花見川と新川 | 西村治彦の日記

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日々の出来事を書いています。

花見川と新川

私は 千葉市花見川区に住んでいます。その名の通り「花見川」が近くを流れています。東京の事務所に自宅から行く時には この「花見川」を渡って 武石インターに入ります。「花見川」には「汐留橋(しおどめばし)」が架かっています。
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この橋は東京湾からの「上げ潮」をここで止める役割をしています。汐留橋は東京湾から4.5キロほど 登った場所に架かっていますが、汐は ここまで 充分登ってきます。
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汐留橋のすぐ下は堰(せき)になっていて、汐はここ以上には登ってきません。
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私は釣りが好きで よく「汐留橋」付近には 釣竿を持って 出掛けました。橋の下流では汽水域(真水と海水の交じり合った域)の魚が釣れます。
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はぜ、ぼら、うなぎ、鮎を釣ったことがあります。「鮎」は 可愛そうに 堰から上流には行けません。魚道がないからです。気の毒に ここまで来た「鮎」は川の下流で生涯を終わるのでしょう。
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 「はぜ」は夏から秋に掛けて たくさん釣れました。一般的に上げ潮の時によく釣れます。汐と一緒に「はぜ」は岸近くに 集まって来るからです。

 「ぼら」については、小さい「子供のぼら」はたくさん群れをなしていますが、一向に釣れません。なぜなのか 今でも理由は分かりません。大きな大人の「ぼら」は 「吸い込み釣り」と言って、米ぬかと小麦粉を炒って 水で練って 丸く子供の拳くらいに丸めて、中に 10本くらいの糸の付いた釣り針を埋め込んでおきます。「ぼら」が 大きな丸い餌をがむしゃらに吸い込むと、釣り針も 一緒に 飲み込んでしまいます。針は「ぼら」の口に引っかかると言う仕掛けです。引っかかる時には じゃんじゃん 引っかかります。竿を強烈に引き込みます。「ぼら」は針を喉深く飲み込んでいるので、吊り上げても「針」を取り外すのが一苦労。針を外している間に 次の「ぼら」が引っかかり、もうそれは それは 戦場のようでした。
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 釣り上げた大きな「ぼら」を 刺身にして食べようと家に持ち帰りましたが、「ぼら」は川底のドロの中の生物を餌にしているので、ドロを食べており、臭い臭い、食べられたものではありませんでした。

 「うなぎ」は 海から上流に上っていく途中の「めそっこ」と言う まだ細い子供の「うなぎ」がよく釣れました。釣れると 「うなぎ」は体をうねらせ、絡ませて、釣り糸に固まってしまいます。もう なかなか外せません。おまけに体から ネバネバした粘液を出して さらに糸に絡みつきます。もう 外せません。糸をハサミで切って「うなぎ」を外しました。

「汐留橋」より上流でも下流でも「鮒」と「鯉」は住んでいます。下流の「鮒」「鯉」は色が黒いです。ヘドロが魚を黒くしているのです。環境に色を合わせるのが生物の生きる知恵だからです。

 上流では「ヘラブナ」をよく釣りました。
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花見川の上流は「印旛沼」です。魚がたくさん住んでいました。

 しかし ある時から 魚がばったり釣れなくなりました。それは「ブラックバス」が増えて 小さな魚を根こそぎ食べつくしてしまったからです。私は 釣りに行っても もはや釣れなくなったので 魚釣りを趣味として やめることにしたのです。
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釣りをしていて、全然「浮き」が動きません。魚が 餌を食べません。釣れません。何故でしょう? その時 目の前に 大きな「鵜」が 川面に突然 頭を出しました。川の中では、魚たちは 食われまいと 逃げ回り 隠れてしまいます。魚が釣れる訳がありません。他の場所でも魚が少なくなり「鵜」は 花見川に魚を求めてやって来たのです。 「鵜」は 釣れない私を 馬鹿にしたように、目の前で 水面に 出たり入ったり。「鵜」は 私を じっくり見て笑っています。ゆったりと 本当に 馬鹿にした態度です。「ウ、ウ、ウ!」と 鳴いたかどうかは 記憶にありません。

 こうして 私は 魚釣りとは 永遠の別れを告げたのであります。
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 花見川の上流は「新川」と呼ばれています。
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「大和田排水機場」を境に 上流を「新川」
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下流を「花見川」と呼んでいます。

今は 景色を見に行ったり、写真を撮りに行ったりするくらいの「花見川散策」となりました。昔のように、じゃんじゃん魚が釣れる川に戻って欲しいと 願っています。趣味は また 蘇(よみがえ)ったほうが良いのでしょうか?それとも 過去に戻らず 未来に生きたほういが良いのでしょうか?
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 なにか「昔の彼女」と 撚(よ)りを戻して、また付き合ったほうが良いのか、古い彼女とは 永遠に別れて「新しい彼女」を探したほうが良いのか?と言う命題に似ていると思いました。「もう一度渡るべき汐留橋」「もう渡らない汐留橋」。どちらが良いのでしょうか?
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