養老渓谷、遊歩道を行く、落ちて 死んだ人がいる。 | 西村治彦の日記

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日々の出来事を書いています。

養老渓谷、遊歩道を行く、川に落ちたらどうする?

さて「養老の滝」をしばらく見て、
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遊歩道に沿って 養老川の下流に向かって 歩き始めることにしました。養老渓谷の左右には 崖に沿って、美しい紅葉が 扇を開いたように 私たちの前に 広がっています。
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谷の中を流れる養老川。今日 ここ 養老渓谷に来て 良かった。もう この秋は 何もいらない。千葉は暖かいから 11月下旬から12月にかけてが 紅葉の時季なのです。
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 私は 紅葉を求めて 千葉県中を 捜し求めました。考えてみれば 紅葉は 落っこちているものではないのだから、早くから 探し回っても、見つからないのです。今 気がつきました。時季になれば ちゃんと 紅葉は 自然に 私たちの前に 現れてくれるのです。
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 「探し回る」と言えば 思い出しました。昔 私が 社労士を始めて まだ 金に余裕がない頃の話しです。荒川の戸田橋の河原で 大きな花火大会がありました。真っ暗の中、それこそ 大勢の見物客が 荒川の土手の草原に寝そべって 真夏の夜の一夜を楽しみました。
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真っ暗なので 寝そべっていて 大事な物を 落とした人も 相当 いたのではないでしょうか。財布、現金、バッグなどが お目当てです。

私は 人間の心理の研究のために 翌朝 すごく早くに 起きて 自転車で前日の花火大会の草むらに 出掛けました。うっすらと明るくなりかけた頃です。
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驚きました。大勢の人たちが すでに 草むらで、下を向きながら、何かを物色しています。何十人もいました。探しまくっています。動きまくっています。だから自分の落し物を探しているのではなさそうです。身なりは かなり 貧乏くさそうな人々です。服が よれよれです。
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私も どれくらいの落し物があるのか、研究のために 同じように探してみようと思いました。でも 遠くから 見て、「あの人 惨めに 探しまくっている」と思われるのが嫌でした。しかし 私は 研究のためだから 数分間 草むらを探してみました。でも 何も  見つからないし、下を向きっぱなしで 疲れます。けっこう大変なものです。落し物を探して 生計の足しに するくらいなら、社労士として 顧客を探したほうが 良いと思いました。それ以来 正道として 堂々と 顧客を探すことが大切だと 考えるに至ったのです。何事も してみて 反省する経験が大切です。
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花火大会の落し物を探すのに比べたら、紅葉は 場所さえ 正しければ 探すのは 簡単です。なぜなら 眼を開いていれば 目の前に あるからです。但し 滝を探すのは 大変だと思いました。「何々の滝」と 古臭い看板に書かれているのですが、看板の上方を見ても「滝」はありません。「何だ、滝はないではないか!看板が間違っている」と 早とちりして そのまま 歩き去ってしまいました。
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あとから 分かったのですが、滝は 川の反対側にあったのです。考えてみれば 川を渡って 滝のそばに看板を立てるのは 大変です。だから 反対側の遊歩道側に 看板を立てたのです。私は 抜けていました。これなどは 全体を見ていないから、看板の反対側に」ある「滝」が見えなかったのです。

いつも 私は うちの社員に言っています。「仕事は全体の平面を見よ!時間の奥行きを考えよ!」と。
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 「全体の仕事の平面の どの場所の仕事をするのか? とか、現時点は 時間が経てば 将来の仕事に変わっていく。来年 再来年の変化を考えて 仕事をせよ!」と。このことは とても大切なことで 仕事の効率化、正確な業務を考えた場合 不可欠な業務進行の条件であります。私は 毎日のように このことを 社員全員に 訓示しております。
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 その私が どうしたことでありましょう。左だけを見て 右を見ない。左の看板を見て 、右を見ない。「滝のない左に看板を立てて 看板は間違っている!滝なんかないよ!」と。「右を見れば 良かった!」「後悔先に立たず」と言います。

