金の鈴・金鈴塚古墳と太田山山頂の「きみさらずタワー」、日本武尊と弟橘姫と | 西村治彦の日記

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金の鈴・金鈴塚古墳と太田山山頂の「きみさらずタワー」、日本武尊と弟橘姫と

 この日は、新人の大久保遥香と岩瀬千紘が 同行であります。

「木更津市にある‘きみさらずタワー’に行きたいです」と申すものだから、早速 行くことにしました。

‘きみさらずタワー’は「太田山」の頂上に建てられています。「太田山」は標高44メートルです。「きみさらずタワー」は 28メートルです。足すと、72メートルであります。「きみさらずタワーからの眺めは 木更津市街を360度ぐるっと、見回すことが出来ます。

天気が良ければ、東京湾の対岸の横浜、東京方面まで、見渡すことが出来ます。

 「きみさらず」の名称は:昔々、大和政権時代に、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が 現東京湾を渡って、北から南下してくる「蝦夷(えみし)=アイヌ」を征伐するために、天皇の命を受けて、東征に出掛けたのでした。東京湾を舟で渡る時、突然の大嵐に巻き込まれ、舟は沈没しかけました。その時、妃の「弟橘姫(おとたちばなひめ)」が やおら、海に飛び込みました。そうしたら、不思議、荒れ狂っていた海が ぴたっと 静まり返ったのでした。

 そして、「日本武尊」は 海を渡り、その後 東征に成功したのだそうです。

「日本武尊」は 帰り際、妃を思い出しながら、「きみさらず、いつまでも 我の傍に」と申して、涙したのだそうです。

 その「きみさらず」を記念して、木更津市の「太田山」に、「きみさらずタワー」が建てられました。

 我々3人は、「太田山」の「きみさらずタワー」に登りました。

気持ちが良かったです。遠くに、東京湾を望み、木更津市街を360度 見渡すことが出来ました。「岩瀬」が 高所恐怖症であることが分かったのは、収穫でした。

 この「太田山」には「木更津市郷土博物館 金のすず」があります。

ここには、木更津市長須賀にある「金鈴塚古墳」の出土品の展示があります。「金鈴塚古墳」は 「きみさらずタワー」から見て「イオン」方面のすぐ近くにある「古墳」であります。

もともとは かなり大きい前方後円墳でした。

現在は、古墳は 削られ、人家が密集しています。

しかし 幸いに、古墳の石室部分は そのまま存在しています。

 この「金鈴塚古墳」の石室から、

おびただしい量の遺物が発掘されました。

「金の鈴」が5個 発見されたのです。
「金鈴塚古墳」は 古墳時代後期の6世紀後半から7世紀前半に掛けて 造営されたと考えられています。

現木更津市を流れて東京湾に注ぐ、「小櫃川(おびつがわ)」流域の当時の豪族集団の長の墓と考えられています。

「馬来田(まくた)族」が、当時 この周辺を支配していました。

「小櫃川流域」には 他にも多くの古墳が存在します。現在でも、木更津市にある「JR馬来田駅」が その名残を留めております。

 「金鈴塚古墳」で発見された「金の鈴」が、上述、「太田山山頂」にある「木更津市郷土博物館 金のすず」にあると言うので、中に入って みましょう。

「ありました!」。

金色に輝く「金の鈴」。凄いですね。6世紀には 金で鈴が作られたのです。見ると 現代の鈴と まるで 同じであります。

当時 鈴を 何かに着けて「リンリン」鳴らしていたのですね。

私も 物をよく無くすので、「鈴」は 私にとって、必需品であります。ただし 社員も家族も、「うるさいから 鈴を外して下さい」と申しております。鈴を外すと、鍵の束などを すぐ無くします。困ったものであります。

 新人の「小西君」が ふざけて、「私も金の鈴を一つ無くしました」と申しております。

彼には ちゃんと 着けてもらって、頑張って貰いたいと思っております。



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