「石垣山一夜城」は、「豊臣秀吉」が1590年(天正18年)の小田原征伐の際に小田原城の西3キロにある笠懸山の山頂に構築した城であります。敵の北条氏の居城・「小田原城」から見えないように築き、完成後に周囲の木を伐採したため、北条氏側に一夜にして築城されたかのように見せて驚かせ、戦闘意欲を失わせる効果を果たした、といわれます。それで 「一夜にして作られた城」と言われ、「一夜城」の名も、それに由来します。
強固な石垣に囲まれ、「石垣山一夜城」と呼ばれる「豊臣秀吉」築城の城に、私は行って参りました。
「北条氏」は、戦国時代に 小田原城を根城にして、天下を狙っていました。それに対して、豊臣秀吉を旗頭とする戦国大名が、「石垣山一夜城」を構えて、「北条氏」を攻めます。強固な「石垣山一夜城」で 長期戦の計画です。
「小田原城」は 「石垣山一夜城・豊臣秀吉軍側」他多くの戦国武将たちに包囲され、「北条氏側」は敗戦を覚悟しました。
北条氏側は降伏し、落城しました。こうして 豊臣秀吉は、天下を統一しました。
「石垣山一夜城」は 石垣が頑固で、名城であります。現在「日本の名城100選」に選ばれています。
城の登り口から 私は登って行きました。石がごろごろしているので、足を踏み外さないよう注意して登り始めました。険しい山城です。
暫く歩くと、「二の丸」を構築している「石垣」が見えました。強固な石垣です。
石垣に沿って登り歩いて行くと、「二の丸」に出ました。
広い「二の丸」です。
「二の丸」には「本丸」への道が続いていました。登ります。「石垣山」と呼ぶくらいなので、結構 険しいです。
「本丸」からは、太平洋と小田原市街が見えます。小田原市街には「小田原城」が見えるはずです。しかし、「小田原城」からは 見えないように「石垣山一夜城」は作られましたので、「小田原城」を探すのは大変でした。
「本丸」の奥には「天守台跡」がありました。ここで「豊臣秀吉」は、のんびりと「茶の湯」を楽しんだり、作戦を練ったりしていたのでしょう。
長期戦に相応しい「石垣山一夜城」を実感します。
帰りは 石につまずかないように ゆっくり降りました。
この山城で 長期間生活するのも 大変だと思います。毎日 上り下りだけでも疲れます。
私は この「石垣山一夜城」で生活するのは 嫌だと思いました。
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