「ガジュマル」の再生 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

木を見て森を見ない

この意味は、「森と言う全体を見ないで 目先の木だけを見ていると うまく行かないよ」と言う格言と言うか、教訓と言うか、生きる上での大事な諺(ことわざ)であります。つまり 「目先しか見ていないと、結果的に 全体が うまく行かず、失敗する」と言う意味であります。

 私は この諺を座右の銘として 今日まで生きて参りました。

私自身は きっと この諺通り 一部だけでなく 全体を頭に描きながら、失敗もせず すこやかに生きてきているものと思っていました。

 東京事務所の6階の応接室に「ガジュマル」と言う南洋の大きな植物が 置物として置いてありました。とても立派な 見栄えのする植木であります。私たちは 水をあげ、肥料をあげ、長い間 枯らさずに育ててきました。しかしながら ビルの一室では 充分 太陽の陽が入らず、だんだん 元気がなくなってきました。葉は垂れ、黄色く変色し、もはや いつか枯れてしまうであろう状態になってしまいました。

そこで 場所も広いし、充分 太陽の光が浴びられるであろう千葉事務所に 一時的に移動させ 元気を快復させよう、と言うことになりました。

 「ガジュマル」の植木鉢は大きく、「木」本体も大きいです。これをキャラバンに載せて 千葉事務所に移動させました。そして 温室の中に入れ、樹勢を快復させることになりました。温室の中に入った「ガジュマル」は見る見る元気になっていきました。
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秋から冬、冬から春、そして春から夏へと「ガジュマル」は超元気になったはずです。私は「木も見て 森も見る」性格だからです。毎日毎日「ガジュマル」を労(いた)わるように「根っこ」に水を与え続けました。「根」ばかり見ながら水を与え続けました。
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 「木を見て森を見ない」などと言う「大事な諺」は忙しいので忘れていました。でも毎日 水をあげていれば 問題ない。

 手入れしている「ガジュマル」を室内に取り込んで 緑を楽しもうと思いました。私は「ガジュマル」の植木鉢を持ち上げて カートに乗せて 運ぼうと思いました。木の幹を持ってカートに乗せよう。

 「アッ!」「ガジュマルの上部の葉っぱが ないではないか!」毎日 水をあげているのに 丸坊主です。
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東京に元気になった「ガジュマル」を皆に見せて「植物は愛情を込めて こうやって育てるのだよ!」と見本を見せてあげたかった。でも 立派に育ったと思ったら 上は葉がなく 丸坊主です。私自信が「丸坊主」を 極端に嫌っているので なおさら「ガジュマル」の坊主は 嫌いです。「嗚呼!東京で元気なガジュマルを待っている皆になんと言い訳をしようか?」

 毎日 根本だけ見て 水を上げていたから 暑さによって 頭が焼けて 葉っぱがなくなってしまったのです。もう上部は枯れてしまって 葉っぱは生えてこないかも知れません。根っこばかり見て 水を与えていた私は馬鹿でした。
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 「木を見て森を見ないような生き方をしないように!」と日ごろ 皆に言ってきた私は どう考えたらよいのでしょうか? 私が 植物、動物の再生業者であったなら、損害賠償されて 倒産です。
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 人間の再生は「病院」でやっています。「娘」の再生も病院でやっています。お嫁に行く前の娘を再生させて 行かせたいのですが、どこの病院に行けば「再生」してくれますか?と 先日 労務相談になるかどうか分かりませんが、質問がありました。私は すかさず「幕張病院」と答えてしまいました。「ガジュマルの再生」と「娘の再生」は 関係があるのでしょうか?
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