池袋に引っ越してきた頃、子供の頃からの話、九死に一生を得た話 | 西村治彦の日記

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豊島区池袋に引っ越してきた頃。子供の頃からの話、九死に一生を得た話

私は 実家が東京都豊島区池袋にありました。太平洋戦争後 両親は焼け爛(ただ)れた池袋に、幼い私たち3人兄弟を引き連れて 引っ越してきたのです。戦争で 池袋は 一面 焼け野原でした。

私たちが 住み始めた「池袋4丁目」からは 当時の池袋駅が よく見えました。すでに「東横デパート」が出来ており、自宅からは「東横デパート」が見えました。

 戦災で 焼かれた自宅近くには 殆ど 人が住んでいませんでした。焼け跡を父が 掘り返していると、焼夷弾が出てきました。この辺りは 米軍の焼夷弾の絨毯攻撃を受けたのでした。

 親戚から 父は金を借りて 50坪ほどの土地を買いました。焼け跡に「この土地売ります」と 看板が立っていたのです。売主に連絡を取って、安く 土地を購入しました。売主は「建設設計会社」でした。担当は「市原さん」と言う方でした。

 なんで 子供の私が こんなことまで知っているのかと 申しますと、「市原さん」自身が 私たちが 買って、移り住んだ土地のすぐ隣に しばらくして 引っ越してきたからであります。

 私は「市原さん」の家族と 仲が良くなり 子供時代から 大人になるまで、「市原さん」一家とは 仲良く 交流させて戴いております。市原さんには 子供が二人おり、うえの「徹君」とは 現在でも 仲良く 付き合っているのです。

彼は 現在 一級建築士として設計会社を経営しております。このたび「千葉市小中台町850番地の歴史」と言う本を出版しました。
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戦中から戦後にかけての彼の自宅周辺の「家事情」を調査して 細かく書いたものであります。私は 寝床に置いて 読んでおります。

また 私の このブログが「卑猥か、卑猥でないか」を審査して貰っております。いわば 私の「目付け役」であります。

 「徹君」が小学校1年生、私が3年生の時に 彼が 私の自宅のほぼ隣に引っ越してきたのです。いつも 一緒に よく遊びました。大人になってからも 遊びました。

「蘭の栽培」で「千葉市蘭同好会」に入り 月1回の例会に一緒に出席しました。ゴルフも 彼を誘って しばらくやりました。今は「徹君」は ゴルフを止めてしまったけど。

ヨットも 二人で始めました。素人の二人が 二回 ヨットに乗りに行って、悪天候に遇い、二人とも 死にそうになったのです。死にたくないので ヨットは 私の方から 止めました。徹君の家族も 猛反対し、彼もヨットは止めました。

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http://yaplog.jp/syarousi/archive/338


現在は、「徹君」は「花の栽培」に凝っていて、千葉市の花壇コンクールで 準優勝したほどです。近所の「千葉市の花壇」は自由に種を巻いたり、「花を植えたりしても良い権利」を獲得したそうです。私も釣られて 千葉事務所で「花の栽培」を 彼に聞きながら している最中であります。うちの新入社員に 種蒔きと移植を命じて、千葉事務所の庭を綺麗にし、お客さんや応募者への印象を 良くしようという作戦であります。

池袋の土地を 父が購入して以来、私と「徹君」との付き合いは 長いものであります。長い付き合いでありながら、二人は喧嘩もしたことがありません。特にトラブルを起こしたことも ありません。

私のブログを発表する前に 意見を聞くのですが、「内容が卑猥か卑猥でないか」と質問すると「もともと卑猥なのだから そのままの文章で 自分を出したらどう?」と言われます。この点では 答えになっておりません。

しかし 彼に いろいろアドバイスを受けて 私も 徐々に 普通の人になりつつあるのです。社会保険労務士として成功するためには 人によく聞いて、自分を正していく必要がありますね。

感謝、感謝。

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