今日は敬老の日、私の父は99歳、長生きですね! | 西村治彦の日記

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今日は敬老の日、私の父は99歳、長生きですね!

 今日は 敬老の日であります。普段 私は 多忙を理由に あまり父親を訪れることは ありません。 

 私の実父、西村彦太郎は 大正4年9月27日生まれなので、まもなく 満99歳になります。


現在は 千葉市花見川区にある、私の家から 5分ほどのところにある、「有料老人ホーム」に入所しております。ここに入所するまでは、やはり すぐ近くの自宅に一人で住んでおりましたが、食べ物の購入や身の回りのことやら、少しずつ 大変になってきたので、ここの「有料老人ホーム」に 入ることになりました。



 最初は、「こんなところ 嫌だ、嫌だ!」と申しておりましたが、入ってしまうと、至れり尽くせり、大満足しております。


 何もしなくても良いのです。食事は 運んでくれるし、洗濯はしてくれるし、我々 家族も とても助かります。


「有料老人ホーム」と言うくらいで、金は掛かります。毎月 35万円ほど ホームに支払います。それと 毎年 更新料として、100万円ほど支払います。

最初 入所の時に 800万円とかを 支払って その後 更新料は支払わない方法もありますが、何せ 父は 高齢なので、毎年 更新料を支払う契約に致しました。


「地獄の沙汰も金次第」と申します。最後 入る時、私の貯金を叩いて、父親が 酷い地獄には 落ちないようにしてあげるのが、子供の私としての責任ではないかと思いました。


 まあ、父親は 職業が絵描きでしたので、絵描きになった15歳の時から、一人で生きてきました。他人の世界とは 程遠い、独自の世界でした。「我が道を行く!」「独立独歩」。仙人のような 雲の上の生活でした。


 貧乏で、「極貧」とでも言ったほうが 良かろうと思います。いくら 父が絵を描いても、売れやしません。売るために 画商にこびへつらうのが 嫌いで、父は 無理に絵を売ることはしませんでした。


 父は、近所の子供たちや、絵を描くことが好きな大人たちを集めて、「池袋絵画教室」なるものを開いておりました。

それで どうにか 妻と子供たちは 生き抜いて参りました。


転機が訪れたのは、バブル最盛の頃であります。当時 住んでいた池袋の家、土地を、「ビルを建てたいので 高く買います」と地上げ屋がやっ参りました。

 その父所有の土地が 1億3000万円ほどで 売られたのです。

その金で、金に無縁であった父は、バブル最盛の頃の株に手を出したのです。

 子供の私は 大学を卒業してから、給与で 株を買い、あれよ あれよと 売買ゲーム、6~7年で 億の利益を出しました。その利益で 現在の社会保険労務士事務所を 大きくしていったのです。

父は その逆で、バブルが最高の時に 株を買って、下り坂の時に 仕方なく売って 億の損失を出しました。金に縁のない人が 金が入ったからと言って、株など買うものではありません。


 無一文になった父親は、私が 月々支払って、現在 「有料老人ホーム」に 入っております。もう父親は そんな経緯や因果関係など 知る由もありません。

いいのです。父親には 何の心配も、苦しみもなく、人生を 終わって欲しいと思っています。しかし 父は まだ 元気なので、まだ 入所は 続くでしょう。

以前から 父は、「100歳は 軽く越える」と申しておりましたので、「有言実行」になりそうです。

 昔の記憶は よく覚えております。しかし 言うことが 大きいですね。

 「今 俺は 115歳だ!」とか「お前、治彦は、私の23歳の時の子供だ!」(本当は31歳の時の子供です)。「去年 私は 一人で ヨーロッパに行って来た!」(20年も前に 行きました) 


 要するに 大昔のことは ごく最近だと思っています。時間の記憶がおかしくなっています。

 このようなことは つい最近まで ありませんでしたが、少し 頭の記憶が おかしくなっております。

 しかし まあ まだ 一人で 歩いておりますので、100歳までは 楽勝でしょう。長生きは 良いことだと思います。

 敬老の日に、父親を訪れて、「あなた100まで わしゃ99まで」と 歌いながら、父親の長寿を祝ったのでした。


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