大多喜城を訪れて・小江戸大多喜の古い町並み・いすみ鉄道大多喜駅
私と橙色子さんは、タケノコ狩りの後、夷隅郡大多喜町にある「大多喜城」を訪れました。
「大多喜城」は、代々の城主の中でも「本多忠勝」が知られた城主であります。
大多喜町では、「本多忠勝」をNHKの大河ドラマの主役として取り上げて貰おうと、町を上げて キャンペーン活動中であります。
四天王の一人「本多忠勝」は、徳川家康の命を受け「安房国・里見氏」のもしもの攻撃に備え、大多喜城を整えるとともに城下町を整備し、「六斎市(ろくさいいち)」を設けました。
「六斎市」とは、室町~江戸時代に,月6回開かれた定期市です。
商品経済の発展に伴って,鎌倉時代中期頃から全国的に月3回の日切市 (日ぎめの定期市)である三斎市が,月6回の定期市に発展したものです。
「大多喜」は、江戸時代初期には房総でもっとも栄えていた町でした。
当時を偲んで毎年9月下旬に「お城まつり」が開催されています。
「本多忠勝侯一行」に扮した武者行列や神輿の渡御が城下町に繰り出します。私は この「お城まつり」を見学に行ったことがあります。武者行列が延々と続き、たいへん勇壮でした。
「大多喜城」のすぐ下は 現在 県立大多喜高校になっています。
当時は、現大多喜高校のある場所は、「大多喜城」の一部でした。「薬医門」が当時のまま 残っておりました。
「薬医門」とは、本柱の後方に控え柱を立て、その上に女梁(めうつばり)・男梁(おうつばり)をかけ、切妻屋根をのせた門のことです。
枯れることもなく、大量に沸き出る水は貴重でした。大きな井戸であります。現在でも こんこんと水を湧き出しています。
さて、「大多喜城」を終わって 城下に降りて行きましょう。「城下町・大多喜」は、「小江戸」と呼ばれ、房総では もっとも栄えていた町でした。江戸時代そのままの「古い町並み」が建ち並んでいます。
この「古い町並み」を少し行くと、「いすみ鉄道・大多喜駅」があります。
郷愁を呼ぶ駅であります。「日本の駅100選」で 2位になった「駅」であります。
運よく 我々が、「大多喜駅」に寄った時、電車が 止まっておりました。
記念撮影です。
「大多喜駅」には、「大多喜城主・本多忠勝」の鎧兜姿がありました。
橙色子さんは、お姫様です。ここでも記念撮影です。
とても楽しかった一日でした。これで「大多喜」での散策を終わります。千葉事務所へ車で帰ります。1時間半ほどで帰れました。
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