虎塚古墳と十五郎穴・茨城県ひたちなか市の旧跡 | 西村治彦の日記

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虎塚古墳と十五郎穴・茨城県ひたちなか市の旧跡

 この日は、茨城県ひたちなか市に出掛けました。茨城県には うちの事務所が2カ所ありますが、事務所に行くより遠くにありました。

 ひたちなか市にある「虎塚古墳」に、まず行きます。

「虎塚古墳」は 古墳時代後半初期(7世紀)に造られた前方後円墳です。「虎塚古墳」の石室から、壁画が発見されたことで有名です。

「虎塚古墳」は、本郷川右岸の台地上に築かれた前方後円墳です。

全長56.5m(メートル),後円部直径32.5m(メートル),高さ5.7m(メートル),前方部幅38.5m(メートル),高さ5.2m(メートル),前方部が発達した古墳時代後期古墳の特徴を持っています。

昭和48年(1973年)816日に発掘が開始され,912日,後円部の凝灰岩製横穴式石室内に保存状態が良好な「彩色壁画」が発見されました。

壁画は凝灰岩の表面に白色粘土を塗り,ベンガラ(酸化第二鉄)で連続三角文や環状文などの幾何学文と,靭(ゆぎ)・槍・楯・大刀など当時の武器や武具等の豊富な文様が描かれています。

石室の内部からは成人男子の遺骸の一部と,副葬品の小大刀,刀子(とうす),鉄鏃(てつぞく)などが出土しました。墳丘の特徴や出土遺物から,古墳時代終末期7世紀初め頃(約1400年前)に造られたと考えられます。

 壁画が発見されたとは凄いです。古墳の壁画からは、当時の文化や服装が分かることが多いです。

ただ、この「虎塚古墳」の壁画から分かることは、抽象的過ぎて よく分かりませんでした。

 この「虎塚古墳」から300mほどの所に、

「十五郎穴」と申す「横穴式古墳」がありました。

説明では、この古墳近くに「五郎」「十郎」と言う兄弟が住んでいたので、「十五郎穴」と呼ばれるようになった、と書かれていました。

他に「曽我物語」の「仇討・五郎十郎」の兄弟が この穴に暫く隠れ住んでいたので、そのような名前になった、と言う説もあります。

現茨城県の田舎過ぎる場所なので、蘇我物語の「五郎十郎」が住んでいたとは考えにくいです。

それで「仇討物語」でない「五郎十郎」が この付近に住んでいたのであろうと、私は思いました。

岩山にたくさんの穴が開いておりました。

「自然の岩山を利用して 穴を開けた古墳」です。

館出、指渋などいくつかの支群に分かれて分布しており、これまでに百数十基が確認され、未発掘を含めると、全部で総数300基を超えると言われています。
 このうち、館出に群集している34基が県指定史跡に指定されています。

 この穴に、春休みで 私に同行した黒子さんの子供二人が入ってくれました。

身軽です。簡単に 穴に入ってしまいました。

私は大変でした。他の「穴」を押されて 

ようやく「十五郎穴」に入ることが出来ました。

興味深かったです。長い間には、墓は 住み家になったり、倉庫になったりしたことでしょう。

横穴は、丈夫ですし、利用価値が多いです。

古墳時代に穴を掘られて、今日まで 1200年もの間、穴が開いています。動物も住んだと思います。墓場でもありました。人も住みましたね。

 そんな歴史ある「十五郎穴」を訪れて、興味津津でした。

 

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