高浜神社 茨城県石岡市の神社 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

高浜神社 茨城県石岡市の神社
石岡市は とても古い歴史の町です。常陸の国が定められ 現在の市役所に当る「国府」が置かれました。大化の改新の645年には 常陸の国が定められましたので、その頃から 国が治められました。「国府」に勤める「国司」により、常陸の国が治められました。
西村治彦の日記

 国府の 近くには すべての神社を集合させた「総社」が置かれました。「総社」とは「総ての神社」と言う意味であります。
 国司は国府に勤務を命じられると、「神社」に願をかけ 何事も うまく行くよう祈ったのです。
 当時は 現在のように 科学的に究明される時代ではないので、神にお願いすることは 一番大事なことでした。
 石岡市には 現在も「国府跡」「総社宮」「国分寺跡」「国分尼寺跡」ほか 歴史を物語る多くの遺跡や名所旧跡があります。「総社宮」では 毎年 大きな祭りがあります。山車が出て 石岡市中の一大祭りであり、関東三大祭とも言われているほどの大きな歴史ある祭りであります。
西村治彦の日記
石岡市は 霞ヶ浦の 北方に面していて、昔は 舟で 霞ヶ浦を渡り、鹿島方面に行きました。
西村治彦の日記
鹿島には「鹿島神宮」があり、こちらは 茨城県の一番の親神社であります。
 当時 国府に勤める役人が、舟で「鹿島神宮」に行く時、現在「高浜神社」のある所から 舟に乗り 出掛けたそうであります。現在「高浜神社」は 浜になっていませんが、当時は「霞ヶ浦」の船着場となっていたそうです。隆起により 少し高台になりました。
 私は 茨城県に 当初 事務所を探しに行った時、石岡市でも 物件を探し廻りました。その時 この「高浜神社」を見つけました。
西村治彦の日記

 近くには「舟塚山古墳」ほか 多数の古墳がありました。
西村治彦の日記
「国府跡」
西村治彦の日記
「総社宮」
西村治彦の日記
「国分寺跡」
西村治彦の日記
「国分尼寺跡」ほか この辺りは 歴史の博物館でした。
 私は 近辺の多くの古墳を廻り、古墳時代を勉強しました。
西村治彦の日記

西村治彦の日記
「国府跡」「総社宮」を廻り、「国司」ほか 古墳時代から平安時代までの律令制度を学びました。
 実際に 歴史上の遺跡を訪問すると、教科書と違う勉強が出来ます。実際に 遺跡を訪れて この目で見るので 脳裏に焼きつき 忘れません。一番良い勉強方法ではないでしょうか。そして 調べます。他の遺跡とも比較します。だから 面白いし ますます知りたくなるのです。
 「高浜神社」は「鹿島神宮」の孫にあたる「神社」です。
西村治彦の日記

一番大きな元になる神社を地元で子として興し、その子の孫を また近くで建てる。そうすることにより、遠い親の神社まで出掛けなくても 近くで お参りが出来る。
西村治彦の日記

 そのような歴史的繰り返しの末、各地に「親の名」をつけた神社が各地に たくさんあるのです。
西村治彦の日記

 日本で一番多い名前の神社は「稲荷神社」だそうです。「○○稲荷神社」という名称の「稲荷神社」が 各地にあると思います。その他にも「○○熊野神社」「○○八幡神社」「○○神明神社」などがあります。
西村治彦の日記

 一つしか名称のない神社もたくさんあります。この「高浜神社」などは 一つしかない名称です。「高浜」という霞ヶ浦の浜の固有名詞が いつまでも大事にされました。
西村治彦の日記
偶然にも 同じ固有名詞になる場合もあるでしょうが、人間の苗字名前と同じです。
 有名人の名前から名づけられた名前、偶然にも 後から出た有名人と同じになってしまった例。
西村治彦の日記

 私の知り合いで「小林幸子」と言う人がいますが、名前を覚えていてもらいやすいので 便利だと言ってました。全然 出てこない難解な名前より 良いのではないでしょうか。
「高浜神社」は、実は 私は なかなか出て来ない名称なのです。
西村治彦の日記

どうやって 覚えたら良いでしょうか。


ランキング参加中です!

ご協力お願いいたします。

にほんブログ村 士業ブログ 社会保険労務士(社労士)へ
にほんブログ村