こうして 養老渓谷に数ある「滝」の写真を 二つしか お見せできないのは そういう訳なのであります。
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養老の滝から 川沿いに出来ている遊歩道を歩きました。結構「歩き甲斐」があります。途中 美しい紅葉、小さな滝、中くらいの滝。昔 洞穴であったものが 屋根の部分が崩壊して 屋根がなくなり 谷になった「弘文洞跡」。
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ここは 美しかった。「養老渓谷」の名所となっています。
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 遊歩道は 河原の平らな部分に沿って出来ています。従って 河原がなくなると、河を渡って 反対側に行くことになります。
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川を渡るために 踏み石が川を渡っています。この踏み石を渡るのですが、落ちないように歩きます。
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私は 踏み石が 続いている中間で 写真を何回も撮りました。
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反対側から渡ってくる人々とかち合います。押し合いになる可能性があります。私が 私を越えて 渡ろうとしている人を、間違えて 押したら、その人は 川に「ドボーン!」です。よく 川の真ん中で、喧嘩にならないものと 不思議に思いました。
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 以前 ニュースで読んだのですが、この「養老渓谷」で、川を渡っている人が 踏み石から落ちて、川に流され 死亡したということがありました。なぜ落ちたのは出ていませんでしたが、怖さから 失神し、川に落ちたのか、意地悪な人が「俺が先だ!」とわめいて 相手を押したのかも知れません。貴方なら 川の真ん中で かち合ったらどうしますか?
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 車についても 同じことが言えます。私が 高速道路に乗る時 花見川に掛かる「汐留め橋」を渡ります。この橋は狭くて 一台しか車が通行出来ません。橋の両方から進入した 2台の車が 真ん中で 鉢合わせ。どちらが 後退するか 橋の中央で 怒鳴りあいをしていることがあります。 譲り合わないと 車から出て、殴り合いになるかも知れません。殴り勝ったほうが 先に渡れるでしょうか?

要するに 道の中央で かち合った時は どうするか という問題であります。引くに引けない問題とは 結構 あちこちに あるのではないでしょうか。

 今 話題となっている「TPP(Trans, Paciffic Partnership,)環太平洋経済協定」

の問題もそうであります。

 開発途上国は 関税を撤廃し、輸出を拡大したい。日本などは 開発途上国からの関税の安い品物の輸入を 阻止しないと 農業などが 壊滅します。橋の真ん中で 押し合い へし合いの状態です。力ずくで 川の中に相手を突き落としてしまうと、一体 どうなるでしょう?

太平洋戦争も 力ずくで、原油の供給を阻止された日本が 橋の上の押し合い状態から、相手を突き落とそうとして、勃発したのです。国内でも 意見が 利害関係により 二つに 分かれています。力が均衡していれば 結論は出ないでしょう。

 沖縄の米軍基地の問題についても同じです。「地元」と「地元以外の人々、政府」は 真っ向から 反対の意見を持っています。だから 現在でも 問題は決着していません。
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「橋の真ん中で かち合った時に どう解決するか」の問題でした。相手を 川に突き落として、人生を成功させた人がいるでしょうか?  私なら また 何時間掛かっても 後退して 相手に道を譲ります。なーんちゃって。

そんな飛び石のことを考えていたら、「養老渓谷」の飛び石のある両岸に「信号機」を設置したらどうだろう?と考えました。せめて紅葉の季節だけでもどうでしょう?工事現場にありますよね。交互に赤 緑と代わるやつ。

「TPP」や「沖縄基地」の問題については「信号機」の理論が通用するでしょうか? 今私は 一生懸命「信号機理論」について考えています。ダメでしょか?無駄でしょうか? 物や人が実際に動くものは信号機が役に立ちますが、理論やルールは 赤、緑で 変えることが出来るでしょうか? 出来る方法がないか、発想だけでも出発点です。

 さて 「養老渓谷」も いろいろなことを考えながら歩いていたら、終点が近くなってまいりました。岩肌から 温泉の原水が湧いておりました。
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水温は18度から23度くらいだそうです。これを 沸かせて「養老温泉」では 利用しているのです。少し茶色く濁っていました。いかにも 温泉の色であります。
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温泉好きの私は養老温泉に 入っていこうか、とも考えましたが 結構 仕事があるのです。温泉は次回にして 千葉事務所に帰ることにしたのです。
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