雪の伊勢崎城址・伊勢崎城は那波宗俊の居城として赤石左衛門尉に築かせた城だと伝えられています。 | 西村治彦の日記

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雪の伊勢崎城址伊勢崎城は那波宗俊の居城として赤石左衛門尉に築かせた城だと伝えられています。

 この日は3月にしては珍しく雪が降りました。私は雪の伊勢崎城址に行って参りました。

 伊勢崎城址は 群馬県伊勢崎市にあります。「伊勢崎」と言う名称は、1561年、時の城主・由良成繁が近隣の赤石郷の所領を伊勢神宮に寄進し伊勢宮を守護神としたため「伊勢の崎」と言う地名にかわり、城名も上野・伊勢崎城となりました。

 「伊勢崎城」は平城です。築城主は那波宗俊と言われています。築城年は定かではありません。1500年代前半と推定されます。

 戦国時代は、城主が目まぐるしく交代し、江戸時代に入り、徳川幕府の方針により、1617年(元和3年)に廃城になりました。

 現在は、「伊勢崎城跡」には、伊勢崎市立図書館が建てられています。「広瀬川」の脇にあり、付近は市民の散歩道となっています。

 付近には「曲輪町」があり、当時は、「伊勢崎城」の曲輪になっていたことが推定出来ます。「曲輪」とは「郭」とも書き、「二ノ丸」「三の丸」「本丸」なども「曲輪」です。広い広場で、武士たちの集合場所であり、建物も建っていました。

 「曲輪町」を見ると、当時の「伊勢崎城」はかなり広い城であったことが分かります。

 戦国時代の城は、土や木や竹で作られた城です。土塁や空堀、川があれば、川を堀にしました。「伊勢崎城」は 広瀬川が脇を流れていて、天然の堀として、作られていました。

 徳川幕府は、藩主が多くの支配する城を持つことを禁止しました。藩主は 幕府の都合の良いように別の城に転勤させました。(移封)

 江戸幕府は、親類で固めた「譜代大名」を近くの城に置き、姻戚関係のない「外様大名」を遠い距離の城に移封させました。「伊勢崎城」は 外様大名として、廃城の憂目にあったのでした。

 私は 伊勢崎市立図書館を眺めながら、「兵どもが夢の跡」をしみじみと感じたのでありました。

 

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