DOLL FESTIVAL | 24/7 ILUSM<3
今日は。
今日は<雛祭り>だね。

基本的に此のBLOGではペットの事をメインに書く心算で居たんだけど、今日は物凄く個人的な、僕の思い出話をさせて貰うね。

興味が無い人はスルーして呉れて構わないから、暇な人で「暇だから暇潰しに読んでみるか」と思って呉れた人は、正に暇潰しとして目を通して呉れると嬉しいよ(にこっ)




今日、三月三日は<雛祭り>
英語で表記する際、大抵「DOLL FESTIVAL」と記載されるんだけど、他の表現で「GIRLS’ DAY」なんて言い方もするじゃない?
其の言葉通り、<雛祭り>と言えば<女の子のイヴェント>っていうイメージが強いよね。

僕は三人兄弟の末子として生まれたから、兄も姉も居た所為で、兜飾りだとか雛人形っていうのは兄や姉の物だったんだよね。
まあ、其れは一般的には当たり前って言うか、態々次男の為に兜飾りとかを買うっていう家は少ないと思うんだけど、さ・・・


僕自身、別に兜飾りとか、鯉幟とか、五月人形とかには全く興味が無くてさ。
何方かというと、姉が持ってた雛人形の方が羨ましい、っていう、一寸変わった子供だったんだよね。

勿論、母は笑ったし、兄姉にも「男の子が欲しがるものじゃない」って笑われちゃったんだけどさ。
其れでも、姉の雛人形が雛祭りの度に飾られるのを見乍ら「好いなあ・・・」って思い続けてたんだ。


そんな或る日、今は亡き祖母が、僕に「買い物に行こう」って誘って呉れてね。
僕は「何を買うんだろう?」とか思い乍ら言われるままに付いて行ったんだけど、祖母が僕を連れて行って呉れたのは<人形屋さん>だったんだ。

時期としては正に雛祭りを目前に控えた二月末頃。
沢山の雛人形が並べられた店内を見回して、僕は首を傾げながら目を丸くする事しか出来なかった。

そして、そんな僕に向かって、祖母はたった一言「好きな御人形さんを選びなさい」って言って呉れたんだよ。

勿論、僕は喜びより驚きの方が大きくってさ。
慌てて祖母に向かって「でも、僕は男だから、そんな僕が雛人形を持ってたら可笑しいでしょ?」って返すと、祖母は優しい微笑みを浮かべ乍ら、こう言って呉れたんだ。


「蝶児が男の子でも女の子でも、御祖母ちゃんにとっては大事な孫に変わりないから、そんな事は気にしなくて好いんだよ」ってね。


そんな風に言って、祖母は僕の手を引いて、店内に並べられた沢山の人形を一つ一つ見乍ら、其の中の一つの親王飾り(二人飾り)を指差して「ほら、此の御雛様、蝶児みたいに可愛いよ。此れにしようか?」って言って選んで呉れたんだ。

祖母の其の言葉に、僕は「御内裏様じゃなくて御雛様に似てて可愛いって言われてもなあ・・・」なんて、つい思っちゃったけどね。
其れでも、僕の願いを叶えて呉れようとしてる祖母の気持ちが嬉しくて、僕は祖母が選んで呉れた其の雛人形を選んで、実際に其れを買って貰ったんだ。


親王飾りだから人形は御内裏様と御雛様しか居なかったし、七段飾りとかの人形が沢山有る立派なものじゃ無かったんだけど、値段は下手な七段飾りの物より高かったのだけは憶えてるなあ・・・
幼かったとはいえ、子供心に「こんな高いものを買って貰って、本当に好いのかな・・・」って思ったもん。

けど、やっぱり、祖母が僕を想って選んで呉れたものだったからさ。
申し訳無い気持ちも有ったけど、其れ以上に感謝の気持ちと大きな喜びを感じたのは、今でも覚えてるよ。


そして、其れから数日後。
人形屋が其の雛人形を家に持って来て呉れて、家の一番立派な床の間に、其れを飾って呉れたんだ。
そして、其の人形屋は「優しくて孫想いの御祖母ちゃんで好かったね。感謝し乍ら毎年飾ってね」って僕に告げて帰って行った。

