戊辰戦争・二本松城の戦い・二本松城落城・450名の犠牲者 | 西村治彦の日記

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戊辰戦争・二本松城の戦い・二本松城落城・450名の犠牲者

 私は 福島県二本松市にある「二本松城」を訪問しました。広大な城であります。「二本松城」は「平城」であります。しかし 下からの高さは、標高345mもあり、まるで山城であります。登山ですから疲れます。

 「二本松城」は 江戸時代から明治時代に移る時の戦い・戊辰戦争の戦いの舞台になりました。

 「新政府軍」は、薩摩藩・長州藩・土佐藩を中心とした武力に勝る軍隊です。一方、「二本松城」を守備する「二本松藩」は、「奥羽越列藩同盟(東北越後の藩の同盟)」に参加して新政府軍と戦いましたが、武力の整備に遅れ、不足分を少年兵まで動員して戦いました。「二本松城防衛隊」は 1500人でした。対する「新政府軍」は2000人です。

 戦いは新政府軍の勝利でした。武器に勝っていました。全国的にも 新政府軍の改革に掛けるエネルギーは凄く、精神的にも「新政府軍」が勝っていました。

 「二本松城の戦い」以降、最後「函館五稜郭の戦い」でも「新政府軍」が勝利し、ここに「戊辰戦争」は終了しました。

 徳川江戸幕府は 政権を新政府軍にゆだね、1868年に、ここに 江戸時代は終わり、明治時代へと移行したのでありました。

 そんな江戸時代末期の「二本松城の戦い」の壮絶な戦いの跡を見ながら、私は、「二本松城」を下から 頂上の「本丸」へと登って行きました。

 途中、落城の際 自刃した家老の最後の地がありました。切腹して 自分の腹の内臓を自分で切りちぎり、腹に置いた扇子の上に置いて、絶命していったのだそうです。

 話し合いをして、降参して、無血で城を明け渡せば、死ぬこともなかったのでしょうが、武士の魂は 切腹であったのでしょう。

 東北・福島の「二本松城」の桜は満開でした。登っていく私は 満開の桜を眺めながら 本丸へと登って行きました。「二本松城」はこの近辺では有名な桜の名所です。

 少年兵を含む亡くなった450名の魂をかばうように、咲き誇っていました。

ここもやはり「兵どもが夢の跡」でした。

 

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