」は、幾つかの守護城に囲まれた堅城であります。「沼田氏」の居城として建築され、戦国時代後期から江戸時代初期にかけて「真田氏」の沼田領支配の拠点として機能しました。沼田藩の藩庁がありました。2017年(平成29年)には、続日本100名城(116番)に選定されました。

 「沼田城跡」には 太い桜の木がたくさんあり、桜は満開でした。千葉市より2週間ほど遅い満開です。「沼田城」は 台地の上にあり 裏からは険しい崖を登らないと、城に入れません。敵の攻撃は 正面だけを守れば、攻められることはない堅城であります。現在は 広い「沼田城跡」は 市民の憩いの場として利用されています。

 

 本丸跡に鐘楼が復元されていました。この鐘楼の鐘は後世のものではなく、1634年に真田信吉が鋳造させた「城鐘」そのものです。群馬県指定重要文化財であります。この鐘は廃城ののち寺社で保存されていましたが、旧沼田町役場敷地内の「時鐘(ときのかね)」に使用され、その後、沼田城跡本丸内に鐘楼として復元されたのものであります。恰好が良かったです。

「小松姫と夫君・真田信之」の像が建っていました。

「小松姫(稲姫)」は徳川四天王の「本多忠勝」の娘であり、「真田昌幸の長男・真田信幸(信之)の妻」であります。 真田昌幸は上杉景勝を介して豊臣秀吉に臣従し、天正17年(1589年)には家康とも和睦が成立すると、真田家は徳川氏の与力大名となりました。真田信幸の才能を高く評価した「徳川家康」は重臣の本多忠勝の娘・「小松姫」を養女とし、駿府城に「真田信幸(信之)」を出仕させて娶(めと)らせました。

 

 関ヶ原の戦いの直前、下野国 犬伏で「真田父子三人」が合議し、「父昌幸と信繁は西軍」、「信之は東軍」につくことが決しました。親子兄弟でも敵同士となり、殺し合うのです。こんなに辛いことはありません。父「真田昌幸」は犬伏を発ち、上田への帰路桐生辺りで「沼田に寄り孫に会いたい」と言い出し、そのまま「沼田城」を訪れました。小松姫は「たとえ舅(しゅうと)であっても敵である」ということから、武装した姿で対応し、城門を開かず追い返しました。後に、自ら子供を連れて「義父・昌幸」のもとを訪れ、舅の願いを叶えました。このことについて、一時 敵になっていた「昌幸・信繁」は大いに感心したと言います。

一方で「真田昌幸」には「沼田城」に立ち寄りそのまま城を奪取する意図があったとも言われ、「小松姫」はそれを見越した上で穏便に解決したとも言われています。「沼田城跡」には「小松姫」と「夫の真田信之」の像が建っていて、「沼田城」の花形とも言えるものでした。

 広い「沼田城跡」を歩き回りました。これで ここを去って、別の群馬県の名所旧跡を巡ります。

 

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