「忍城(おしじょう)」は 埼玉県行田市にある中世の城であります。私は、この「忍城」に行って参りました。「忍城」は「関東七名城」の一つです。
恰好良いですね。
関東七名城は、【太田城(茨城県)、宇都宮城(栃木県)、唐沢山城(栃木県)、金山城(群馬県)、前橋城(群馬県)、忍城(埼玉県)、川越城(埼玉県)】です。
「忍城」は;天正18年(1590年)、石田三成率いる豊臣秀吉軍が行った水攻めを耐え抜いています。忍城は文明年間(1469~86年)の初め頃に築城され、上杉、北条氏との戦いにも落城せず、石田三成の水攻めにも耐え、戦国の世を生き抜いた名城です。
この日は、「忍城おもてなし甲冑隊」が我々の前に出て参りました。城主の「成田長親」や「甲斐姫、正木丹波守、柴崎和泉守」が この日は 我々の前で、当時の戦いの模様を演じておりました。
行田市が誇る忍城(おしじょう)は、中でも天正18年(1590年)、石田三成率いる豊臣秀吉軍が行った水攻めを耐え抜いたエピソードは、数々の物語の題材になっています。
その後 豊臣軍は、大阪冬の陣、大阪夏の陣で、徳川家康軍に敗れ、天下は、「徳川家康」に移ります。「徳川家康」が天下を取り、改易となった成田氏100年の支配が終焉し、徳川家康の持ち城となりました。
以後、松平氏を経て阿部氏が城主となり、184年の長きに渡って忍10万石を支配しました。
明治維新でも戦火を逃れ、廃藩置県により二の丸に忍県の県庁がおかれましたが、明治6年に、廃城令により「忍城」は解体されてしまいました。
「いや~!」、当時を忠実に再建された「忍城」は 格好良かったです。
運よく、「忍城おもてなし甲冑隊」による戦いぶりも 見学出来て 幸運でした。
私は 仕事で「さいたま市」に向かいました。
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