僕は祖母と一緒に綺麗に飾られた雛人形を見乍ら、心からの感謝を込めて「有難う」って伝えた。
其の僕の言葉に、嬉しそうに微笑んで呉れた祖母の顔も、僕はきっと、一生涯、忘れないと思う。




一応、言って置くと、僕の家は決して裕福な家では無かったんだ。
婿養子で在った父が、僕が小学校低学年の時に母と離縁して家を出て行ったから、其処からの生活を支えていたのは主に母だったし、子供三人を全員引き取ったのも母だったから、決して金銭的に余裕が有る家庭では無かった。

父は離縁後、払うと約束した養育費を払って呉れなかったらしい上で、祖父母の年金、祖母がバイトの様な事をして得た収入を併せて家計を回して居た筈だから、好く言ったって生活水準は中の下だったろうね。

其れにも拘らず、祖母は僕を想い、僕の為に大きな買い物をして呉れたって事なんだ。
だから、其れを含めた上で、僕は本当に可愛がられて育てて貰ったなって、今でも思うんだよね。



其の上で言って置くと、実は、僕と祖父母とは、血の繋がりは一切無かったんだ。
若い頃に病気で子宮を摘出する事に為ってしまった為に、子供を産む事の出来ない身体に為ってしまった祖母が、生活苦を由縁として里親を探して居た母の実母(僕にとっては実の祖母に当たる人だね)から、母を養女として引き取って育てた上で、父は先にも言った通り婿養子だったからさ。

血の繋がりの無い養女で或る娘が産んだ、血の繋がらない孫だった僕達三兄弟。
其れにも拘らず、祖父母は僕達を慈しみ、守り、大切に育てて呉れたんだよね。


そんな祖母が急逝し、後を追う様に祖父も亡くなって、僕は実家に居る意味を失い、家を出た。
正直言って、兄や兄嫁とは気が合わなかったし、兄の子供達(僕にとっては姪と甥だね)は僕を慕って呉れてたから可愛かったけど、祖父母の居ない家に居る事が辛くてね。

十八に為って直ぐに結婚した時にも家は出たんだけど、其の結婚生活は長く続かなかったから、家に戻ったりもしたんだけど・・・。
結局、祖父母の居ない家は、例えどれだけ居心地の良い空間であっても、胸にぽっかりと穴が開いた様な寂しさを拭う事が如何しても出来なかったんだ。



あれから、気が付けば、二十年程の時間が経ってるんだと思うと、自分も齢を取ったなあとか感じるけどさ。
藍が産まれて、暫く離れて住んで居た時期も有ったけど、今、藍も含めて、禾月や水勢、そして療養中の実母と五人で暮らし始めて、沢山の動物の家族にも囲まれて・・・

こうしてみて、本当に、<家族>と定義する為に必要なのは、決して<血の繋がり>なんかじゃないんだって事を痛感するんだ。
大切なのは <相手をどれだけ大切だと思うか> 此の一言に尽きるんだと思う。

だって、少なくとも僕にとっては、血の繋がりの有った僕達を棄てた実父よりも、祖父母の方が沢山の愛情を注いで呉れたって事実は一生涯揺らがないんだからね。

親に為ってみて、初めて知った事では有るけれど、血が繋がっているから大切とか、血縁じゃないから如何でも好いとか、そんな事は絶対に言い切れないんだって事を教えて呉れた其の人達こそが、僕とは全く血の繋がりが無かった、誰よりも尊敬し、心から敬愛する祖父母だったから。




僕に、そんな尊く素晴らしい繋がりを教えて呉れた、今はもう亡き祖父母に、心からの感謝を捧げ乍ら、今日のBLOGは御終い。

先に言った通り、本当に個人的な話に為っちゃったけどさ。
目を通して呉れた皆の暇が少しでも潰せたのなら、僕は其れで嬉しいよ(微笑み)

また時間に余裕が有る時に、暇潰しに利用してみるか程度の気持ちで好いから、此処に遊びに来てね。
少しでも皆に楽しんで貰える様な事が書ける様に、頑張ってみるから、さ。

だから、また皆に遊びに来て貰える日まで、其の日を楽しみにし乍ら待ってるね(にこっ)




Tue.Mar.03.2015  CHOJI AMAMIYA