荒屋敷貝塚と貝塚トンネル | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

荒屋敷貝塚と貝塚トンネル

京葉道路を 千葉から館山方面に車で走ると、山田インターに向かう「千葉東金道路」と館山方面に行く「館山道路」が分岐する少し手前で「貝塚トンネル」を通過します。

このトンネルは京葉道路を作る時 その上にある「貝塚」を破壊して そのまま高速道路にされる予定でした。しかし 住民、その他の人々により、古い遺跡を破壊せず、保存せよ、との運動が起こり、貝塚を、そのまま保存するために、トンネルが掘られることになりました。
西村治彦の日記

 そのトンネルは「貝塚トンネル」と呼ばれるようになりました。その上にある貝塚は「荒屋敷貝塚」と呼ばれています。「荒屋敷貝塚」は縄文時代の前期から後期にかけての貝塚だそうです。それは 今から 12,500年から3、000年前に渡り 長い間「貝その他の捨て場」として機能していました。この辺りは貝塚がたくさん点在していて「荒屋敷西貝塚群」と呼ばれ、近くの畑では 白い貝殻をたくさん見ることが出来ます。
西村治彦の日記

 私は 京葉道路を、館山方面からトンネルをくぐる時、トンネルの上に木が 何本か生えており、このトンネルの上に行ってみようと、かねがね 思っていました。
西村治彦の日記
過去 数回 このトンネルの上に行ったことがあるのですが、今回も一般道路上を運転していて、「荒屋敷貝塚」の近くを通ったので 立ち寄ってみることにしました。いつもは下の高速道路を通っているのですが 今日は 上から下を見下ろしました。車が がんがん 通っています。すごい量です。
西村治彦の日記

縄文時代は 縄文人が 動物を追って 魚を取って、貝を拾い、生活していたのです。縄文人は 髪は長かったのでしょうか。散髪していたのでしょうか。服は どんな服を着ていたのでしょうか。ウサギの真似をして 狩りをしていたのでしょうか。
西村治彦の日記

 金髪の縄文人はいたのでしょうか。
西村治彦の日記
どんなデートをしていたのでしょうか。
西村治彦の日記
どんな料理をしていたのでしょうか。

想像は自由です。そんな 大昔の想像を、ここ「荒屋敷貝塚」でしながら 
西村治彦の日記
写真を撮って 貝塚を一周したのでした。
西村治彦の日記

 私は 出掛けると どこか名所旧跡に 少しだけ 立ち寄ることにしています。よく注意していないと、見逃してしまいそうな名所旧跡が 近くにも たくさんあります。
西村治彦の日記

 毎日 旅行、毎日 撮影、毎日 日記風ブログ作成が とても楽しいのです。
西村治彦の日記

他にも たくさん仕事がありますので 毎日 1時間だけ ブログ作成に時間を費やしているのです。
西村治彦の日記