鎌ヶ谷大仏に行って来ました。大仏が与えてくれたもの。 | 西村治彦の日記

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鎌ヶ谷大仏に行って来ました。顔が優しい大仏。

以前から 千葉県鎌ヶ谷市に「鎌ヶ谷大仏」なるものが鎮座していると聞いていたのですが、まだ見たことがありませんでした。私の弟が 鎌ヶ谷市に住んでいて、よく 弟の家に行っていました。「鎌ヶ谷大仏」は 新京成線「鎌ヶ谷大仏駅」のすぐ近くなのですが、寄ったことはありませんでした。分かりにくかったのですね。
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「鎌ヶ谷大仏」は、「鎌ヶ谷大仏駅」前を通る「木下(きおろし)街道」に面していて、駅のすぐそばに ありました。
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駅のそばなのに 分かりにくかったとは:車だと 大仏の前を 簡単に通過してしまって、見逃してしまうのです。だれも「鎌ヶ谷大仏」を見ながら 運転している人は いませんでした。
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そういう訳で 長年の思いを晴らしに「鎌ヶ谷大仏」に会いに行ったのでした。


「鎌ヶ谷大仏」は 江戸時代の約300年前に、大仏の後ろにある「大国屋」と「福田屋」の墓所に「福田文右エ門」が建てたものでした。
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大金持ちだったのですね。
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「鎌ヶ谷大仏」の こけら落としには  僧侶50人が参列し、自宅から大仏までの数百メートルの道には ながながと 絨毯(じゅうたん)を敷き詰め、それは それは 物凄い行列であったそうです。(と書いてありました)
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「鎌ヶ谷大仏」の大きさは 大きくはありません。
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高さ 1.8メートル、台座からの高さも2.3メートルであります。
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近くには千葉市稲毛区に「駒形大仏」がありますが、「鎌ヶ谷大仏」は小さかったです。
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しかし この辺りでは 名所旧跡も少なくて、駅名も「鎌ヶ谷大仏」と付けているくらいですから、我々にとっては 有名であります。
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 私は「鎌ヶ谷大仏」と「駒形大仏」
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、「鎌倉の大仏」、「奈良の大仏」の顔を比較しました。「鎌ヶ谷大仏」と「駒形大仏」は、江戸時代に作られ、「鎌倉の大仏」は鎌倉時代に作られ、「奈良の大仏」は奈良時代に作られました。当時の作者の気風によって顔が違うのか、時代背景なのか、やぶさかではありませんが、時代と共に 顔が優しくなっている感じが 致しました。
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 他にも全国「大仏」は たくさんありますが、奈良時代は「素朴」、平安時代は「柔和」、鎌倉時代は「剛毅」、江戸時代には「優しさ」が 現れている気が致しました。それぞれの時代背景が 歴史上の特徴を現している、と感じたのです。

 木造の仏様は寺院の中に、青銅製や真鍮製の仏様は 外でも 長い間、風雨にも負けず 頑張って 座り続けています。
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私は やはり「青銅製」の大仏になって、強く 逞しく 生きていきたいと 感じたのでした。

 まだまだ 体を鍛え、勉強し、社会保険労務士の仕事を 元気良く 続けていこうと思いました。「鎌ヶ谷大仏」が私に与えてくれた「元気」でした。

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